「シーザリオの2007(父クロフネ)」が来春誕生するかもしれないという話題

 新ひだか町(旧・三石町)・斉藤スタッドさんの4月23日付ブログによると、2005年日米オークス制覇を達成し今春から繁殖入りしたシーザリオ(牝4歳)が、4月22日早朝に種牡馬クロフネ(牡8歳)との初年度交配を済ませたことが明らかになりました。

 掲示してあった種付けの予定表を見て驚いたのは、昨日の朝にクロフネを付けたのは、あのシーザリオだったのです。!(^^)!
 http://saitostud.no-blog.jp/saitostud/2006/04/post_9769.html

 ちなみに、この種付けでめでたく受胎して無事来春出産すると、とねっ仔の血統表は下記の通りになります。楽しみですなー。(文責:ぴ)

クロフネ フレンチデピュティ
*French Deputy
Deputy Minister Vice Regent
Mint Copy
Mitterand Hold Your Peace
Laredo Lass
ブルーアヴェニュー
*Blue Avenue
Classic Go Go Pago Pago
Classic Perfection
Eliza Blue Icecapade
*Corella
シーザリオ スペシャルウィーク サンデーサイレンス
*Sunday Silence
Halo
Wishing Well
キャンペンガール マルゼンスキー
レディーシラオキ
キロフプリミエール
*Kirov Premiere
Sadler’s Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Querida Habitat
Principia

競馬サブカルチャー論・第16回:馬と『Fate/stay night』〜「燃え」によるビジュアルノベルの復興/英雄的"馬"表現の金字塔〜

 この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
 「―体は剣で出来ている。」「―問おう、貴方が私のマスターか」―馬は、常に人間の傍らに在る。
 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載は、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
 ※以下の記述・文中リンクは、18歳未満に販売されない商品に関するものを含みます。
 
TYPE-MOON 『Fate/stay night』 より―

 それは、稲妻のような切っ先だった。
 心臓を串刺しにせんと繰り出される槍の穂先。
 躱そうとする試みは無意味だろう。
 それが稲妻である以上、人の目では捉えられない。
 だが。
 この身を貫こうとする稲妻は、
 この身を救おうとする月光に弾かれた。
 しゃらん、という華麗な音。
 否。目前に降り立った音は、真実鉄よりも重い。
 およそ華やかさとは無縁であり、纏(まと)った鎧の無骨さは凍てついた夜気そのものだ。
 華美な響きなど有る筈がない。
 本来響いた音は鋼。
 ただ、それを鈴の音と変えるだけの美しさを、その騎士が持っていただけ。
「―――問おう。貴方が、私のマスターか」
 闇を弾く声で、彼女は言った。
「召喚に従い参上した。
 これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。―――ここに、契約は完了した」

 時間は止まっていた。
 おそらくは一秒すらなかった光景。
 されど。
 その姿ならば、たとえ地獄に落ちようと、鮮明に思い返す事ができるだろう。
 僅かに振り向く横顔。
 どこまでも穏やかな聖緑の瞳。
 時間はこの瞬間のみ永遠となり、
 彼女を象徴する青い衣が風に揺れる。
   ――――差し込むのは僅かな蒼光。
       金砂のような髪が、月の光に濡れていた。

 幼い頃火災によって両親を失い、孤児になった衛宮士郎は、自らを魔術師と名乗る人物に引き取られる。その養父の反対を押し切って魔術を習い始める士郎だったが、才能を持たない彼が何年とかけて身につけた魔術は、結局ただの一つだけだった。
 そうして現在。養父も今は亡く、魔術師としても半人前のまま成長した士郎は偶然に「マスター」と呼ばれる魔術師たちの戦いに巻き込まれてしまう。望まぬままに七人の「サーヴァント」の一人「セイバー」のマスターとなった士郎は、「どんな願いでもかなえる」と言われる聖杯を手に入れるための戦い…「聖杯戦争」に身を投じる事になる。
 聖杯戦争における聖杯の行方は、聖杯自身によって召喚される7種類の英霊(サーヴァント)と、その主人(マスター)たる7人の魔術師の戦いに委ねられる。ここに登場するサーヴァントとは、以下の7種類である。
 セイバー(騎士)
 アーチャー(弓兵)
 ランサー(槍兵)
 ライダー(騎兵)
 キャスター(魔術師)
 アサシン(暗殺者)
 バーサーカー(狂戦士)
 これらのサーヴァントは、前記の7つのうちいずれかの属性を持つ歴史上、または伝説上の英雄たちが現界したものであり、当然のことながら常人をはるかに超える能力を持ち、またそれぞれの最終兵器であり、かつ自らのシンボルともいうべき「宝具」を擁している。だが、本来実体を持たない存在である彼らは、優れた魔力を持つ魔術師たる人間をマスターとして契約し、その魔力を分け与えられることでこの世にとどまり、か弱い人間に過ぎないマスターに依存する存在となる。そんな7組のマスターとサーヴァントたちによる殺し合いが「聖杯戦争」の本質であり、その結果勝ち残った1組の勝者のみが聖杯を手にすることができるのだ―。

 「Fate/Stay night」は、2004年1月30日にTYPE-MOONから発売された成人向けコンピューターゲーム(いわゆる18禁ゲーム)である。
 「Fate/Stay night」が発売された2004年1月当時、18禁PCゲーム業界の景気は冷え込んでいた。それ以前に18禁PCゲームで年間売上ランキング1位を獲得するソフトの売上は10万本前後だったのに対して、2002年から2003年にかけてはトップクラスでも5〜6万本の売上しか確保できず、業界全体の底冷えが指摘されていた。ところが、そんな悪い流れの中で発売されたはずの「Fate/Stay night」は、業界そのものの不景気を嘲うように売れに売れ、18禁PCゲーム業界の売上統計が明確になった1998年以降としては最高といわれる、年間14万本というセールスを記録した。
 
 「Fate/Stay night」のジャンルは、近年の18禁ゲーム界の主流を占める「ビジュアルノベル」に属している。ビジュアルノベルとは、従来のアドベンチャーゲームから発展した一形態であり、小説風の文章を読み進めていくことを基本線としつつ、パソコンの機能を生かしたCG、BGMや効果音をまじえることで、視覚・聴覚の両面からプレイヤーの感覚を喚起する方式のゲームである。また、この種のゲームは、主人公の行動等の選択肢を提示することで物語を分岐させ、プレイヤーに様々な分岐を体験させるものが多いことも特徴である。
 「Fate/Stay night」のゲームシステムは、伝統的なビジュアルノベルそのものであり、ゲームシステムに斬新さはない。そうであるにも関わらず「Fate/Stay night」が記録的なヒット作となった背景には、ゲーム界の主流を占めるに至ったビジュアルノベルの歴史の中で、このゲームが極めて重大な意味を持っていたからにほかならない。

 18禁ゲームに限定せず、ゲーム界におけるビジュアルノベルの始祖とされているのは、1992年3月に発売されたスーパーファミコン用ソフト「弟切草」である。
 それ以前のゲームにも文章の選択肢によって進行していく形式のゲームが存在していなかったわけではなかったものの、当時は映像・音源技術が未発達であり、また製作者側のビジュアルノベル(この言葉自体がまだ存在しなかったが)製作への能力・熱意が不足していたこともあって、それらの内容は非常に貧弱なものに過ぎず、ゲームとしてプレイヤーを満足させる域には遠く及ばなかった。当時のアドベンチャーゲームの中で主流を占めていた「コマンド総当たり方式」と対照して、「文章の選択肢方式」は、「製作者の手抜き」「ゲームという形式を取る意味がない」等と酷評されており、また実際にそう言われても仕方のない水準のものでしかなかったのである。
 しかし、映像・音源技術の急速な進歩と、ゲーム界への新たな才能の流入は、ビジュアルノベルをゲーム界の新たな一ジャンルへ成長させる結果となった。シナリオライターとして「特捜最前線」「華の嵐」「都会の森」など多くのテレビドラマで名作を生み出してきた脚本家の長坂秀佳を起用した「弟切草」が、スーパーファミコンの画像処理・音源をフルに生かしたコラボレーションで好評を博し、「サウンドノベル*1をゲーム界の新たな一ジャンルとして模索する試みが、急速に広まっていった。
 そして、それは18禁ゲームの世界も例外ではなかった。
 
 18禁ゲーム界におけるビジュアルノベルの原型としては、シルキーズ(エルフの姉妹ブランド)から発売された「河原崎家の一族」(1993年)、「野々村病院の人々」(1994年)等を挙げることができる。文章選択肢型アドベンチャーゲームという「箱」に、「ひとつのゲームに複数のシナリオがある」マルチシナリオという「中身」を入れ、かつCG、BGMや効果音をもゲームを盛り上げる一要素として意識したこれらの作品は、間違いなく「弟切草」の影響を受けたものであり、ビジュアルノベル18禁ゲームにおける萌芽を示すものだった。
 もっとも、「河原崎家の一族」「野々村病院の人々」の発売がただちにビジュアルノベルの急激な発展につながることはなかった。PC版18禁ゲームといえば、かつては「ゲーム」とは名ばかりでゲーム性が皆無の低レベルな「エロCG集」でしかなかった。そんな業界に一般ゲームにも負けないゲーム性を持ち込んで革命をもたらしたメーカーのひとつがエルフであり、「ドラゴンナイト」シリーズ、「同級生」シリーズ、「遺作」等のヒット作はその所産だったわけだが、それゆえに彼らは「従来型のゲーム性」へのこだわりを捨て切れなかったのである。
 その結果、彼らは「河原崎家の一族」「野々村病院の人々」で自らが示した新時代の可能性を、自分自身が見落としてしまった。エルフが製作するゲームは、その後もゲーム性の呪縛を離れることができず、ビジュアルノベル的ゲームを発展させる試みでは完全に遅れをとってしまったのである。(ビジュアルノベルの黎明期)
 
 18禁ゲーム界で「ビジュアルノベル」がひとつのジャンルとして明確に意識されるようになったのは、「」(1996年1月)、「」(1996年7月)、「To Heart」(1997年5月)の「ビジュアルノベル三部作」で鮮烈にデビューしたLeafの功績であることに、おそらく争いの余地はないだろう。1995年の創設当初はまったくの無名メーカーのひとつに過ぎなかったLeafだが、ビジュアルノベルに活路を見出して打ち出した前記三部作のヒットによって、見事メジャーブランドへのデビューを飾る。
 もっとも、「」「」「To Heart」は、三部作とはいってもかなりの幅がある作品だった。猟奇的・伝奇的な作風でマニア向けな評価がされていた「」「」の段階では、Leafの評価はあくまでも「意外といいゲームを出す」という程度にとどまっており、ビジュアルノベルというジャンルの基礎固めにはなっても、それ以上のものとはなっていなかった。Leafビジュアルノベルという枠すら越え、一気に18禁ゲーム業界の帝王にまで登頂せしめたのは、前二作とは打って変わった王道学園ドラマを基調とし、大衆受けする明るい作風で売り出した「To Heart」だった。 
 「」「」「To Heart」の微妙な関係は、結果として、業界におけるビジュアルノベルの位置付けを混乱させることになった。三部作といいながらも前の二作と最後の一作の作風は明らかに異なり、その中でも作風としては異端に当たる「To Heart」が圧倒的な比重を占めた結果、大衆は「To Heart」の成功をビジュアルノベルというジャンルそのものの将来性を示すものではなく、「To Heart」に内在する「何か」によるものと思い込んだのである。その結果導き出されたのは、「To Heart」人気の源泉となった「マルチ」シナリオの解析によって、その特徴として抽出されることになった「泣き」である。(ビジュアルノベルの発展期)
 
 「To Heart」以降、18禁ゲーム界においてもビジュアルノベルが全盛期を迎える。…だが、本来ビジュアルノベルとは小説仕立てのゲームであり、喜劇もあれば悲劇もあり、喜怒哀楽、その他人間のあらゆる感情を発露する手段たり得たはずである。ビジュアルノベルの発展の方向性が「To Heart」によって決定付けられたがゆえに、その後のビジュアルノベルというジャンルそのものは、「To Heart」の影響を受けて「泣き」に極めて大きな比重がかかる形で形成されていったのである。
 「To Heart」によって18禁ゲーム界の王者となったLeafだが、その後はスタッフの離合集散があったり、冒険的な路線が必ずしもプレイヤーの支持を受けられなかったりといった迷走もあり、その王座は決して磐石のものではなかった。しかし、そんなLeafを追って新たな王者の地位に就いたのも、Leaf以上に純化された「泣き」のシナリオを誇るKeyであったことから、ビジュアルノベルの栄華は頂点に達した。
 Keyは、もともとはTacticsという中堅ブランドで「ONE〜輝く季節へ〜」(1998年5月)を製作したスタッフたちが、ほぼ丸ごと移籍する形で立ち上げたブランドであり、1作目の「Kanon」が1999年6月発売であることからも、ビジュアルノベルとしてはかなりの後発にあたる。
 しかしながら、当時のビジュアルノベル界は、「WHITE ALBUM」(Leaf,1998年5月)、「加奈〜いもうと〜」(ディーオー,1999年6月)等、「泣き」の全盛期にあった*2。そんな中でKeyが送り出した「Kanon」は、「奇跡」を題材としつつも、その実は徹頭徹尾「プレイヤーの涙腺をいかにして破壊するか」という「泣きゲー」としての側面において、計算し尽くされた名作として認知されたのである。
 こうして、デビュー作でその実力を示したKeyは、やがて2作目の「AIR」(2000年9月)でその名声を不動のものとする。前作の「Kanon」は、「奇跡」を題材としつつ、全ヒロインの攻略という従来型マルチシナリオを踏襲し、さらにすべての物語の基本としてハッピーエンドを追求したがゆえに「わざとらしい」という批判も受けた。これに対して「AIR」は、「Kanon」からさらに発展し、あるヒロインの物語を中核に据え、「DREAM編」「SUMMER編」「AIR編」という重層的シナリオを採用することによって、その主題を深く掘り下げながら「泣き」を完成させるという手法を駆使するものだった。「AIR」は多くのユーザーに衝撃を与え、「泣きゲー」としてのビジュアルノベルはひとつの究極を迎えた。(ビジュアルノベルの繁栄期)
 
 しかし、「To Heart」に始まり「AIR」に至ったビジュアルノベルの発展は、あくまでも「To Heart」によって定義された「泣き」の延長線上におけるものに過ぎなかった。本来無限の可能性を持つべきビジュアルノベルであっても、単一方向のみからのアプローチによる発展は、必ず限界に行き着く。
 「AIR」以降のビジュアルノベル界において、それまで業界を牽引する役割を果たした「泣きゲー」は、長い停滞へと陥っていく。この時期にも無数のビジュアルノベルが送り出されたものの、それらは世界観やキャラの外形のみを踏襲した「劣化To Heart」「模造AIR」の域を出ず、オリジナルがもたらした衝撃や感動を再現するどころか、むしろそれらが使い古されるに比例して、次第に飽きられていった。
 「AIR」によってビジュアルノベル界の新たな覇者となったかに見えたKeyですら、ファンから「大空位時代」と称された4年に及ぶ空白の末にようやく発売された次回作「CLANNAD」(2004年4月)においては、シナリオそのものは「AIR」よりさらに長大になったものの、それがゲームとしての評価に比例することはなく、むしろ(「AIR」の時代よりはるかに舌が肥えた)一部のプレイヤーからは「陳腐・退屈なもの」と評価されるという形で敗北を喫している。おそらく、Keyのスタッフは、無限に肥大するプレイヤーからの要求に対し、「泣き」要素で「AIR」以上のものを応え続けることが不可能だと気付いたからこそ、「AIR」で成功させた重層的シナリオ構造をより複雑に発展させることで、プレイヤーから「泣き」要素だけではない評価を得ようとしたのであろう。しかし、そうした「CLANNAD」における技術面の試みは、あくまでもビジュアルノベルの副次的な要素に過ぎず、本末転倒になってしまったきらいは否めない。
 「To Heart」以降の「泣き」要素のみを中心とするビジュアルノベルは、明らかに行き詰まりを迎えていた。(ビジュアルノベルの停滞期)
 
 無論、その間、18禁ゲームビジュアルノベルに、「To Heart」に始まり「AIR」に至る流れ以外のものが存在しなかったわけではない。
 たとえば、「泣きゲー」のジャンルからは、当初の純粋な感動を目的とした「泣き」だけでなく、主人公とシンクロして苦悩を分かち合った結果として、あるいは己の無力さに涙を流すことを目的とする「鬱ゲー」のジャンルが分岐し、独自の発展を遂げている。
 20世紀末に、ノストラダムスの大予言による影響を受けたと思われる厭世的・絶望的世界観に基づくビジュアルノベルが多数出たのもその系統なら、「WHITE ALBUM」で認知された「ヒロインの間で揺れ動く主人公の苦悩」というテーマも従来の「泣きゲー」の域を超えた成長を見せ、「君が望む永遠」(アージュ,2001年8月)という形で大きく結実するに至る。
 しかし、この路線も同様の行き詰まりを見せ、業界の低迷の中でビジュアルノベル、否、18禁ゲーム全体の将来性を疑う声すら挙がっていた。狭いジャンル内におけるストーリーの袋小路は、当時、既に18禁ゲーム界の主流を占めるに至っていたビジュアルノベルというジャンルだっただけに影響が大きく、それが18禁ゲーム界全体の低迷につながったのである。
 そんな18禁ゲーム界の危機に颯爽と現れたのが、「Fate/Stay night」である。

 商業ブランドとしてのTYPE-MOONにとって、「Fate/Stay night」は処女作にあたる。もっとも、多くのユーザーにとって、TYPE-MOONは海のものとも山のものとも知れぬブランドでは既になかった。もともと同人サークルとして始まったTYPE-MOONは、同人ゲームという形で「月姫」(2000年12月)、ファンディスク「歌月十夜」(2001年8月)を大成功させた実績がある。
 そのTYPE-MOONが商業化を決断し、「歌月十夜」から数えて2年半に渡る空白の後に満を持して送り出したのが「Fate/Stay night」であった。「Fate/Stay night」は、構想の発表直後から「月姫」ファンはもちろん、そうでない層からの期待を集め、大作として注目を集めていた。
 とはいえ、大作として期待されていた作品が、いざ発売されてみると単なる駄作であることも珍しいことではない。しかし、「Fate/Stay night」についてはそのような懸念は無用だった。実際にプレーしてみれば、「月姫」でやや文語調で流麗な文体のシナリオライターとして知られるようになった奈須きのこの筆力は健在で、設定・ストーリーとキャラクターを見事に融合させていた。しかも、商業化によって技術の向上が伴い、衝撃的なOPムービー、戦闘シーンで多用される画面が動いていると錯覚するかのようなエフェクト、効果的な音楽・効果音など、いずれも極めて高いレベルでまとまっていた。
 「Fate/Stay night」は、ビジュアルノベルとして成功する最も基本的な要素を揃えていたのである。
 そして、ゲームを評価する場合、ほとんどのゲームでは少なくともひとつのルートくらいクリアしないと下せないものだろうが、「Fate/Stay night」の場合、最初のルートである「fate」の中盤最初のヤマあたりで、もうゲームとしての凄みを確信できてしまう*3
 
 このルートでの士郎は、正体不明の少女騎士「セイバー」とともに「アーチャー」、「ランサー」、「バーサーカー」、「アサシン」の各サーヴァントとの戦いを経験することで、聖杯戦争、そして戦いという名の殺し合いの厳しさを学んでいく。
 そんな士郎と「セイバー」に襲いかかるのは、士郎の同級生である間桐慎二と、彼のサーヴァント「ライダー」。一度は彼らの学校での陰謀を阻止したものの、復讐に燃える慎二と「ライダー」は士郎と「セイバー」に再度の強襲をかけ、ついに「セイバー」を士郎から切り離し、高層ビルの屋上へとおびき出すことに成功する。―それは、他のマスターやサーヴァントに自分の「切り札」となる宝具を見せることなく強敵「セイバー」を抹殺するために仕組まれた罠だった。
 「セイバー」を追い、ようやくビルの屋上へとたどり着いた士郎。すると、そこで展開されていたのは、士郎の想像を絶する光景だった。

「な―――」
 空を仰ぐ。
 翼の羽ばたく音。
 白い、おぼろげな月の姿より白すぎる何かがいる。
 
 それは。
 神話の中でしか聞いた事のない、伝説上の『神秘』だった。
 
「――――――天、馬……?」
 
 ライダーの宝具の正体。
 屋上を焼きつかせ、セイバーに膝をつかせているモノの正体がソレだというのか。
 ライダーはそのクラスどおり、天かける馬に騎乗していた―――

 馬キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
 
 それも、特製のイベントCG付きである。これほど直球勝負の「馬」は、我々が本・競馬サブカルチャー論で検討してきた通り、ジャンルを問わず名作であればあるほどあらゆる場面に馬をちりばめようとする傾向が強いサブカルにおいても他に類を見ない。
 士郎の目前に現れた「天馬」は、実は「ライダー」の切り札たる「宝具」ではない。「セイバー」を絶体絶命の危機に追い詰めた段階で、ようやく明らかになる彼女の真の宝具。それは…
 

「騎 英 の 手 綱」(ベルレフォーン)

 
 「(本来)優しすぎて戦いには向いていない」という天馬は、「ライダー」の宝具の発動によって獣性を滾らせ、「セイバー」を滅すべく、巨大な白い光となって襲いかかるのである…! これに対して「セイバー」も士郎を守るべく、彼女自身の宝具を発動し、最大奥義ともいうべき大技を繰り出す。…そして、その宝具によって士郎、そして我々プレイヤーは、それまで謎に包まれていた「セイバー」の正体を知ることになる。
 「Fate/Stay night」の勝利は、この瞬間に約束されていたと言っていい。このシーンは、間違いなく「Fate」ルートの中盤最初のヤマであり、また正ヒロイン「セイバー」の正体がプレイヤーの前に明らかにされるという超重要な局面である。その場において、そのものズバリの「天かける馬」が起用されているのは、スタッフの馬に対する高いリスペクトの賜物としか考えられない。馬に対する破格の扱いは、TYPE-MOONのスタッフが馬という生物に対して深い理解と高い見識を有していることの証左にほかならないのである。

 この付近までゲームを進めてきたプレイヤーは、そろそろ「Fate/Stay night」の本質に気付き始める。それは、彼らが当時慣れ切っていた「泣きゲー」型ビジュアルノベルとはまったく異なる世界。どこかで見たような遠い既視感―少年時代だけの懐かしい記憶―を刺激するこの世界は、自分たちが幼い頃に読んでいた少年漫画で、まさに彼ら自身が支持し、熱狂し、そして愛してきた輝ける思い出ではなかったか…?
 「Fate/Stay night」の主人公である士郎は、ゲーム開始当初、魔術師としての能力は皆無に近い。しかし、自覚もないまま聖杯戦争に偶然巻き込まれた士郎は、命を賭けた戦いの中でひたすらに努力して己を磨き、自らのサーヴァントである「セイバー」や彼に協力を申し出るヒロイン「遠坂凛」らと友情・愛情を育み、時には敵でありながらも侠気のある者と協力し、犠牲を出したりもしながら、それらの苦難を乗り越えて成長し、最後の勝利へ近付いていく。それは、現在の18禁ゲームを支える年齢層が少年だった1980年代に黄金時代を迎えていた少年漫画界で特に好まれていた「燃え」の王道を地で行くストーリー構成といえる。
 このような「燃え」の世界をビジュアルノベルで正面から展開したこと―それが、「Fate/Stay night」大ヒットの理由であり、また勝因である。従来の「泣き」を原点に発達してきた18禁ビジュアルノベル―まず「泣きゲー」という定義が決し、その定義に基づいて「いかに泣かせるか」という過程を組み上げてきた「泣きゲー」とは、その出発点が違う。いかに読み手の血を沸き立たせ、肉を躍らせるかという「燃え」を出発点とする「Fate/Stay night」は、当時の18禁ビジュアルノベル界の情勢の中では極めて斬新な世界だったのである。
 「燃え」を基調とするストーリーは、本来ならば、漫画界のみならずアニメ界、そしてゲーム界においても一般的なものに過ぎない。18禁ゲーム界における「燃え」ゲームとしては、アリスソフトから発売された「Only You〜世紀末のジュリエットたち〜」(1995年12月)が名高い。「ガンダム」シリーズの最高傑作であり、「燃えアニメ」といわれれば必ず名前が挙がる「機動武闘伝Gガンダム」を、18禁ゲーム的にインスパイヤしたといわれるこの作品もまた熱血、すなわち「燃え」をテーマにしている。だが、他のジャンルにおいてはそれほどに使い古された少年漫画的熱血世界は、こと18禁ビジュアルノベル界においては、路線を突き詰めるどころか、そのような発想で製作されたものすらほとんど存在しなかった。
 このことは、18禁ビジュアルノベル界の発展期において主流を占めた、「To Heart」に始まり「AIR」に至る「泣きゲー」の幻影がいかに堅固なものであったかを物語っている。「泣きゲー」を作っておけば売れる―そんな時代は、その裏で他のジャンルの発展を阻害し、18禁ビジュアルノベルの発展の限界をも示していた。「泣き」だけでは、もはや新たな地平を見出すことはできない。閉塞感とともに衰退しつつあった18禁ビジュアルノベルは、次々と現れる敵に成長する主人公とその仲間たちが立ち向かうという「Fate/Stay night」の成功により、ようやく「To Heart」以降の「泣き」の幻影から解き放たれたのである。(ビジュアルノベルの復興期)
 
 「泣きゲーでなくても、面白いものを作れば売れる」
 「Fate/Stay night」は、そんな当然過ぎるほど当然の摂理を18禁ビジュアルノベル界に甦らせた。その後の18禁ビジュアルノベル界は、もはや「泣き」にとらわれず様々な喜怒哀楽の世界が花咲くようになった。業界における文化の多様性を復活させたことこそ、「Fate/Stay night」が18禁ビジュアルノベル、そして日本の18禁ゲームにもたらした最大の功績といえよう。「Fate/Stay night」は、間違いなく歴史のひとつのターニングポイントとなったのである。
 「Fate/Stay night」における「燃え」の雰囲気自体は、「セイバー」対「ライダー」の決戦以前からプレイヤーに少しずつ示されていく。士郎と「セイバー」との邂逅、最強の敵「バーサーカー」や魔剣士「アサシン」との遭遇戦―いずれも「燃える」展開である。だが、プレイヤーがそれを決定的に受け止めることができるのは、やはり「人外の力を持つ」サーヴァントたちが奥の手である「宝具」を激突させるようになった後のことであり、その第一弾は「ライダー」と「セイバー」の宝具決戦なのである。このシーンに馬を持ってくるとは、TYPE-MOONは馬の使い方を実によく知っている。よほどの深い理解と高い見識なくして、できることではない。「ライダー」と「セイバー」の宝具決戦は「fate」だけでなく、最終ルートの「Heaven's Feel」でも形を変えて展開されるから、なおさらである。

 もっとも、馬に対して深い理解と高い見識を有するTYPE-MOONのスタッフの姿勢ゆえに、我々プレイヤーに対して厳しい要求として突きつけられたものもある。それは、ゲーム中のサブヒロインの位置付けである。
 「Fate/Stay night」における3ルートのヒロインは、「fate」が「セイバー」、「Unlimited Blade works」が遠坂凛、そして「Heaven's Feel」が魔…もとい、間桐桜とされている。しかし、その他のサブヒロインとして彼女たち以外にイリヤスフィール・フォン・アインツベルン(ロリっ娘)、藤村大河(「藤ねえ」こと「タイガー」)がおり、ファンからは彼女たちのルートを切望する声が存在していた。にもかかわらず、彼女たちのルートが実装されることはなかった。特に、タイガーは3ルートのいずれでも後半は空気と化してしまう。彼女の最大の活躍の場は、選択肢を誤ってバッドエンドを迎えた時にその原因を教えてくれる「タイガー道場」というおまけコーナーの司会役である。
 タイガーは、皆に愛されている。全ルートで後半は空気と化しているにもかかわらず、アニメ版では中の人として現ロサ・キネンシスを起用されるほどに圧倒的存在感を放っている。
 
 しかし、イリヤとタイガーは、大きな過ちを犯していた。「タイガー道場7」で、藤村大河イリヤの問いに対して

「きかぬ! 怖い話と競馬の話はだいっ嫌いでござる!」*4

と、とてつもない失言をしてしまったのである。これは、失言をしたタイガーと、不用意な問いかけでそれを引き出してしまったイリヤの罪である。この罪があっては、馬に深い理解と高い見識を示すスタッフの逆鱗に触れて出番を削られ、また独自ルートを奪われてしまっても仕方がない。
 もしもイリヤ・ルートやタイガー・ルートをも実装していたとすれば、「Fate/Stay night」の売上はもっと増えていたに違いない。しかし、TYPE-MOONは妥協しなかった。自らの仕事に矜持を持ち、馬に対して正当なリスペクトを払う彼らに製作されたからこそ、「Fate/Stay night」は名作の域を超えてひとつの文学たり得ている。そんな彼らがイリヤとタイガーの過失を重大に受け止め、その結果イリヤ・ルートとタイガー・ルートの実装を拒否し、さらに物語の中核に関わる場面からタイガーの出番を削ったというのである。我々はそれを受け入れるしかない。彼女たちは、馬に対する敬意の欠如ゆえに、馬と正しく接することで「fate」ルートのみならず「Heaven's Feel」ルートでも見せ場を確保した「ライダー」の前に敗れ去ったのである。

 これほどまでに厳しい姿勢で製作された「Fate/Stay night」である。大成功することは当然の宿命だった。人気サブキャラですら泣いて謖を切る覚悟を示すほど、自らに対して正しい敬意を払った作り手に対し、馬頭観音も加護を与えないはずがない。こうして時代の潮流、スタッフの実力、そして馬の加護まで得た「Fate/Stay night」には、畏れるものなど何もなかったのである。
 その時、歴史は動いた。
 「Fate/Stay night」は、18禁ビジュアルノベルに「燃え」を持ち込むことでこの業界の未来が「泣き」だけでないことを示し、さらに「燃え」でプレイヤーをさんざん引き込んだ末に、シナリオのクライマックスで壮大な「泣き」まで持ってくる。これほどの「Fate/Stay night」が、かつての名作を単に模倣しただけの凡作…プレー中から作り手の「さあ泣け、お前ら、これで泣くだろう」という浅薄な狙いが明らかなものに慣らされてきたプレイヤーに対してディープインパクトをもたらし、21世紀型18禁ビジュアルノベルの極北となることは、もはや歴史的必然であった。「Fate/Stay night」は、作品自体のクオリティだけでなく、時代の流れにも乗ってビジュアルノベルの歴史を変える名作となった。
 そんな「Fate/Stay night」の底流に流れているのは、スタッフの馬に対する深い見識と高い理解である。彼らの姿勢は、物語の中でも屈指の重要な場面にそのものズバリの馬を起用するという積極的な形だけでなく、失言とはいえ競馬を悪く言ったサブヒロインには、その圧倒的な魅力と人気を犠牲にしてまでも単独ルートを消し、さらに出番そのものを減らすほどであった。これほどの厳しさで馬に対する忠誠を示したTYPE-MOONに対し、馬もまた加護をもって応えた。その結果が、「Fate/Stay night」に対する我々の圧倒的賞賛だったのである。
 「Fate/Stay night」の大ヒットにより、18禁ビジュアルノベルの可能性が「To Heart」以降の「泣きゲー」における「泣き」に限定されるものでないことは天下に証明され、その後は「燃え」を含めて従来のスタイルにとらわれない自由な形式のビジュアルノベルが次々と発表され、18禁ビジュアルノベルは真の発展を遂げようとしている。もしこの世に「Fate/Stay night」が存在しなければ、18禁ビジュアルノベル界は「To Heart」や「AIR」の呪縛を脱することができないまま、「劣化To Heart」「不純AIR」を量産した挙句に飽きられ、見捨てられ、衰退していったことだろう。その意味で、「Fate/Stay night」は18禁ビジュアルノベルの救世主であった。
 
 馬の素晴らしさを理解する者は、時には人を救い、時には産業を救い、また時には世界をも救う。馬が果たした役割の大きさは、かくも計り知れない。
 そこに馬がいたから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:ぺ)

要旨1:『Fate/stay night』論
 1980年代様式・少年漫画的な「燃え」の世界をビジュアルノベルで正面から展開した「Fate/Stay night」は、停滞期に陥っていた18禁ビジュアルノベルを「泣き」の呪縛から解放し、ジャンルの多様性を復活させたという意味において、18禁PCゲーム業界の歴史的転換期を担った作品である。
 
要旨2:18禁ゲーム/ビジュアルノベル史観(試論)
―混沌から「泣きゲー」「欝ゲー」「燃えゲー」、そして多様性への回帰
 ・前 史 (1992年)
  「弟切草
 ・黎明期 (1993-1994年)
  「河原崎家の一族」「野々村病院の人々」
 ・発展期 (1996-1997年)
  「雫」「痕」「To Heart
 ・繁栄期 (1998-2000年)
  「ONE〜輝く季節へ〜」「WHITE ALBUM」「加奈〜いもうと〜
  「kanon」「AIR
 ・停滞期/大空位時代 (2001-2004年)
  「君が望む永遠」「CLANNAD
 ・復興期 (2004年-)
  「Fate/stay night
 
要旨3:馬と『Fate/stay night
 「Fate/Stay night」成功の背景には、「馬」を直球勝負で登場させるばかりか、競馬を冒涜するキャラクターに対しては「泣いて馬謖を切る」覚悟を示すほどの、TYPE-MOONスタッフによる馬に対するリスペクトがある。自らに対して正しい敬意を払った作り手に対し、馬頭観音も加護を与えないはずがない。

関連文献として、
・競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20060406/p1
・競馬サブカルチャー論・第09回:馬と『河原崎家の一族 2』
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20041224/1103821200
・競馬サブカルチャー論・第08回:馬と『同級生』
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20041219/1103443200
美少女ゲームパラダイムは4年で交代する〔仮説〕
 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060406/p1 (博物士)
・競馬サブカルチャー論・第13回:馬と『機動武闘伝Gガンダム』(上)
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20050317/1111046400
・競馬サブカルチャー論・第14回:馬と『機動武闘伝Gガンダム』(中)
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20050504/1115177400
・競馬サブカルチャー論・第06回:馬と『華の嵐
 http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20040619/1087656900
を挙げておきたい。

 ※はてなブックマークへの捕捉に触れました。ありがとうございます。
 ※本論に対する批評として、
 http://fairydoll.net/log/200604_2.html#060416
 http://d.hatena.ne.jp/kosonetu/20060417
 http://lab.vis.ne.jp/tsukihime/ (2006年5月4日付コメント)
 http://ilya0320.blog14.fc2.com/blog-entry-586.html
 http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/ (2006年5月6日付)
に触れました。ありがとうございます。
 ※本論の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されないはずの商品に関するものを含みます。

Fate/Stay night DVD版

Fate/Stay night DVD版

Fate/hollow ataraxia 通常版(DVD-ROM)

Fate/hollow ataraxia 通常版(DVD-ROM)

Fate/stay night ORIGINAL SOUNDTRACK

Fate/stay night ORIGINAL SOUNDTRACK

Fate/hollow ataraxia ORIGINAL SOUNDTRACK

Fate/hollow ataraxia ORIGINAL SOUNDTRACK

THIS ILLUSION

THIS ILLUSION

Fate / hollow ataraxia テーマソング「hollow」

Fate / hollow ataraxia テーマソング「hollow」

Fate/stay nightイメージアルバム「Wish」

Fate/stay nightイメージアルバム「Wish」

Fate/another score-super remix tracks-

Fate/another score-super remix tracks-

disillusion

disillusion

Fate / stay night EDテーマソング「あなたがいた森」

Fate / stay night EDテーマソング「あなたがいた森」

Fate/stay night 2 [DVD]

Fate/stay night 2 [DVD]

TVアニメ版「Fate/stay night」DVDシリーズ

*1:ビジュアルノベル」と同義。もともとはこのジャンルを「サウンドノベル」と呼ぶ向きが多かったが、商標登録の関係で現在では「ビジュアルノベル」という呼称が主流となっている。

*2:前者の「WHITE ALBUM」は、後述する「鬱ゲー」の起源としての流れも汲んでいるが。

*3:Fate/Stay night」は、「fate」「Unlimited Blade works」「Heaven's Feel」という三つのシナリオから構成されている。

*4:これに関連して、「藤ねえは誰よりも深く馬を愛し、そしてもっとも馬への愛深きゆえに墜ちた」と情状酌量を求める愉快な論考として、http://fairydoll.net/log/200604_2.html#060416 に触れた。感動を禁じ得ない。必読。ただし、競馬好きに限る。

第8回中山グランドジャンプ(J・GI)直前展望―MilkyHorse.com本紙による分析と展開

 今年の中山グランドジャンプ(JGI)は、欧州勢こそアンジュドゥボモンの調教中の骨折で不在となったものの、15頭の多頭数な上に出走馬のほとんどが一発あって不思議ないメンバーで、なかなかに難解なメンバー。昨年のこのレースの勝ち馬カラジと、昨年の中山大障害勝ち馬テイエムドラゴンをどう評価するかがポイントとなるだろうか。
 
 http://keiba.yahoo.co.jp/scores/2006/06/03/07/11/denma.html
 
 馬場状態も読み切れないだけに難しいところだが、中心は昨年のこのレースの勝ち馬◎カラジとする。昨年のこのレースはまさに完勝と言っていい内容。今年も豪州の平地戦を叩きつつ調整され、前哨戦のペガサスジャンプS2着からのローテーションは昨年とほぼ同じ(昨年はペガサスジャンプS3着)。父がカヤージ(代表産駒のイルドブルボンは不良の若葉Sを圧勝したミナモトマリノスや秋の福島の荒れ芝で福島記念を勝ったシルクグレイッシュを輩出)なら馬場が渋ってもまったく問題ないはずで、ここは信頼できそうだ。
 相手は極めて難解も、少しひねって○メジロオーモンドを狙ってみたい。前走の中山大障害こそ大敗も、本来中山コースは大得意の馬。その大敗の前走は調整ミスで太目が残ったのが敗因だけに度外視してもよさそう。ここは休み明けの一戦も、鉄砲実績も十分だし、中間の調整過程から今回はきっちり仕上がっていそう。すんなり先行できれば一発あってもおかしくはない。
 もちろん、同じメジロ勢の▲メジロベイシンガーもチャンスは十分だろう。前走の中山大障害は3着に終わったものの、これは力負けというよりはテイエムドラゴンの出し抜けにやられた感が強い。メジロオーモンド同様それ以来のレースとなるが、こちらも鉄砲は問題なし。好位で折り合う形から、強気に抜け出しを図れば押し切りのシーンがあっておかしくはない。
 そのほかにも伏兵は多彩だが、面白そうなのは△バルトフォンテン。デビュー以来1戦毎に力をつけ、前走の阪神スプリングジャンプ(JGII)ではテイエムドラゴンの3着。阪神に遠征していっての0.5秒差なら、テイエムドラゴンとの差はほとんどないといってもよさそうで、地元の中山に戻れば逆転まであってもおかしくはない。中山コースの仕掛けどころを熟知する横山義行騎手というのも心強いし、戸田厩舎は先週桜花賞(GI)を勝っているだけに勢いもある。これは侮れない1頭だろう。
 もちろん、おなじみの△マイネルオーパー、△テレジェニックの関東の古豪も有力なのは間違いない。ただ、これまで大一番では善戦止まりを繰り返しているだけに、勝ちきるには展開の助けが必要となるのではないか。それならば、人気はないが昨年暮れの中山大障害で見せ場を作った△マイネルユニバースも面白そう(先日急逝した父メジロマックイーンのためにも頑張ってもらいたい)だし、連闘ながら中山コースに滅法強い△ローレルデフィーも侮れない。
 人気のテイエムドラゴンは、昨年暮れの中山大障害圧勝が評価されているが、あれは白浜騎手の絶妙なタイミングでの仕掛けが嵌った面もある。前走の内容を見ても、能力的にはあくまでも有力馬の一頭というべきで、人気の割には妙味がなさそう。もちろん勝ってもおかしくはないが、二走前に鼻出血をした影響も心配だし、ここは思い切って軽視したい。
 ほかでは、アズマビヨンドは、ベストの乗り方をした暮れの中山大障害が善戦どまりの6着で、中山コースではあそこが精一杯だろう。中山大障害2着のメルシーエイタイムは、あの時は展開が嵌った間もあるが、それ以来となった今季初戦の阪神スプリングジャンプ4着の内容はそう悪くなく、印は回らなかったものの、今回もそこそこ以上にはやれそう。アインオーセンも力をつけてきているものの、先行の利を生かしてもここは善戦どまりか。他の外国馬では、フォンテラがペガサスジャンプSの内容が悪すぎで、昨年の経験から距離延長も歓迎とは言えないだけに。むしろマーロスの方が一回使った上積みと距離延長は歓迎と思われるだけに、馬場が渋って時計がかかれば変わってくるかもしれない。(文責:ま)

昨年逝去されていた―故・清水英次騎手のこと

 芦屋有香さんのブログ「芦屋有香な日々」だが、MilkyHorse.comトップページに引かれている見出しに、懐かしい清水英次騎手の名前を見付けた。そこで、さっそく拝見したところ、清水騎手が昨年逝去されていたことを知り、驚愕した。

関係者でも知らない人が多いかもしれない。
清水さんは亡くなるとき
誰にも知らせないで欲しいと言ったそうだから。
http://ashiyayuka.exblog.jp/3213695

 清水英次騎手といえば、最近の若いひとは知らないかもしれないが、トウメイ・テンメイの天皇賞親子制覇の手綱を取った名手である。私も往時のことはさすがに知るはずもない。それでも、私が競馬にハマり始めた頃も、ナリタタイシンラジオたんぱ杯(GIII)を制したり*1ナリタブライアンがきんもくせい特別を勝ったときの手綱を取ったり、と要所要所で好騎乗を見せていた。そのベテランらしい渋みのある、そして迫力のある追い込みは、なかなかに格好いいものであった。
 その後、落馬事故に遭ったことは私も知っており、リハビリに努めているという話も耳にしていたのだが、まさかお亡くなりになっていたとは。享年58歳。謹んで、ご冥福をお祈りしたい。
 
 騎手を引退した後、調教師や助手になった人はまだしも、それ以外の人はそこそこ活躍した人でも、まったく消息が分からなくなってしまうのは残念の極みである。もしも現役時に付き合いのあったマスコミ関係者がいるのならば、こういう人たちの消息をファンに伝える努力もしてほしい。決して派手な活躍をしたわけではない騎手にも、少なからずファンがいるのだから。(文責:ま)

cf.―鬼脚、閃光のように「ナリタタイシン列伝」 (Retsuden.com)
http://www.retsuden.com/vol58.html (BGM自動再生)

cf.清水英次さん安らかに (白線の内がわ)
http://wave.ap.teacup.com/mizukami/144.html

*1:むしろ、ナリタタイシン武豊騎手に乗り替わったときは、個人的には「鞍上弱化」だと思っていたくらいだ。

競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜

 この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
 「俺たちは登り始める。長い、長い坂道を。」「―春。ありふれた学園生活から始まる、人と町の物語。」―馬は、常に人間の傍らに在る。
 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載は、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
 
Visual Art's/Key 『CLANNAD』 より―
 
*1
 「CLANNAD -クラナド-」は、2004年4月28日にゲームブランドKeyから発売された全年齢対象の恋愛アドベンチャーゲーム(恋愛ADV)である。Tactics作品「MOON.」(1997年)、「ONE〜輝く季節へ〜*2 (1998年)の制作スタッフによって設立されたKeyは、1999年6月に発表した第1作「Kanon*3の大成功によって名声を確立すると、翌2000年9月には第2作「AIR*4を発表し、PC美少女ゲーム業界のトップブランドとしての地位を不動のものにした。本作は、そのKeyが約3年半もの開発期間を経て、満を持して送り出した第3作目のタイトルである*5

 1992年に発表された「同級生」(elf)がマルチエンディング方式を大々的に採用したことによって恋愛SLG・恋愛ADVないし美少女ゲームという分野が成立し、性的描写のみが単純に好まれた従前の18禁PCゲームからの進化が始まった経緯については、本・競馬サブカルチャー論においても既に触れたところである*6 *7 *8。さらに恋愛ADVは、シナリオ性重視という着想を得た上で、文章と画像と音楽という三大要素の融合を実現させた「」(Leaf,1996年)、「」(Leaf,1996年)によってビジュアルノベル*9への分岐を遂げると、「To Heart」(Leaf,1997年)における『マルチ』*10シナリオを萌芽とし、先述の「ONE〜輝く季節へ〜」(Tactics,1998年)、そして続く1999年*11のKeyブランド「Kanon」によって、恋愛ADVでありながら性的描写中心から脱却して、プレイヤーを感動させる(又は泣かせる)シナリオを主要素とする、いわゆる"泣きゲー又は感動系"というジャンル*12を確立するに至った*13
 しかし、こうして成立した"泣きゲー又は感動系"においては、プレイヤーの「感動」を呼び起こすシナリオ構成が最優先される結果、そこで刺激されるべきプレイヤーの感情は、性的衝動との両立に馴染まない類のものとなる確率が極めて大きい。その当然の帰結として、従来の18禁ゲームにおいて必須とされてきた性的描写の存在意義が、"泣きゲー又は感動系"においては大きく揺らぐことになる。また、「感動」を呼び起こすシナリオ構成は、プレイヤーにどのような性質の「感動」を呼び起こすかを意図していく過程において、作品としての世界観ないし主題(テーマ)の集約が欠かせなくなっていき、受け皿としてのマルチエンディング方式をも動揺させることになる。18禁ゲーム、ひいては恋愛ADVから派生したはずの"泣きゲー又は感動系"というジャンルに内包された、このような矛盾を先鋭化させたのが、Keyによる一連の作品群である*14
 
 Tactics時代の「ONE〜輝く季節へ〜」によって提示された独特の世界観"えいえんのせかい"*15の余韻も冷めやらぬ*16中、発表されたKeyブランド第1作「Kanon」は、雪の降る街を舞台にした―"思い出"に還る―小さな奇跡の物語を描写しており、恋愛ファンタジー*17の体裁を(少なくとも表層的には)整えたマルチエンディング作品である。その人気は根強く、最近でも京都アニメーション制作による二度目のTVアニメ化が決定し、2006年秋からBS-iにて全24話放映されることが発表されたばかりである*18
 続くKeyブランド第2作「AIR」は、さすらいの人形遣いの青年が海辺の田舎町で偶然出会った少女達と紡ぐひと夏の物語を描写するが、その表現技法はファンタジーから一歩離れてマジックリアリズム*19を志向しており*20、また、外見上はマルチエンディング方式でありながら実質的にはトゥルーエンディング方式*21への回帰を顕わにする*22など、もはや恋愛ADVの枠に収まりかねる*23衝撃的*24 *25な作品となっている。2005年に放映されたTVアニメ版も好評を博し、DVDの売上数も2005年アニメDVD売上ランキング年間2位*26になったことは記憶に新しい。
 
 これら諸作品を通じて、Keyの提示するシナリオは、恋愛関係の成就によって完結(エンディング)するという、従来恋愛ADVの定式とされてきた枠組みからの脱却を徐々に進める。Tactics時代の「ONE〜輝く季節へ〜」によって、恋愛成就後も物語が発展していく可能性*27は既に提示されていたが、「Kanon」は恋愛関係が成就した後も物語を実際に若干続けて、「現実逃避しても、そこから脱却し、過酷な現実を受容*28もしくは克服*29する」という主題*30を、多層的なシナリオ構成によって暗示することを試みた*31。そして、「AIR」に至っては、恋愛関係の成就そのものが問われなくなるだけでなく、「現実逃避していなくても、克服することができなくても、過酷な現実を受容*32せよ」と、より先鋭化した主題を明示*33するところまで踏み込んだのである。
 また、これらKeyの諸作品では、18禁ゲームの18禁たるゆえんだったはずの性交描写*34も禁欲的の一途をたどる。「ONE〜輝く季節へ〜」はともかくとして、「Kanon」では恋愛の通過儀礼としての性交描写はヒロイン5人のうち1人でしか必須とされず、「AIR」に至っては、トゥルーエンディングに際して性交から生殖行為以外の意味合いが排除されている*35。それまでも、18禁PCゲームを全年齢対象コンシューマーゲームへ移植する際に性交描写が削除されることはあったが、18禁ゲームの段階でここまで禁欲的なのは珍しい。
 
 こうして性交描写が大幅に後退し、恋愛関係成就だけでカタルシスに届くこともなくなっていく中で、先述した「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題を達成(エンディング)するためにはどうすべきなのだろうか。自らのこうした問題提起に対する解答として、Keyは「Kanon」と「AIR」を通じて、恋愛から次の段階に踏み込んだ人間関係(コミュニケーション)、すなわち"「家族」になる"*36ということを模索し続けた*37
 「Kanon」における家族像は、従来型恋愛ADVの定式通り万能の母性*38が強調されていたため、父性の希薄が顕在化することは少なく*39、家族に欠缺が生じてしまっていること*40が問題化するに至らなかった。と同時に、「Kanon」では、血縁関係がない人と人とのつながり方として、「恋愛関係になる」だけでなく「家族になる」という選択肢があり得ることを初めて示唆している*41
 そして、「AIR」で描かれた家族像には、どのシナリオにおいても常に家族の誰かが欠けているという状況設定が施されていた*42。子だけが存在し、父と母の双方が不在―そこまで徹底的に欠落した状況設定から「AIR」の各シナリオは物語が始まり、血の繋がる者同士が家族として再生しようとする、あるいは血の繋がらない者同士が家族になろうとする模索と葛藤を描写していく。その結論(エンディング)として、「AIR」で到達することが許されたのは、血の繋がりの有無にかかわらず女性が「母」になるところまでだった。「AIR」に登場する男性は、逃げ出すにせよ、失敗するにせよ、主人公を含めて全員、「父」になることができなかったのである*43。このエンディングは従来型恋愛ADVの定式に照らし合わせると極めて難解なものであり、そこにたどり着いたプレイヤーを驚愕させるとともに、嘆息させ、そして筆舌しがたい喪失感をもたらして余りあるものだった。
 
 この「AIR」による衝撃が決定的な契機となり、従前にも増して、「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」を三部作的に把握し、その共通性や相互関係を解釈しようとする試みが、一部のファンの間で熱心に行なわれるようになっていく。そうした時代状況の中で、2001年10月11日、「AIR」に続くKeyブランド第3作―実質的には第4作―として制作が発表された*44のが、本論で紹介する「CLANNAD」である。

 「CLANNAD」は、タイトルの由来がゲール語で「家族」を意味する*45ことからも明らかな通り、これまでのKey諸作品が一貫して模索し続けてきた、「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題と、その達成方法(エンディング)として"「家族」になる"という解答の両方について、真正面から提示するという決意の下で書き下ろされた大作である。
 本作のシナリオ構成は、実に文章量が前作「AIR」の約2.3倍にまで膨らんでおり、登場人物の老若男女全員にエンディング(17通り以上)が用意され、すべてのエンディングを経由した後でなければトゥルーエンディング(AFTER STORY3周目)に到達できないという徹底振りである。所要プレイ時間はPC版で40時間以上、PS2版に至っては約200時間が公称されている。
 
 かくも長大なボリュームを通じて物語られるのは、最短で1ヶ月、最長で8年というスケールで繰り広げられる"人と人とのつながり(絆)"である。従来の恋愛ADVにおいては、いったん個別シナリオに分岐してしまうと、とたんに主人公と二人だけの世界に閉じ込められてしまい、他者との関わり合いが遮断された歪な展開になりがちだった。ところが、この「CLANNAD」では、個別シナリオに分岐した後も他の登場人物が役割に応じた活躍・関わり合いを見せてくれる。その結果、「CLANNAD」の世界は閉じられたものにはならず、物語を左右する鍵を握るのが主人公とヒロインの二人だけに限られることはない。主人公と個別シナリオのヒロインだけでなく、他のシナリオでヒロインを演じる登場人物をはじめとする周囲の人々との有形無形の関わり合いがあって、はじめて主人公たちは「長い、長い坂道」を登り続けることができるのである。
 そして、この「長い、長い坂道」を一緒に登るのは、主人公とヒロインの二人とは限らない。このことは、登場人物の老若男女全員にエンディングが用意されている本作のシナリオ構造からも明らかである。となると、そこで描かれる人と人とのつながりは、恋愛の枠に到底収まり切るものではない*46。本作は恋愛ADVであるにもかかわらず、最初から非18禁―全年齢対象版で発売することによって、シナリオの幅を逆に広げてみせることに成功している*47
 
 「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題の取り扱いについても、今回の「CLANNAD」は大きな進展を見せた。
 前々作「Kanon」では、その受容か克服という選択肢が択一的に並んでいたことから、「過酷な現実を受容できないのなら、それを拒絶(=克服)してしまえばいい」とミスリードして、プレイヤーの無意識のうちに現実逃避を肯定させかねない余地を残してしまった。他方、前作「AIR」においては、逃避する以前に、登場人物は物語世界の真実(現実)を直視する―知ることすら許されなかった。にもかかわらず、「過酷な現実をあるがまま受容するほかない」と結論付けた「AIR」トゥルーエンディングのメッセージ性は、プレイヤーをとにかく力業で感情的に突き放すという側面が大きく、読み手を思考停止させかねない危うさがつきまとった*48
 これら「Kanon」「AIR」両作品に残された懸案を一挙に解消するべく、「CLANNAD」が提示した主題は、「現実逃避しても、そこから脱却しなければならない。過酷な現実を直視し、受容することによって、はじめて克服することができる」という明快なものである。
 ここで、「CLANNAD」は"光を集める"という行為を媒介として採り入れ、各登場人物の言葉や想いが積み重なっていく―"人と人とのつながり"のありさまを描写し、この集大成的な主題と、マルチエンディングの果てとしてのトゥルーエンディングを関連付ける作劇上の綱渡り*49に成功している。ただし、これは文字通りの「綱渡り」である。制作側の意図したこの作劇上の綱渡りを確実に読み取るためにも、「CLANNAD」については、公式ビジュアルファンブック(ISBN:4757720254)の推奨通り*50
→(01)相楽美佐枝シナリオ →(02)坂上智代シナリオ →(03)宮沢有紀寧シナリオ →(04)藤林椋シナリオ ※省略可 →(05)藤林杏シナリオ →(06)柊勝平シナリオ →(07)春原芽衣春原陽平シナリオ →(08)一ノ瀬ことみシナリオ →(09)伊吹風子シナリオ →(10)幸村俊夫シナリオ →(11)古河渚シナリオ →(12)AFTER STORY 1周目...
の順にプレイすることを個人的にもお奨めしたい*51
 もちろん、「CLANNAD」のシナリオがすべて完璧というわけではない*52。個別シナリオに対するプレイヤーの意見も手放しの賞賛ばかりではなく、賛否両論が微妙かつ複雑に入り混じっているのが現状である*53。しかし、賛否を問わずプレイヤーの間で様々な論争を引き起こす力があるというだけでも、「CLANNAD」に訴求性があることは明らかである。
 
 ところで、Key諸作品においては、オープニングテーマ曲の歌詞に込められたレトリックを見落とすことができないというのも、有名な話である。たとえば「Kanon」では、主題歌「Last regrets*54が流される冒頭で、歌詞によるゲーム主題の暗示*55が既に始まっており、「AIR」のオープニングムービーでは、主題歌「鳥の詩」の歌詞と登場人物紹介をはじめとする画が完全にシンクロして、物語世界の一部を構成していたほどである*56
 その手法は、「CLANNAD」の主題歌「メグメル」においても、トリッキーといえるくらい存分に活用されている。「Kanon」と「AIR」の場合、1番の歌詞のみが採用され、2番以降の歌詞はオープニングムービーでは省略されていたのだが、「CLANNAD」は、一部カットこそあるものの、2番以降最後の歌詞までをオープニングムービーに取り込んでしまった。この違いを見過ごしてはならない。

透き通るを見ていた

柔らかい永遠

風のような微かな声が

高いから

僕を呼んでいる

  
このまま飛び立てば

どこにだって行ける

  
の中揺らめいた

言葉想いも全部

残さず伝えて きっと

(Mystery...to...)

 
CLANNAD」オープニングテーマ『メグメル』より*57

 ゲーム冒頭から謎に包まれていた、冬の日の『幻想世界』―。そして、それが始まるとき*58CLANNAD(光)という物語も真の幕開けを告げる*59。その先にあるのは、ONE(永遠)の向こう側。Kanon(夢)の向こう側。そして何よりも、AIR(空)の向こう側である*60 *61
 
 「永遠」「夢」「空」「家族」「願い」「約束」「奇跡」「さようなら(さよなら)」―。
 これらの、Key全作品を論じる上で避けては通れない命題について、「CLANNAD」の到達点はどこにあるのだろうか。そして、「CLANNAD」の登場人物たちは、"「家族」になる"*62―女性が「母」となり、男性が「父」となる―こと*63を、ついに許されるのだろうか。それを見届けることは、私たち1人1人に与えられた課題である。

 ちなみに、「CLANNAD」に馬は登場しない。しかし、馬が出てくるかどうかは、競馬サブカルチャー論にとって本質的な問題ではない。
 なぜならば、競馬が人生の比喩なのではない。人生が競馬の比喩なのだから*64。だからこそ、この世界は美しい。人の紡ぎ出すあらゆる物語が競馬の比喩に過ぎない以上、人と人とのつながりを描いた壮大な物語である「CLANNAD」の世界観にもまた、この馬を通して出る力が宿っていることを疑う余地はないのである。
 ここで、いま一度、本論冒頭で掲げた「CLANNAD」のプロローグ・シーンを想い起こしていただきたい。

桜の花が咲き香る長い坂道を、少女が少年と一緒に登り始める―。

 たとえ見えなくても、そこに馬はいるから。馬は、常に人間の傍らに在る―。
 (文責:ぴ) *65 *66
 ※はてなブックマークへの捕捉に触れました。ありがとうございます。
 ※本論に対する反応として、
 http://d.hatena.ne.jp/momdo/20060408/p1
 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060406/p1
 http://d.hatena.ne.jp/REV/20060408
 http://hw001.gate01.com/karzu/zakki/zaregoto.htm
に触れました。ありがとうございます。
 ※本論の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されないはずの商品に関するものを含みますが、本作「CLANNAD」自体は全年齢対象版です。

要旨1:「CLANNAD」は、"過酷な現実と向き合う"というジュブナイル的主題と、その達成方法(エンディング)として"「家族」になる"という解答を提示したKeyの集大成的作品である。その趣旨を、「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」との比較検討を踏まえたレビューによって明らかにする試論である。
要旨2:競馬が人生の比喩なのではなく、人生が競馬の比喩である以上、「CLANNAD」の物語世界も競馬の比喩であることは明らかである。その一例として、ゲーム冒頭のプロローグ場面を挙げることができる。

  • 補論:Key四部作*67における"「家族」になる"四つのテーゼに関する試論

・第1テーゼ:
 まず、親子の絆を確かめて、「子」にならなければならない。
 「父」と「母」を欠く登場人物は、「子」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。なぜならば、「父」と「母」がいなければ、「子」にはなれないからである。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。
・第2テーゼ:
 「子」は、恋愛を通じて、「恋人」になる。
 "「家族」になる"物語は必要とされない。
 ただし、「子」ですらないときは、「恋人」へ進む障害が大きい。
 恋愛ADVの本来的領域である。
・第3テーゼ(原則型):
 「恋人」は、恋愛を超えた絆を確かめて、「パートナー」になることができる。
 「パートナー」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 恋愛ADVの発展的領域である。
・第3テーゼ(派生型):
 「恋人」ではなくても、恋愛を超えた絆を確かめて、「パートナー」になることができる。
 「パートナー」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 ただし、「子」ですらないときは、「パートナー」へ進む障害が甚大。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。
・第4テーゼ(原則型):
 「パートナー」は、生殖を通じて、「父」と「母」になることができる。
 「父」と「母」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 恋愛ADVの進化的領域である。
・第4テーゼ(派生型):
 「パートナー」ではなくても、親子の絆を確かめて、「父」と「母」になることができる。
 「父」と「母」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 ただし、「子」ですらないときは、「父」と「母」へ進む障害が甚大。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。

  • 補論:an CLANN As Dango―CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味する造語に過ぎないという試論

 確かに、ゲール語で家族を意味する普通名詞は"clann"なのであって、"clannad"ではない。"clannad"という同名バンドが存在することを理由に、この点を完全な虚偽であると激しく攻撃する論考として、絵文録ことのは氏による「CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない」などが知られる。
 しかし、そもそもKeyには作品タイトルを語感優先で命名し、その意味合いを曖昧なままプレイヤーの解釈に委ねる傾向がある。また、現在に至るまでKeyは公式見解を変えていない。
 これらの事情をも考慮するならば、かねてから有力に主張されている通り、本作のゲームシナリオ中に登場する「だんご大家族」のゲール語訳"an CLANN As Dango"をもじったという理解で、「CLANNAD」のタイトル由来は充分に説明が成り立つというべきである。
 特に、「CLANNAD」を実際にAFTER STORY(1周目)までプレイし終えてみた者にとっては、この「…だんごっ…だんごっ…」、もとい「だんご大家族」由来説は相当な説得力を持ってくる。
 従って、「だんご大家族」のゲール語訳に仮託して、「CLANNAD」は「家族」を意味するとタイトル由来を説明したとしても、それはあながち間違ってはいない。
 ただ、それだけのことに過ぎないのである。

CLANNAD ~クラナド~ 通常版

CLANNAD ~クラナド~ 通常版

CLANNAD -クラナド-

CLANNAD -クラナド-

CLANNAD-クラナド- ORIGINAL SOUNDTRACK

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‐memento- CLANNAD remix album

‐memento- CLANNAD remix album

CLANNAD-クラナド- ビジュアルファンブック (MAGICAL CUTE)

CLANNAD-クラナド- ビジュアルファンブック (MAGICAL CUTE)

CLANNAD 光見守る坂道で―Official Another Story

CLANNAD 光見守る坂道で―Official Another Story

CLANNADオフィシャルコミック (1) (CR comics)

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AIR ~Standard Edition~

AIR ~Standard Edition~

AIR ベスト版

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AIR オリジナルサウンドトラック

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AIR 1 初回限定版 [DVD]

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TVアニメ版「AIR」DVDシリーズ
AIR IN SUMMER(初回限定版) [DVD]

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AIR MEMORIES(初回限定版) [DVD]

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ドラマCD AIR 第8巻 AIR 前編

ドラマCD AIR 第8巻 AIR 前編

ドラマCD AIR 第7巻 SUMMER

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AIR (1) (カドカワコミックスAエース)

AIR (1) (カドカワコミックスAエース)

Kanon ~Standard Edition~

Kanon ~Standard Edition~

Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

Kanon ベスト版

Kanon ベスト版

Kanon オリジナルサウンドトラック

Kanon オリジナルサウンドトラック

Kanon Arrange best album 「recollections」

Kanon Arrange best album 「recollections」

Re-feel ~Kanon/AIR Piano Arrange Album~

Re-feel ~Kanon/AIR Piano Arrange Album~

Kanonビジュアルファンブック

Kanonビジュアルファンブック

ONE ~輝く季節へ~ フルボイス版

ONE ~輝く季節へ~ フルボイス版

輝く季節へ(通常版)

輝く季節へ(通常版)

*1:このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。

*2:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/ONE%EF%BD%9E%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%AD%A3%E7%AF%80%E3%81%B8%EF%BD%9E を参照。

*3:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/Kanon_%28%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%29 を参照。

*4:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/AIR_%28%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%29 を参照。

*5:Kanon」「AIR」が18禁版と全年齢対象版の二通りを発売したのに対し、本作「CLANNAD」は全年齢対象版のみが発売されたKey初の作品である。

*6:「同級生」について、d:id:milkyhorse:20041219:1103443200 を参照。

*7:「河原崎家の一族2」について、d:id:milkyhorse:20041224:1103821200 を参照。

*8:この点に関連して、ちょうど2006年4月6日、d:id:genesis:20060406:p1 に触れた。

*9:サウンドノベル」とも「ノベルゲーム」とも称される。それぞれの語源については各自参照されたい。

*10:汎用人型メイドロボットの試作機。ロボットでありながらドジっ娘という属性を備えており、美少女ゲームのキャラクター設定において後発作品に対して多大な影響を及ぼしたらしい。全年齢対象版・アニメ等では堀江由衣がCVを担当しているが、「Kanon月宮あゆのCVも彼女が担当していることを併せ考えると、当時から現在に至る彼女の声優業界におけるバックボーンの一端を見出すことができそうだ。

*11:この年に発表された"泣きゲー又は感動系"恋愛ADVとしては、「加奈〜いもうと〜」(ディーオー)が及ぼした影響も看過できない。

*12:ちなみに、Keyシナリオライター麻枝准氏は「『感動系』と呼ばれるのは別にいいと思ってる」「『泣きゲー』とか、色々と呼称が氾濫していたのが『感動系』に淘汰されてきたのは良いんじゃないか」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*13:当時の時代状況について、「どうして一部のゲーマーがあれほどONE、Kanonの『泣き』にハマるかというと、その少女漫画的表現、言うなれば少女趣味的演出が、美少女ゲームという究極の男性趣味の中に突如として現れたことにカルチャーショックを受けたからである」と分析する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d9912-2.HTM#12.22 を参照。

*14:"泣きゲー又は感動系"のフォーマットを完成させたはずのKeyが、意図的だったかはともかくとして、次回作以降でそのフォーマットを自ら解体していく経緯は、実に感慨深い。

*15:「えいえんはあるよ」「ここにあるよ」という導入部には戦慄を禁じ得ないものがある。ちなみに、本文テキストに「えいえんのせかい」という表記は、実は存在しない。

*16:ONE〜輝く季節へ〜」に対する代表的な批評として、元長柾木による「存在自体が奇跡であり、コピー可能な代物ではない。意図して作れるものではない、ひとつの到達点」というコメントがある。波状言論臨時増刊号「美少女ゲームの臨界点」96頁(東浩紀個人事務所,2004年)所収―ISBN:4990217705。確かに、「ONE〜輝く季節へ〜」は、プロローグの書き出しからして、妙にプレイヤーの胸を打つ緊張感がほとばしっている。

*17:幻想的・空想的な要素といった仮想の設定の下、世界観を構築する芸術表現技法。また、「Kanon」のファンタジー技法に関する興味深い論考として、http://tatuya.niu.ne.jp/review/kanon/[kanon].html を参照。

*18:http://www.bs-i.co.jp/anime/kanon/

*19:現実・日常にあるものが、伝承や神話、非合理などといった非現実・仮想なものと融合された設定の下、世界観を構築する芸術表現技法。

*20:ちなみに、「AIRシナリオライターの一人・涼元悠一氏も、「イメージとして(「AIR」をマジックリアリズム)に捉えられたのなら、本当に光栄なんですけど、…そこまでは…まだいってないと思います」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*21:ヒロイン3人のマルチエンディングから成り立つDREAM編を完全クリアさせた後、SUMMER編からAIR編へというトゥルーエンディングへの進行が初めて可能になる「AIR」のシナリオ構成は、当時の「AIR」初見プレイヤーに大きな衝撃を与えたらしい。

*22:これに適応するためにも、「AIR」は"霧島佳乃シナリオ(決意エンド)→霧島佳乃シナリオ(Tureエンド)→遠野美凪シナリオ(Tureエンド)→遠野美凪シナリオ(夢現エンド)→神尾観鈴シナリオ"の順にプレイすることを個人的には推奨したい。

*23:ちなみに、涼元悠一氏は「このままシナリオ重視で突き詰めていくと、多分、紙芝居というか……出来の悪いアニメーションになってしまう」と発言し、麻枝准氏も「ここから広がりはない」「エロゲーADVの墓場が見えた」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*24:「泣けば済むという問題ではなくなっている」という端的な指摘がネット上でも散見される。言いえて妙である。

*25:少なくとも、「AIR」プレイヤーにもたらされる「泣き」「感動」が、「癒し」系ということはあり得ないはずなのだが、発表当時はこの作品で「癒された」人もいたらしい。ちなみに、麻枝准氏は「『AIR』をプレイしたら『癒し系』とは絶対思わないと思いますよ。少なくとも、スタッフの誰一人として『癒し系』とは思ってないです。あと、『Kanon』にしても、作っている側としては、そういう意識はまったくないんです」と発言し、涼元悠一氏も「『感動系』の中の一ジャンルとしての『癒し系』だったら、あるのかもしれませんが、それでもKeyのゲームは違うと思います」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*26:約17万枚。ただし、ディズニー・スタジオジブリを除く。

*27:ONE〜輝く季節へ〜」は、恋愛ADVの定式通り恋愛関係の成就による完結を維持しているものの、恋愛関係がいったん成立した後、"永遠の世界"に旅立ってしまう主人公の帰還をヒロインが待ち続けていたとき初めて真の恋愛関係が成就するというプロットを採り入れた。

*28:たとえば、「私、笑っていられましたか? ずっと、ずっと、笑っていることが、できましたか?」

*29:たとえば、「…始まりには挨拶を。…そして約束を。」

*30:この点を最も的確に指摘する論考として、http://erekiteru.com/gengoro/archives/1999_08.html は必読。

*31:これに適応するためにも、「Kanon」は"水瀬名雪シナリオ→沢渡真琴シナリオ→川澄舞シナリオ→月宮あゆシナリオ→美坂栞シナリオ(あるはずのない名前エンド)→美坂栞シナリオ(Tureエンド)"の順にプレイすることを個人的には推奨したい。

*32:たとえば、「最後は…どうか、幸せな記憶を。」

*33:たとえば、「彼らには、過酷な日々を。そして僕らには始まりを。」

*34:かといって、「雫」(Leaf,1996年)の冒頭「せっ●す」連呼シーンまでいくと、模倣不能な領域である。

*35:ちなみに、麻枝准氏は「『AIR』の場合は企画段階で既に(エロ要素が)抜け落ちてる」とまで発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*36:補論:Key四部作における"「家族」になる"四つのテーゼに関する試論を参照。

*37:ちなみに、麻枝准氏は「家族になる前の段階には興味がない」と明言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*38:たとえば、「Kanon」の水瀬秋子さん。

*39:たとえば、「Kanon水瀬名雪シナリオでは、母の不在が直ちに家族の喪失につながるという図式が表面化しかけるが、母性が失われる衝撃が大き過ぎ、また、結局は母性の喪失は回避されるため、父性の登場によって家族が補完される可能性が示唆されていること(たとえば、「俺には奇跡は起こせないけれど…。」)は、プレイヤーから発見されにくかったらしい。

*40:念のため付言しておくと、母子家庭や父子家庭そのものが家族として欠陥だと主張しているわけではなく、そのような表現技法が用いられているに過ぎない。

*41:たとえば、「したい…けっこん。そうしたらずっといっしょにいられる…」、「わたしは、…お母さんの代わりにはなれないけど…。でも、家族にはなることができると思ってるから。」

*42:ちなみに、この点について麻枝准氏は「やっぱり欠けたものがある、というところからでしか話を作れない、というのがあって、最終的に満たされて終わるのならば、最初に欠けているというのは、物語上の必然なんです」、「恋愛に始終させる(のではなく)、うちの場合は『家族』に話を持っていきたいというのがある(ので)、片方だけ…というか、両方いると満ち足りてしまって、話が成り立たないんです」と発言をしている。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*43:この点を「父性の喪失」をキーワードにして看破した論考として、http://www.kt.rim.or.jp/~arm/Arm_ro11.htm を参照。

*44:その後、2004年4月28日に発売されるまでの間、発売延期が繰り返された結果、「SNOW」「LOVERS」マブラヴ」と並んで"延期四天王"と称されるほど一部のファンから嘆かれたらしいが、それはまた別のお話である。

*45:この点は注意が必要である。補論:an CLANN As Dango―CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味する造語に過ぎないという試論を参照されたい。

*46:といいつつ、「CLANNAD」の深遠なところは、いわゆるBL・エンドまで用意されている点にもあるのだが、それはまた別のお話である。

*47:"泣きゲー又は感動系"というジャンル認識についても、麻枝准氏の「『ユーザーを感動させなければいけない』という気持ちでがんじがらめになっていた時期(もあったけど)、…途中から"感動させる"という枷を外したんです」という興味深い発言がある。「CLANNAD Scenario Writer's Intervier」『CLANNAD ビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757720254

*48:「最初に決まっている運命の枠内でどれだけ密度を高められるか、というテーマになっているんで、そういう意味では奇跡が起こって枠を飛び越えられるということは一切ない」(涼元悠一氏)にもかかわらず、「登場人物すべてがぎりぎりで踏みとどまっていた、というか、頑張り続けたんだ…。…そして、後から振り返った時に、どれだけ凄いことをしたか…というか、頑張っていたんだよ、ということを理解する」(麻枝准氏)というものが制作側の狙いだったところ、演出が過剰なまでに効果的過ぎたのか、無カ感や悔しさだけがプレイヤーの印象に残されるということが多発したらしい。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*49:その効用の一側面を「街にはお話を抱えている人がたくさんいて、僕らはここでその話を一つ一つもらさずに聞いて回ることになる」と看破した論考として、http://d.hatena.ne.jp/sosuitarou/20041103#p1 を参照。また、それに関連して、http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/CLANNAD.html も参照。ただし、ネタバレ注意。

*50:むしろ、インターネット上で公開されている「CLANNAD」の攻略チャートは、複雑なシナリオ分岐を把握し切れていないものが多く、注意が必要である。

*51:もっとも、他シナリオに分岐してしまいたい誘惑にかられがちなので、かなりの忍耐力が必要だが。

*52:ゲーム本編で描写不足と思われた箇所の一部は、公式アンソロジーCLANNAD 光見守る坂道でOfficial Another Story」で補完されているが、ならば最初からゲーム本編に取り込んでおけという批判は、やはり避けられまい。ISBN:4840232504

*53:この点について、「CLANNAD」の個別シナリオの力量不足や恣意的な欠陥を客観的に認めた上で、なお描写不足な点を思考停止して叩くだけではもったいないとし、個別シナリオの再評価を促す論考として、http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/clannad/clannad.htm を参照。ただし、思い切りネタバレなので注意。

*54:作詞者の麻枝准氏は、「今回の(「Kanon」の)仕事のなかでいちばん納得できたのは『Last regrets』…の作詞です」とまで発言している。「Key Staff Intervier」『Kanonビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757700393

*55:たとえば、「最後まで 笑ってる 強さを もう 知っていた」。

*56:この点を端的に指摘する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/air_op.html を参照。また、「鳥の詩」の詳細な歌詞分析を試みた論考として、http://park.zero.ad.jp/~zbi09711/bird.htm を参照。

*57:"空から僕を呼んでいる""きっと"をそれぞれ「約束」とかけているという読み方は、ちと深読みし過ぎかもしれない。"飛び立てば"を「さようなら」とかけているという読み方も、やっぱり深読みし過ぎかもしれない。

*58:サポートに「オープニングムービーが見られない」という電話がかかってくるくらい、「CLANNAD」ではなかなかオープニングムービーが始まらない。ある特定のシナリオの途中、5月2日の場面で1回だけ流れる。この点については、「ずっと前から考えていた演出だ(し)…、感覚的にも…(あの場面)からオープニングムービーに入るのが、一番しっくり来ると思います」(麻枝准氏)、「わかる人には、その意図がわかったと思うんです」(涼元悠一氏)ということらしい。「CLANNAD Scenario Writer's Intervier」『CLANNAD ビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757720254

*59:この演出手法は、既に「AIRAIR編冒頭の「覚悟できてる?」「じゃ、一緒にいこう」という場面で用いられていたのだが、「CLANNAD」ではオープニングムービーそのものをここに置いてしまった。

*60:この点については、http://monomino-oka.niu.ne.jp/old/200405.html#07_t2 を参照。

*61:本作「CLANNAD」は、それに先立って「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」全作品のプレイを済ませておくと、走馬灯が走るというか、感慨を増幅させられることこの上ないのである。

*62:CLANNAD」における"「家族」になる"ことの多義性について、伊吹風子シナリオを題材にして考察する論考として、http://sapporo.cool.ne.jp/jt/diary/04/april.htm#040430 を参照。同じく、一ノ瀬ことみシナリオを題材に考察する論考として、http://sapporo.cool.ne.jp/jt/diary/04/may.htm#040503 を参照。いわく、「この作品において『家族』というのは帰るべき目的地なのであり、そこに至るためには『恋人』や『友人』の助けが必要なのか」。ただし、ネタバレ注意。

*63:これは、古河渚シナリオ〜AFTER STORYにおいて、最も該当する。

*64:これは、日本競馬界を代表する鬼才・寺山修司が遺した言葉である。正確には、「六さんは、競馬を人生の比喩だと思っていたが、それは間違いなのだ。人生を競馬の比喩だと思わなければならないのだ」。「競馬場で逢おう」『馬敗れて草原あり』所収。ISBN:4041315131

*65:いわずもがなのことではあるが、本論はポストモダンないしマジックリアリズムも容認する立場から書き下ろされているため、モダニズムないしシュルレアリスムしか認めない立場とは分かり合えない文章になっている。―といえばもっともらしいのですが、実際には文責者の個人的見解(毒電波入り)、へたすれば先行文献の要約に過ぎません(だんだん、どこかで誰かが同じことをもう書いているような気がしてきました)。生温かく、見守ってください。

*66:id:momdoさんやid:PEH01404さんからインスパイアされてみました。

*67:ここでは「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」「CLANNAD」を指す。

本日天に召された偉大なる1頭のサラブレッドに、心より哀悼の意を表します

 http://www.retsuden.com/vol90-1.html (写真とMIDIだけです)
 http://www.retsuden.com/vol90-2.html (写真とMIDIだけです)
 http://www.retsuden.com/vol90-3.html (写真とMIDIだけです)
 ※いつもの「列伝」「本紀」の文章はありません。
 
 http://keiba.radionikkei.jp/news/20060403K04.html

 社台スタリオンステーション荻伏(北海道浦河町)で繋養中だった種牡馬メジロマックイーン(牡19歳)は、今日3日(火)午後5時15分、心不全のため死亡した。

 http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20060403057.html
 http://www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-060403-0016.html
 http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/keiba/news/20060404k0000m050117000c.html

 この日はくしくもマックイーンの19歳の誕生日。「こんなに早く逝(い)くとは思わなかった」とため息をついた。
 同日午後5時ごろ、マックイーンは今年3頭目となる種付けを終え、いつも通りきゅう舎に戻った。直後の午後5時15分ごろ、突然けいれんを起こし倒れたという。苦しそうにいななき暴れるマックイーンの顔を駆け付けた林場長とスタッフは壁にぶつけないように抑えたが、5分ぐらいで動かなくなった。最後は苦しさのためか、右目に涙をためていたという。
 同牧場に来たのは03年12月。以来一度も体調を崩したことはなく、3日も普段と変わらず元気良く餌を食べていた。「何の兆候もなく、本当に急だった。みんな驚いているが、こればかりはどうしようもない」
 前日までに種付けをした2頭は無事受胎し、順調に行けば来春、マックイーンの最後の産駒が誕生する。親子3代で天皇賞制覇を果たしたマックイーン。「4代制覇」の夢は、残された産駒に託された。

 この短時間のうちにしては、比較的まとまった記事が毎日新聞から配信されています。おそらく、明日の毎日新聞朝刊にもこの記事が載るのではないでしょうか。(文責:ぺ)

MilkyHorse.com、トップページ表示Blogジャンルを「ノンジャンル系」から「馬産関係者」へ差し替え

 

[MilkyHorse.com]
http://www.milkyhorse.com/

 
 2006年2月17日付で、MilkyHorse.comは、トップページで表示するBlogジャンルのうち「ノンジャンル系」を「馬産関係者」へ差し替えました。かねてより待望されていた(←当欄で勝手に)「三石町・斉藤スタッド」さんの日誌がブログ化されたことに伴う措置です。
 また、トップページで表示するニュース系の最新タイトルを各10件から15件に増強しました。
 
 今後とも、MilkyHorse.comを踏み台としてご活用いただければ幸いです(もっと踏んでください)。
 
 *
 
 ところで、懸案となっていたはてなRSSのバグが修正された模様です。当欄としても、「はてな」さんに対して嘆願し続けていた要望がようやく実現し、大変ありがたいことだと思います(もっとも、もう1個サーバーを用意してRSS自力収集を再開しているので、現在は「はてなRSS」を経由していないのですけどね)。
 
 *
 
 それはそうと、最近の競馬ニュースサイト系界隈は、どういう分布になっているのでしょうか。元・競馬ニュースサイト管理人としては、少し、心配です。(´・ω・`) ちなみに、hokan氏の(id:hokan:20060214:1139848428)記載の構想は、概ね当欄が今年初頭のリニューアル時に検討した事項ですね。当欄(http://www.milkyhorse.com/)が記事見出しの取得に留めているのは、記事本文を取得するリスク(著作権法上の疑義、キーワードの限定困難(例.デュランダル)、本文抽出内容をコントロールできない、人力メンテの負担軽減)を考慮した結果です。