競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜

 この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
 「俺たちは登り始める。長い、長い坂道を。」「―春。ありふれた学園生活から始まる、人と町の物語。」―馬は、常に人間の傍らに在る。
 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載は、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
 
Visual Art's/Key 『CLANNAD』 より―
 
*1
 「CLANNAD -クラナド-」は、2004年4月28日にゲームブランドKeyから発売された全年齢対象の恋愛アドベンチャーゲーム(恋愛ADV)である。Tactics作品「MOON.」(1997年)、「ONE〜輝く季節へ〜*2 (1998年)の制作スタッフによって設立されたKeyは、1999年6月に発表した第1作「Kanon*3の大成功によって名声を確立すると、翌2000年9月には第2作「AIR*4を発表し、PC美少女ゲーム業界のトップブランドとしての地位を不動のものにした。本作は、そのKeyが約3年半もの開発期間を経て、満を持して送り出した第3作目のタイトルである*5

 1992年に発表された「同級生」(elf)がマルチエンディング方式を大々的に採用したことによって恋愛SLG・恋愛ADVないし美少女ゲームという分野が成立し、性的描写のみが単純に好まれた従前の18禁PCゲームからの進化が始まった経緯については、本・競馬サブカルチャー論においても既に触れたところである*6 *7 *8。さらに恋愛ADVは、シナリオ性重視という着想を得た上で、文章と画像と音楽という三大要素の融合を実現させた「」(Leaf,1996年)、「」(Leaf,1996年)によってビジュアルノベル*9への分岐を遂げると、「To Heart」(Leaf,1997年)における『マルチ』*10シナリオを萌芽とし、先述の「ONE〜輝く季節へ〜」(Tactics,1998年)、そして続く1999年*11のKeyブランド「Kanon」によって、恋愛ADVでありながら性的描写中心から脱却して、プレイヤーを感動させる(又は泣かせる)シナリオを主要素とする、いわゆる"泣きゲー又は感動系"というジャンル*12を確立するに至った*13
 しかし、こうして成立した"泣きゲー又は感動系"においては、プレイヤーの「感動」を呼び起こすシナリオ構成が最優先される結果、そこで刺激されるべきプレイヤーの感情は、性的衝動との両立に馴染まない類のものとなる確率が極めて大きい。その当然の帰結として、従来の18禁ゲームにおいて必須とされてきた性的描写の存在意義が、"泣きゲー又は感動系"においては大きく揺らぐことになる。また、「感動」を呼び起こすシナリオ構成は、プレイヤーにどのような性質の「感動」を呼び起こすかを意図していく過程において、作品としての世界観ないし主題(テーマ)の集約が欠かせなくなっていき、受け皿としてのマルチエンディング方式をも動揺させることになる。18禁ゲーム、ひいては恋愛ADVから派生したはずの"泣きゲー又は感動系"というジャンルに内包された、このような矛盾を先鋭化させたのが、Keyによる一連の作品群である*14
 
 Tactics時代の「ONE〜輝く季節へ〜」によって提示された独特の世界観"えいえんのせかい"*15の余韻も冷めやらぬ*16中、発表されたKeyブランド第1作「Kanon」は、雪の降る街を舞台にした―"思い出"に還る―小さな奇跡の物語を描写しており、恋愛ファンタジー*17の体裁を(少なくとも表層的には)整えたマルチエンディング作品である。その人気は根強く、最近でも京都アニメーション制作による二度目のTVアニメ化が決定し、2006年秋からBS-iにて全24話放映されることが発表されたばかりである*18
 続くKeyブランド第2作「AIR」は、さすらいの人形遣いの青年が海辺の田舎町で偶然出会った少女達と紡ぐひと夏の物語を描写するが、その表現技法はファンタジーから一歩離れてマジックリアリズム*19を志向しており*20、また、外見上はマルチエンディング方式でありながら実質的にはトゥルーエンディング方式*21への回帰を顕わにする*22など、もはや恋愛ADVの枠に収まりかねる*23衝撃的*24 *25な作品となっている。2005年に放映されたTVアニメ版も好評を博し、DVDの売上数も2005年アニメDVD売上ランキング年間2位*26になったことは記憶に新しい。
 
 これら諸作品を通じて、Keyの提示するシナリオは、恋愛関係の成就によって完結(エンディング)するという、従来恋愛ADVの定式とされてきた枠組みからの脱却を徐々に進める。Tactics時代の「ONE〜輝く季節へ〜」によって、恋愛成就後も物語が発展していく可能性*27は既に提示されていたが、「Kanon」は恋愛関係が成就した後も物語を実際に若干続けて、「現実逃避しても、そこから脱却し、過酷な現実を受容*28もしくは克服*29する」という主題*30を、多層的なシナリオ構成によって暗示することを試みた*31。そして、「AIR」に至っては、恋愛関係の成就そのものが問われなくなるだけでなく、「現実逃避していなくても、克服することができなくても、過酷な現実を受容*32せよ」と、より先鋭化した主題を明示*33するところまで踏み込んだのである。
 また、これらKeyの諸作品では、18禁ゲームの18禁たるゆえんだったはずの性交描写*34も禁欲的の一途をたどる。「ONE〜輝く季節へ〜」はともかくとして、「Kanon」では恋愛の通過儀礼としての性交描写はヒロイン5人のうち1人でしか必須とされず、「AIR」に至っては、トゥルーエンディングに際して性交から生殖行為以外の意味合いが排除されている*35。それまでも、18禁PCゲームを全年齢対象コンシューマーゲームへ移植する際に性交描写が削除されることはあったが、18禁ゲームの段階でここまで禁欲的なのは珍しい。
 
 こうして性交描写が大幅に後退し、恋愛関係成就だけでカタルシスに届くこともなくなっていく中で、先述した「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題を達成(エンディング)するためにはどうすべきなのだろうか。自らのこうした問題提起に対する解答として、Keyは「Kanon」と「AIR」を通じて、恋愛から次の段階に踏み込んだ人間関係(コミュニケーション)、すなわち"「家族」になる"*36ということを模索し続けた*37
 「Kanon」における家族像は、従来型恋愛ADVの定式通り万能の母性*38が強調されていたため、父性の希薄が顕在化することは少なく*39、家族に欠缺が生じてしまっていること*40が問題化するに至らなかった。と同時に、「Kanon」では、血縁関係がない人と人とのつながり方として、「恋愛関係になる」だけでなく「家族になる」という選択肢があり得ることを初めて示唆している*41
 そして、「AIR」で描かれた家族像には、どのシナリオにおいても常に家族の誰かが欠けているという状況設定が施されていた*42。子だけが存在し、父と母の双方が不在―そこまで徹底的に欠落した状況設定から「AIR」の各シナリオは物語が始まり、血の繋がる者同士が家族として再生しようとする、あるいは血の繋がらない者同士が家族になろうとする模索と葛藤を描写していく。その結論(エンディング)として、「AIR」で到達することが許されたのは、血の繋がりの有無にかかわらず女性が「母」になるところまでだった。「AIR」に登場する男性は、逃げ出すにせよ、失敗するにせよ、主人公を含めて全員、「父」になることができなかったのである*43。このエンディングは従来型恋愛ADVの定式に照らし合わせると極めて難解なものであり、そこにたどり着いたプレイヤーを驚愕させるとともに、嘆息させ、そして筆舌しがたい喪失感をもたらして余りあるものだった。
 
 この「AIR」による衝撃が決定的な契機となり、従前にも増して、「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」を三部作的に把握し、その共通性や相互関係を解釈しようとする試みが、一部のファンの間で熱心に行なわれるようになっていく。そうした時代状況の中で、2001年10月11日、「AIR」に続くKeyブランド第3作―実質的には第4作―として制作が発表された*44のが、本論で紹介する「CLANNAD」である。

 「CLANNAD」は、タイトルの由来がゲール語で「家族」を意味する*45ことからも明らかな通り、これまでのKey諸作品が一貫して模索し続けてきた、「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題と、その達成方法(エンディング)として"「家族」になる"という解答の両方について、真正面から提示するという決意の下で書き下ろされた大作である。
 本作のシナリオ構成は、実に文章量が前作「AIR」の約2.3倍にまで膨らんでおり、登場人物の老若男女全員にエンディング(17通り以上)が用意され、すべてのエンディングを経由した後でなければトゥルーエンディング(AFTER STORY3周目)に到達できないという徹底振りである。所要プレイ時間はPC版で40時間以上、PS2版に至っては約200時間が公称されている。
 
 かくも長大なボリュームを通じて物語られるのは、最短で1ヶ月、最長で8年というスケールで繰り広げられる"人と人とのつながり(絆)"である。従来の恋愛ADVにおいては、いったん個別シナリオに分岐してしまうと、とたんに主人公と二人だけの世界に閉じ込められてしまい、他者との関わり合いが遮断された歪な展開になりがちだった。ところが、この「CLANNAD」では、個別シナリオに分岐した後も他の登場人物が役割に応じた活躍・関わり合いを見せてくれる。その結果、「CLANNAD」の世界は閉じられたものにはならず、物語を左右する鍵を握るのが主人公とヒロインの二人だけに限られることはない。主人公と個別シナリオのヒロインだけでなく、他のシナリオでヒロインを演じる登場人物をはじめとする周囲の人々との有形無形の関わり合いがあって、はじめて主人公たちは「長い、長い坂道」を登り続けることができるのである。
 そして、この「長い、長い坂道」を一緒に登るのは、主人公とヒロインの二人とは限らない。このことは、登場人物の老若男女全員にエンディングが用意されている本作のシナリオ構造からも明らかである。となると、そこで描かれる人と人とのつながりは、恋愛の枠に到底収まり切るものではない*46。本作は恋愛ADVであるにもかかわらず、最初から非18禁―全年齢対象版で発売することによって、シナリオの幅を逆に広げてみせることに成功している*47
 
 「過酷な現実と向き合う」というジュブナイル的主題の取り扱いについても、今回の「CLANNAD」は大きな進展を見せた。
 前々作「Kanon」では、その受容か克服という選択肢が択一的に並んでいたことから、「過酷な現実を受容できないのなら、それを拒絶(=克服)してしまえばいい」とミスリードして、プレイヤーの無意識のうちに現実逃避を肯定させかねない余地を残してしまった。他方、前作「AIR」においては、逃避する以前に、登場人物は物語世界の真実(現実)を直視する―知ることすら許されなかった。にもかかわらず、「過酷な現実をあるがまま受容するほかない」と結論付けた「AIR」トゥルーエンディングのメッセージ性は、プレイヤーをとにかく力業で感情的に突き放すという側面が大きく、読み手を思考停止させかねない危うさがつきまとった*48
 これら「Kanon」「AIR」両作品に残された懸案を一挙に解消するべく、「CLANNAD」が提示した主題は、「現実逃避しても、そこから脱却しなければならない。過酷な現実を直視し、受容することによって、はじめて克服することができる」という明快なものである。
 ここで、「CLANNAD」は"光を集める"という行為を媒介として採り入れ、各登場人物の言葉や想いが積み重なっていく―"人と人とのつながり"のありさまを描写し、この集大成的な主題と、マルチエンディングの果てとしてのトゥルーエンディングを関連付ける作劇上の綱渡り*49に成功している。ただし、これは文字通りの「綱渡り」である。制作側の意図したこの作劇上の綱渡りを確実に読み取るためにも、「CLANNAD」については、公式ビジュアルファンブック(ISBN:4757720254)の推奨通り*50
→(01)相楽美佐枝シナリオ →(02)坂上智代シナリオ →(03)宮沢有紀寧シナリオ →(04)藤林椋シナリオ ※省略可 →(05)藤林杏シナリオ →(06)柊勝平シナリオ →(07)春原芽衣春原陽平シナリオ →(08)一ノ瀬ことみシナリオ →(09)伊吹風子シナリオ →(10)幸村俊夫シナリオ →(11)古河渚シナリオ →(12)AFTER STORY 1周目...
の順にプレイすることを個人的にもお奨めしたい*51
 もちろん、「CLANNAD」のシナリオがすべて完璧というわけではない*52。個別シナリオに対するプレイヤーの意見も手放しの賞賛ばかりではなく、賛否両論が微妙かつ複雑に入り混じっているのが現状である*53。しかし、賛否を問わずプレイヤーの間で様々な論争を引き起こす力があるというだけでも、「CLANNAD」に訴求性があることは明らかである。
 
 ところで、Key諸作品においては、オープニングテーマ曲の歌詞に込められたレトリックを見落とすことができないというのも、有名な話である。たとえば「Kanon」では、主題歌「Last regrets*54が流される冒頭で、歌詞によるゲーム主題の暗示*55が既に始まっており、「AIR」のオープニングムービーでは、主題歌「鳥の詩」の歌詞と登場人物紹介をはじめとする画が完全にシンクロして、物語世界の一部を構成していたほどである*56
 その手法は、「CLANNAD」の主題歌「メグメル」においても、トリッキーといえるくらい存分に活用されている。「Kanon」と「AIR」の場合、1番の歌詞のみが採用され、2番以降の歌詞はオープニングムービーでは省略されていたのだが、「CLANNAD」は、一部カットこそあるものの、2番以降最後の歌詞までをオープニングムービーに取り込んでしまった。この違いを見過ごしてはならない。

透き通るを見ていた

柔らかい永遠

風のような微かな声が

高いから

僕を呼んでいる

  
このまま飛び立てば

どこにだって行ける

  
の中揺らめいた

言葉想いも全部

残さず伝えて きっと

(Mystery...to...)

 
CLANNAD」オープニングテーマ『メグメル』より*57

 ゲーム冒頭から謎に包まれていた、冬の日の『幻想世界』―。そして、それが始まるとき*58CLANNAD(光)という物語も真の幕開けを告げる*59。その先にあるのは、ONE(永遠)の向こう側。Kanon(夢)の向こう側。そして何よりも、AIR(空)の向こう側である*60 *61
 
 「永遠」「夢」「空」「家族」「願い」「約束」「奇跡」「さようなら(さよなら)」―。
 これらの、Key全作品を論じる上で避けては通れない命題について、「CLANNAD」の到達点はどこにあるのだろうか。そして、「CLANNAD」の登場人物たちは、"「家族」になる"*62―女性が「母」となり、男性が「父」となる―こと*63を、ついに許されるのだろうか。それを見届けることは、私たち1人1人に与えられた課題である。

 ちなみに、「CLANNAD」に馬は登場しない。しかし、馬が出てくるかどうかは、競馬サブカルチャー論にとって本質的な問題ではない。
 なぜならば、競馬が人生の比喩なのではない。人生が競馬の比喩なのだから*64。だからこそ、この世界は美しい。人の紡ぎ出すあらゆる物語が競馬の比喩に過ぎない以上、人と人とのつながりを描いた壮大な物語である「CLANNAD」の世界観にもまた、この馬を通して出る力が宿っていることを疑う余地はないのである。
 ここで、いま一度、本論冒頭で掲げた「CLANNAD」のプロローグ・シーンを想い起こしていただきたい。

桜の花が咲き香る長い坂道を、少女が少年と一緒に登り始める―。

 たとえ見えなくても、そこに馬はいるから。馬は、常に人間の傍らに在る―。
 (文責:ぴ) *65 *66
 ※はてなブックマークへの捕捉に触れました。ありがとうございます。
 ※本論に対する反応として、
 http://d.hatena.ne.jp/momdo/20060408/p1
 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060406/p1
 http://d.hatena.ne.jp/REV/20060408
 http://hw001.gate01.com/karzu/zakki/zaregoto.htm
に触れました。ありがとうございます。
 ※本論の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されないはずの商品に関するものを含みますが、本作「CLANNAD」自体は全年齢対象版です。

要旨1:「CLANNAD」は、"過酷な現実と向き合う"というジュブナイル的主題と、その達成方法(エンディング)として"「家族」になる"という解答を提示したKeyの集大成的作品である。その趣旨を、「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」との比較検討を踏まえたレビューによって明らかにする試論である。
要旨2:競馬が人生の比喩なのではなく、人生が競馬の比喩である以上、「CLANNAD」の物語世界も競馬の比喩であることは明らかである。その一例として、ゲーム冒頭のプロローグ場面を挙げることができる。

  • 補論:Key四部作*67における"「家族」になる"四つのテーゼに関する試論

・第1テーゼ:
 まず、親子の絆を確かめて、「子」にならなければならない。
 「父」と「母」を欠く登場人物は、「子」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。なぜならば、「父」と「母」がいなければ、「子」にはなれないからである。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。
・第2テーゼ:
 「子」は、恋愛を通じて、「恋人」になる。
 "「家族」になる"物語は必要とされない。
 ただし、「子」ですらないときは、「恋人」へ進む障害が大きい。
 恋愛ADVの本来的領域である。
・第3テーゼ(原則型):
 「恋人」は、恋愛を超えた絆を確かめて、「パートナー」になることができる。
 「パートナー」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 恋愛ADVの発展的領域である。
・第3テーゼ(派生型):
 「恋人」ではなくても、恋愛を超えた絆を確かめて、「パートナー」になることができる。
 「パートナー」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 ただし、「子」ですらないときは、「パートナー」へ進む障害が甚大。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。
・第4テーゼ(原則型):
 「パートナー」は、生殖を通じて、「父」と「母」になることができる。
 「父」と「母」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 恋愛ADVの進化的領域である。
・第4テーゼ(派生型):
 「パートナー」ではなくても、親子の絆を確かめて、「父」と「母」になることができる。
 「父」と「母」になる―"「家族」になる"物語が必要とされる。
 ただし、「子」ですらないときは、「父」と「母」へ進む障害が甚大。
 恋愛ADVの本来的領域ではない。

  • 補論:an CLANN As Dango―CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味する造語に過ぎないという試論

 確かに、ゲール語で家族を意味する普通名詞は"clann"なのであって、"clannad"ではない。"clannad"という同名バンドが存在することを理由に、この点を完全な虚偽であると激しく攻撃する論考として、絵文録ことのは氏による「CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない」などが知られる。
 しかし、そもそもKeyには作品タイトルを語感優先で命名し、その意味合いを曖昧なままプレイヤーの解釈に委ねる傾向がある。また、現在に至るまでKeyは公式見解を変えていない。
 これらの事情をも考慮するならば、かねてから有力に主張されている通り、本作のゲームシナリオ中に登場する「だんご大家族」のゲール語訳"an CLANN As Dango"をもじったという理解で、「CLANNAD」のタイトル由来は充分に説明が成り立つというべきである。
 特に、「CLANNAD」を実際にAFTER STORY(1周目)までプレイし終えてみた者にとっては、この「…だんごっ…だんごっ…」、もとい「だんご大家族」由来説は相当な説得力を持ってくる。
 従って、「だんご大家族」のゲール語訳に仮託して、「CLANNAD」は「家族」を意味するとタイトル由来を説明したとしても、それはあながち間違ってはいない。
 ただ、それだけのことに過ぎないのである。

CLANNAD ~クラナド~ 通常版

CLANNAD ~クラナド~ 通常版

CLANNAD -クラナド-

CLANNAD -クラナド-

CLANNAD-クラナド- ORIGINAL SOUNDTRACK

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‐memento- CLANNAD remix album

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CLANNAD-クラナド- ビジュアルファンブック (MAGICAL CUTE)

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CLANNAD 光見守る坂道で―Official Another Story

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CLANNADオフィシャルコミック (1) (CR comics)

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AIR ~Standard Edition~

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AIR ベスト版

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AIR オリジナルサウンドトラック

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AIR 1 初回限定版 [DVD]

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TVアニメ版「AIR」DVDシリーズ
AIR IN SUMMER(初回限定版) [DVD]

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AIR MEMORIES(初回限定版) [DVD]

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ドラマCD AIR 第8巻 AIR 前編

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ドラマCD AIR 第7巻 SUMMER

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AIR (1) (カドカワコミックスAエース)

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Kanon ~Standard Edition~

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Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

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Kanon ベスト版

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Kanon オリジナルサウンドトラック

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Kanon Arrange best album 「recollections」

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Re-feel ~Kanon/AIR Piano Arrange Album~

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Kanonビジュアルファンブック

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ONE ~輝く季節へ~ フルボイス版

ONE ~輝く季節へ~ フルボイス版

輝く季節へ(通常版)

輝く季節へ(通常版)

*1:このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。

*2:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/ONE%EF%BD%9E%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%AD%A3%E7%AF%80%E3%81%B8%EF%BD%9E を参照。

*3:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/Kanon_%28%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%29 を参照。

*4:基本事項については、http://ja.wikipedia.org/wiki/AIR_%28%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%29 を参照。

*5:Kanon」「AIR」が18禁版と全年齢対象版の二通りを発売したのに対し、本作「CLANNAD」は全年齢対象版のみが発売されたKey初の作品である。

*6:「同級生」について、d:id:milkyhorse:20041219:1103443200 を参照。

*7:「河原崎家の一族2」について、d:id:milkyhorse:20041224:1103821200 を参照。

*8:この点に関連して、ちょうど2006年4月6日、d:id:genesis:20060406:p1 に触れた。

*9:サウンドノベル」とも「ノベルゲーム」とも称される。それぞれの語源については各自参照されたい。

*10:汎用人型メイドロボットの試作機。ロボットでありながらドジっ娘という属性を備えており、美少女ゲームのキャラクター設定において後発作品に対して多大な影響を及ぼしたらしい。全年齢対象版・アニメ等では堀江由衣がCVを担当しているが、「Kanon月宮あゆのCVも彼女が担当していることを併せ考えると、当時から現在に至る彼女の声優業界におけるバックボーンの一端を見出すことができそうだ。

*11:この年に発表された"泣きゲー又は感動系"恋愛ADVとしては、「加奈〜いもうと〜」(ディーオー)が及ぼした影響も看過できない。

*12:ちなみに、Keyシナリオライター麻枝准氏は「『感動系』と呼ばれるのは別にいいと思ってる」「『泣きゲー』とか、色々と呼称が氾濫していたのが『感動系』に淘汰されてきたのは良いんじゃないか」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*13:当時の時代状況について、「どうして一部のゲーマーがあれほどONE、Kanonの『泣き』にハマるかというと、その少女漫画的表現、言うなれば少女趣味的演出が、美少女ゲームという究極の男性趣味の中に突如として現れたことにカルチャーショックを受けたからである」と分析する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d9912-2.HTM#12.22 を参照。

*14:"泣きゲー又は感動系"のフォーマットを完成させたはずのKeyが、意図的だったかはともかくとして、次回作以降でそのフォーマットを自ら解体していく経緯は、実に感慨深い。

*15:「えいえんはあるよ」「ここにあるよ」という導入部には戦慄を禁じ得ないものがある。ちなみに、本文テキストに「えいえんのせかい」という表記は、実は存在しない。

*16:ONE〜輝く季節へ〜」に対する代表的な批評として、元長柾木による「存在自体が奇跡であり、コピー可能な代物ではない。意図して作れるものではない、ひとつの到達点」というコメントがある。波状言論臨時増刊号「美少女ゲームの臨界点」96頁(東浩紀個人事務所,2004年)所収―ISBN:4990217705。確かに、「ONE〜輝く季節へ〜」は、プロローグの書き出しからして、妙にプレイヤーの胸を打つ緊張感がほとばしっている。

*17:幻想的・空想的な要素といった仮想の設定の下、世界観を構築する芸術表現技法。また、「Kanon」のファンタジー技法に関する興味深い論考として、http://tatuya.niu.ne.jp/review/kanon/[kanon].html を参照。

*18:http://www.bs-i.co.jp/anime/kanon/

*19:現実・日常にあるものが、伝承や神話、非合理などといった非現実・仮想なものと融合された設定の下、世界観を構築する芸術表現技法。

*20:ちなみに、「AIRシナリオライターの一人・涼元悠一氏も、「イメージとして(「AIR」をマジックリアリズム)に捉えられたのなら、本当に光栄なんですけど、…そこまでは…まだいってないと思います」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*21:ヒロイン3人のマルチエンディングから成り立つDREAM編を完全クリアさせた後、SUMMER編からAIR編へというトゥルーエンディングへの進行が初めて可能になる「AIR」のシナリオ構成は、当時の「AIR」初見プレイヤーに大きな衝撃を与えたらしい。

*22:これに適応するためにも、「AIR」は"霧島佳乃シナリオ(決意エンド)→霧島佳乃シナリオ(Tureエンド)→遠野美凪シナリオ(Tureエンド)→遠野美凪シナリオ(夢現エンド)→神尾観鈴シナリオ"の順にプレイすることを個人的には推奨したい。

*23:ちなみに、涼元悠一氏は「このままシナリオ重視で突き詰めていくと、多分、紙芝居というか……出来の悪いアニメーションになってしまう」と発言し、麻枝准氏も「ここから広がりはない」「エロゲーADVの墓場が見えた」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*24:「泣けば済むという問題ではなくなっている」という端的な指摘がネット上でも散見される。言いえて妙である。

*25:少なくとも、「AIR」プレイヤーにもたらされる「泣き」「感動」が、「癒し」系ということはあり得ないはずなのだが、発表当時はこの作品で「癒された」人もいたらしい。ちなみに、麻枝准氏は「『AIR』をプレイしたら『癒し系』とは絶対思わないと思いますよ。少なくとも、スタッフの誰一人として『癒し系』とは思ってないです。あと、『Kanon』にしても、作っている側としては、そういう意識はまったくないんです」と発言し、涼元悠一氏も「『感動系』の中の一ジャンルとしての『癒し系』だったら、あるのかもしれませんが、それでもKeyのゲームは違うと思います」と発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*26:約17万枚。ただし、ディズニー・スタジオジブリを除く。

*27:ONE〜輝く季節へ〜」は、恋愛ADVの定式通り恋愛関係の成就による完結を維持しているものの、恋愛関係がいったん成立した後、"永遠の世界"に旅立ってしまう主人公の帰還をヒロインが待ち続けていたとき初めて真の恋愛関係が成就するというプロットを採り入れた。

*28:たとえば、「私、笑っていられましたか? ずっと、ずっと、笑っていることが、できましたか?」

*29:たとえば、「…始まりには挨拶を。…そして約束を。」

*30:この点を最も的確に指摘する論考として、http://erekiteru.com/gengoro/archives/1999_08.html は必読。

*31:これに適応するためにも、「Kanon」は"水瀬名雪シナリオ→沢渡真琴シナリオ→川澄舞シナリオ→月宮あゆシナリオ→美坂栞シナリオ(あるはずのない名前エンド)→美坂栞シナリオ(Tureエンド)"の順にプレイすることを個人的には推奨したい。

*32:たとえば、「最後は…どうか、幸せな記憶を。」

*33:たとえば、「彼らには、過酷な日々を。そして僕らには始まりを。」

*34:かといって、「雫」(Leaf,1996年)の冒頭「せっ●す」連呼シーンまでいくと、模倣不能な領域である。

*35:ちなみに、麻枝准氏は「『AIR』の場合は企画段階で既に(エロ要素が)抜け落ちてる」とまで発言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*36:補論:Key四部作における"「家族」になる"四つのテーゼに関する試論を参照。

*37:ちなみに、麻枝准氏は「家族になる前の段階には興味がない」と明言している。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*38:たとえば、「Kanon」の水瀬秋子さん。

*39:たとえば、「Kanon水瀬名雪シナリオでは、母の不在が直ちに家族の喪失につながるという図式が表面化しかけるが、母性が失われる衝撃が大き過ぎ、また、結局は母性の喪失は回避されるため、父性の登場によって家族が補完される可能性が示唆されていること(たとえば、「俺には奇跡は起こせないけれど…。」)は、プレイヤーから発見されにくかったらしい。

*40:念のため付言しておくと、母子家庭や父子家庭そのものが家族として欠陥だと主張しているわけではなく、そのような表現技法が用いられているに過ぎない。

*41:たとえば、「したい…けっこん。そうしたらずっといっしょにいられる…」、「わたしは、…お母さんの代わりにはなれないけど…。でも、家族にはなることができると思ってるから。」

*42:ちなみに、この点について麻枝准氏は「やっぱり欠けたものがある、というところからでしか話を作れない、というのがあって、最終的に満たされて終わるのならば、最初に欠けているというのは、物語上の必然なんです」、「恋愛に始終させる(のではなく)、うちの場合は『家族』に話を持っていきたいというのがある(ので)、片方だけ…というか、両方いると満ち足りてしまって、話が成り立たないんです」と発言をしている。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*43:この点を「父性の喪失」をキーワードにして看破した論考として、http://www.kt.rim.or.jp/~arm/Arm_ro11.htm を参照。

*44:その後、2004年4月28日に発売されるまでの間、発売延期が繰り返された結果、「SNOW」「LOVERS」マブラヴ」と並んで"延期四天王"と称されるほど一部のファンから嘆かれたらしいが、それはまた別のお話である。

*45:この点は注意が必要である。補論:an CLANN As Dango―CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味する造語に過ぎないという試論を参照されたい。

*46:といいつつ、「CLANNAD」の深遠なところは、いわゆるBL・エンドまで用意されている点にもあるのだが、それはまた別のお話である。

*47:"泣きゲー又は感動系"というジャンル認識についても、麻枝准氏の「『ユーザーを感動させなければいけない』という気持ちでがんじがらめになっていた時期(もあったけど)、…途中から"感動させる"という枷を外したんです」という興味深い発言がある。「CLANNAD Scenario Writer's Intervier」『CLANNAD ビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757720254

*48:「最初に決まっている運命の枠内でどれだけ密度を高められるか、というテーマになっているんで、そういう意味では奇跡が起こって枠を飛び越えられるということは一切ない」(涼元悠一氏)にもかかわらず、「登場人物すべてがぎりぎりで踏みとどまっていた、というか、頑張り続けたんだ…。…そして、後から振り返った時に、どれだけ凄いことをしたか…というか、頑張っていたんだよ、ということを理解する」(麻枝准氏)というものが制作側の狙いだったところ、演出が過剰なまでに効果的過ぎたのか、無カ感や悔しさだけがプレイヤーの印象に残されるということが多発したらしい。「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」『カラフル・ピュアガール』2001年3月号所収。

*49:その効用の一側面を「街にはお話を抱えている人がたくさんいて、僕らはここでその話を一つ一つもらさずに聞いて回ることになる」と看破した論考として、http://d.hatena.ne.jp/sosuitarou/20041103#p1 を参照。また、それに関連して、http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/CLANNAD.html も参照。ただし、ネタバレ注意。

*50:むしろ、インターネット上で公開されている「CLANNAD」の攻略チャートは、複雑なシナリオ分岐を把握し切れていないものが多く、注意が必要である。

*51:もっとも、他シナリオに分岐してしまいたい誘惑にかられがちなので、かなりの忍耐力が必要だが。

*52:ゲーム本編で描写不足と思われた箇所の一部は、公式アンソロジーCLANNAD 光見守る坂道でOfficial Another Story」で補完されているが、ならば最初からゲーム本編に取り込んでおけという批判は、やはり避けられまい。ISBN:4840232504

*53:この点について、「CLANNAD」の個別シナリオの力量不足や恣意的な欠陥を客観的に認めた上で、なお描写不足な点を思考停止して叩くだけではもったいないとし、個別シナリオの再評価を促す論考として、http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/clannad/clannad.htm を参照。ただし、思い切りネタバレなので注意。

*54:作詞者の麻枝准氏は、「今回の(「Kanon」の)仕事のなかでいちばん納得できたのは『Last regrets』…の作詞です」とまで発言している。「Key Staff Intervier」『Kanonビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757700393

*55:たとえば、「最後まで 笑ってる 強さを もう 知っていた」。

*56:この点を端的に指摘する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/air_op.html を参照。また、「鳥の詩」の詳細な歌詞分析を試みた論考として、http://park.zero.ad.jp/~zbi09711/bird.htm を参照。

*57:"空から僕を呼んでいる""きっと"をそれぞれ「約束」とかけているという読み方は、ちと深読みし過ぎかもしれない。"飛び立てば"を「さようなら」とかけているという読み方も、やっぱり深読みし過ぎかもしれない。

*58:サポートに「オープニングムービーが見られない」という電話がかかってくるくらい、「CLANNAD」ではなかなかオープニングムービーが始まらない。ある特定のシナリオの途中、5月2日の場面で1回だけ流れる。この点については、「ずっと前から考えていた演出だ(し)…、感覚的にも…(あの場面)からオープニングムービーに入るのが、一番しっくり来ると思います」(麻枝准氏)、「わかる人には、その意図がわかったと思うんです」(涼元悠一氏)ということらしい。「CLANNAD Scenario Writer's Intervier」『CLANNAD ビジュアルファンブック』所収。ISBN:4757720254

*59:この演出手法は、既に「AIRAIR編冒頭の「覚悟できてる?」「じゃ、一緒にいこう」という場面で用いられていたのだが、「CLANNAD」ではオープニングムービーそのものをここに置いてしまった。

*60:この点については、http://monomino-oka.niu.ne.jp/old/200405.html#07_t2 を参照。

*61:本作「CLANNAD」は、それに先立って「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」全作品のプレイを済ませておくと、走馬灯が走るというか、感慨を増幅させられることこの上ないのである。

*62:CLANNAD」における"「家族」になる"ことの多義性について、伊吹風子シナリオを題材にして考察する論考として、http://sapporo.cool.ne.jp/jt/diary/04/april.htm#040430 を参照。同じく、一ノ瀬ことみシナリオを題材に考察する論考として、http://sapporo.cool.ne.jp/jt/diary/04/may.htm#040503 を参照。いわく、「この作品において『家族』というのは帰るべき目的地なのであり、そこに至るためには『恋人』や『友人』の助けが必要なのか」。ただし、ネタバレ注意。

*63:これは、古河渚シナリオ〜AFTER STORYにおいて、最も該当する。

*64:これは、日本競馬界を代表する鬼才・寺山修司が遺した言葉である。正確には、「六さんは、競馬を人生の比喩だと思っていたが、それは間違いなのだ。人生を競馬の比喩だと思わなければならないのだ」。「競馬場で逢おう」『馬敗れて草原あり』所収。ISBN:4041315131

*65:いわずもがなのことではあるが、本論はポストモダンないしマジックリアリズムも容認する立場から書き下ろされているため、モダニズムないしシュルレアリスムしか認めない立場とは分かり合えない文章になっている。―といえばもっともらしいのですが、実際には文責者の個人的見解(毒電波入り)、へたすれば先行文献の要約に過ぎません(だんだん、どこかで誰かが同じことをもう書いているような気がしてきました)。生温かく、見守ってください。

*66:id:momdoさんやid:PEH01404さんからインスパイアされてみました。

*67:ここでは「ONE〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」「CLANNAD」を指す。