競馬サブカルチャー論・第13回:馬と『機動武闘伝Gガンダム』(上)〜能ある馬は、蹄を隠す/サブカル界三大名馬・風雲再起!〜

 この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。 「ならば貴様が正しいかワシが正しいか、勝利の二文字をもって教えてくれるッ!」

 ―馬は、常に人間の傍らに在る。

 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載は、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。

− 今川泰宏・総監督『機動武闘伝Gガンダム』 より−

 未来世紀―荒廃しつつある地球を捨てた人類は、宇宙にスペースコロニー国家を作り生活していた。各国では宇宙での大規模な戦争を避けるため、ガンダムファイトと称し、地球をリングに各国の代表としてガンダム同士を闘わせ、優勝した国にその後4年間の主導権を与える制度を発案する。そして未来世紀60年、ガンダムファイト第13回大会が開催されようとしていた。主人公のドモン・カッシュは、クルーのレイン・ミカムラとともに各地をさまよいながら、ネオジャパン代表のガンダムファイターとしてガンダムファイトを続けていた…。


 「機動武闘伝Gガンダム」(以下「Gガンダム」)は、1994年4月から1995年3月までの1年間にわたって放映されたアニメ番組である。いわゆる「ガンダム」のTVシリーズは、それまでに「機動戦士ガンダム」(79年〜80年、通称「1st.」)、「機動戦士Zガンダム」(85年〜86年、通称「Z」)、「機動戦士ガンダムZZ」(86年〜87年、通称「ZZ」)、「機動戦士Vガンダム」(93年〜94年、通称「V」)が制作されており、Gガンダムはシリーズ5作目にあたる。

 しかしながら、再放送をきっかけにブレイクした1st.の残照(もっとも、初放映時は打ち切りだったとされている)が薄れるにつれて、ガンダムシリーズの人気は先細りとなりつつあった。直前のVガンダムが興行的に失敗に終わったことでガンダムシリーズは危機を迎えたが、Gガンダムでは初期三部作の中心人物である富野由悠起氏に代えて、「ミスター味っ子」「ジャイアントロボ -THE ANIMATION-」などの斬新な演出で視聴者の魂を魅了した今川泰宏氏を総監督に起用し、伝統のタイトルである「機動戦士」はもちろんのこと、世界観自体も大幅に変更することによって、マンネリの打破を目指した野心作であった。

 この「今川路線」がヒットしてGガンダムは成功裏に完結し、ガンダムシリーズの「中興の祖」とも言うべき存在となった。

 しかしながら、その一方でGガンダムは、「ガンダムはリアルなロボット戦争劇でなければならない」という固定観念にとらわれ、

「初期三部作(1st.、Z、ZZ)以外はガンダムとして認めない!」
「否、真のガンダムは1st.だけだ!」

などという狭量な視野しか持たないガンダム極右派、ガンダム原理主義者たちからは、「登場するロボットがすべてガンダム」「ガンダム同士の格闘」といった旧概念を破壊する演出を嫌悪し、「ガンダムの伝統と重みを木っ端微塵に打ち砕いた」A級戦犯として憎悪を集めてもいる。「Gを認めるか否か」という問題は、野球界とガンダム界においては、最も根源的なイデオロギー問題としてその者の人格と信念を試すリトマス試験紙とされる。

 だが、Gガンダムとは、その存在自体でも、前記のとおりガンダムシリーズの中興の祖というべき存在である。Gガンダムの登場によってガンダムシリーズが継続を許されただけでなく、国際的豊かな演出によって海外でも高い評価を得たことで(ちなみに、海外で人気が高いのはGガンダムとその後番組のガンダムWであり、初期三部作は人気がないらしい)世界に「GUNDAM」の名を知らしめ、さらにガンダムの世界に初期三部作の世界観に閉じこもらない無限の広がりを与えたのである(後にGガンダムの「未来世紀」は、富野氏によって初期三部作などの「宇宙世紀」と連続性を持つ世界として公認され、極右派原理主義者たちを恐慌に落とし込んだ)。

 Gガンダムの素晴らしいところのひとつとして、馬に対して極めて高い尊敬を捧げている点が挙げられる。この作品に現れるある馬は、他に類を見ない優れた能力を持ち、活躍を見せる。この馬こそが、「サブカル界三大名馬」の1頭とも呼ぶべき存在の「風雲再起」である。

 風雲再起が物語の本編に登場するのは、第6話「闘えドモン!地球がリングだ」である。当時、地球の各地で他国のガンダムファイターたちと転戦していたドモンだが、負けはしないものの格下相手に苦戦を続ける彼の闘志をかきたてるため、ネオ・ジャパンの上層部はドモンに、「テスト」と称して彼がガンダムファイトに身を投じる原因となった過去のある「事件」を幻覚として再現して見せつけることによって、彼の憎しみを駆り立てようとする(過去の因縁を視聴者に説明するためだろう、という突っ込みは、とりあえず無用である)。

 その回想の中で、ドモンはまだオープニングにしか出てきていなかった白い長髪のヒゲオヤジ…東方不敗ことマスター・アジアについて、家族に自らの師匠として自慢する。

「なんて言ったかしら、あなたの先生…。」
「マスター・アジア。そりゃ強い人だったさ。なんせコロニー格闘技五天王の『シャッフル同盟』の頂点に立つ人。人呼んで、『東方不敗』! 先代の『キングオブハート』さ!! 」

 その時ドモンが回想する東方不敗ことマスター・アジアは、馬の上に直立していた…!

 この回は、ドモンがガンダムファイトに身を投じた理由―そしてドモンが仇として追う「写真の男」の正体が視聴者たちに明かされる、極めて重要な回である。ドモンは、父が開発したデビルガンダムを世界征服に利用するために奪い取り、その結果母を死に至らしめ、父に永久冷凍刑の汚名を着せた自らの兄・キョウジとデビルガンダムを討つために、ガンダムファイターになったのである。このような回に初登場したということ自体、風雲再起の今後の大活躍を予想させる。

 風雲再起の次の登場は第12話「その名は東方不敗!マスター・アジア見参」である。転戦していたドモンは、デビルガンダムがシンジュクに出現したという報を聞き、住民の救出と宿敵打倒のためにシンジュクへと急行するが、デス・アーミーと呼ばれる量産型自動戦闘タイプのモビルアーマー(戦闘用巨大ロボットを想像されたい)に包囲され、危機に陥ってしまう。

 ドモンがガンダムを呼び出そうとした時、正体不明の覆面男が現れた。矢のように動き回り、車と同じ速さで走る覆面男は、

「ここではやたらにガンダムを動かすでない!」

とドモンを一喝し、

「借りるぞ!」

と称してドモンのハチマキを否応なく奪い取ると、そのハチマキを駆使して雲霞の如く押し寄せるモビルアーマーの大軍を生身のままで次々と撃破していく。ハチマキの縮尺まで自在に操るその覆面男こそ、デビルガンダムに抵抗する防衛組織を率いる、ドモンのかつての師匠・マスター・アジアだったのだ!

 その後展開されるのは、サブカル界で「燃え」を語るにあっては決して外すことができない名シーンである。

「どこを見ておる!わしはここだ、ここにおる!」
「師匠!」
「くわぁーつ! 答えろドモン!! 流派、東方不敗は! 」
「王者の風よ! 」
「全新! 」
「系裂! 」
「天破侠乱! 」
「見よ、東方は紅く燃えているーっ! 」

 このシーンを見ずして「燃え」を語ることは許されない。その直後、マスター・アジアと再会したドモンが、それまでの世をすねたようなキャラをすべて放棄し、目をうるうるさせて感激するのも高得点である。それはさておき、かつての弟子と再会したマスター・アジアは、自分がシンジュクにいる理由をドモンに語る。馬が活躍するのは、マスター・アジアの話の中でのことである。

「お前も知ってのとおり、前回のガンダムファイトに優勝したネオホンコンから、わしは再びファイターとして参加し、このシンジュクで対戦相手に呼び出された。だが、それは罠だった…。」

 対戦相手を待つ際、東方不敗白馬の上に直立して微動だにせず待ち受けていた。そんなマスターは、対戦相手の代わりに現れたデビルガンダムの襲撃を受けるが、その危機から脱出する時に彼の足となったのも、彼の愛馬である白馬、風雲再起だったのだ。

 馬の上に直立する。これは、人馬ともに凄いことである。マスター・アジアが凄いのは、初登場時にいきなり生身のままモビルアーマーの大軍と戦って撃破していることから容易に読み取れるが、いかなる武道の達人でも、背中の上で人間が直立しようとすると、並の馬なら動こうとするだろう。その点、風雲再起は、マスター・アジアが背中の上で立っていても、指示があるまで微動だにしない。しかし、ひとたびマスター・アジアの指示があれば、彼を乗せて最強の敵であるデビルガンダムの奇襲から脱出を果たすのだから、彼の馬が馬離れした卓越した実力を持っていることは明らかである。さすがは素手モビルアーマーを破壊するほどの武道の達人が愛馬に選ぶだけのことはある。風雲再起は、たいした名馬である。

 ただ、これだけでは「サブカル界三大名馬」に数えるには足りない。この段階で目立っているのは、まだ偉大な武道家であるマスター・アジアだけである。平時においては飼い主(?)を立ててそちらを目立たせるのも忠実な名馬の条件であるが、名馬の中の名馬たり得るかどうかは、そんな飼い主が危機に陥ったときに如何に振舞うかによって定まる。

 ここまで、マスター・アジアはほとんど危機に陥らないため、風雲再起はその真価を表していない。というより、表す必要もない。能ある馬は、蹄を隠すのである。この時点ではまだ回想でしか登場していない風雲再起だが、その真価は物語の進展に伴って徐々に明らかになっていく。風雲再起は、平時において名馬であるだけでなく、大乱世における名馬の中の名馬なのである。

 競馬サブカルチャー論においては、今後3回にわたって、風雲再起の偉大さを紹介し、論証していく予定である。その全貌が明らかになった時、風雲再起の名馬性が天下に広く知れ渡り、同族から彼を輩出した馬に対する国民の認識をより新たな至りへと導くことを、本稿の目的としたい。

 馬が果たす役割は、計り知れない。そこに馬がいるから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:ぺ)