競馬サブカルチャー論・第01回:馬と『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(劇場版)』〜人物邂逅の魅力/そこに馬がいたから〜
この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
―馬は、常に人間の傍らに在る。
その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載を通じ、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
ガンダムという作品の魅力として格好良いモビルスーツやスペースコロニー、月面都市等の壮大な世界設定を挙げることができる。しかし、最大の魅力は、作品に登場する人物と彼らの巡り合わせにこそあるのだ。
なかでも、シャア・アズナブルとアムロ・レイ、そして彼らを取り巻く人物たちが織り成すストーリーは、全作品を通じて最も深いものといえよう。純粋な(いろんな意味で)シャア。と優しさをもった(いろんな意味で)アムロ。そして、2人の間を漂っていたララァ・スン。『機動戦士ガンダム』『機動戦士Ζガンダム』を通じ織り成されてきたストーリーは、『逆襲のシャア』において二人の男の対決という形で完結する。
歴史は再び繰り返す。
かつてララァをめぐり戦った二人は、『逆襲のシャア』において再び一人の少女を争いの渦に巻き込んでいく。
「…少女をたぶらかすのも、互角の戦いってことか!」とアムロをして言わしめ(小説版より)、「あの娘と同じだ…」とシャアの胸を振るわせた。その少女こそが、クェス・パラヤである。
クェス・パラヤは地球連邦政府参謀次官アデナウアー・パラヤの一人娘である。ニュータイプとして天才的な能力を発揮し、ヤクト・ドーガのパイロットを経て後、ネオ・ジオンNT専用試作型モビルアーマー「α・アジール」を任される。
クェスは孤独な少女だった。母親とは生き別れた。父アデナウァーは娘を理解しない。彼女は父性的存在を追い求めていた。そんな中で、彼女はアムロ・レイと出会う。彼女はアムロの中に父を求めた。しかし、アムロには恋人チェーン・アギが既にいた。彼女は安らぎを得ることはできなかった。
そして、悲劇は再び繰り返す。アムロ、ハサウェイ・ノアとともに湖畔にドライブに出かけたとき、事件は起こった。
滑ったエレカが前方の繁みに迫った時である。その影で馬が嘶くのが聞こえ、飛び出した騎馬が竿立ちになった。
アムロ「ウッ!?」
シャア「ドウッ!」
馬に跨っていた男こそ、かのシャア・アズナブル―ネオ・ジオン軍総帥だった。このとき、なぜシャアは馬に跨っていたか―。その事情は不明である。
アムロは、一瞬にしてその男がシャアであると分かった。
アムロ「貴様っ! なんでここにいるんだ?」
シャア「「私はお前と違って、パイロットだけをやっているわけにはいかん」
アムロ「なんだと。俺達と一緒に戦った男が、なんで地球潰しを?」
シャア「地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ」
アムロ「シャアッ!」
アムロがそう叫んで馬上のシャアにめがけて飛びかかった。
もみ合いながら、芝の上に転がり合う二人。
シャア「世界は、人間のエゴ全部は飲み込めやしない」
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民どもすべてに英知を授けてみせろ」
アムロ「貴様をやってからそうさせてもらう」
丸腰のシャアに向けて、アムロは銃を構えた!
そのときである。
クェス「アムロ!あんたちょっとセコイよ!」
クェスはアムロが構えた銃を払い、シャアの許へと駆け寄った。
シャア「行くかい?」
その時、歴史は動いた。
シャアは、馬に跨っていたがゆえに落馬した。そして、アムロと遭遇し、上記の論争を経て、クエスの鞍替えが発生した。シャアがあの時、馬に跨っていなければ―。クェスがネオ・ジオンに行く契機は永久に失われたはずである。
つまり―。
馬がいなければ「邪気が来たか!」とアムロが察知することもなかった。
馬がいなければ「大佐のララァ・スンって寝言を聞いた女は、かなりいるんだ!」と陰口が叩かれることもなかった。「そんなこと言うから若い男は嫌いなんだ!」とギュネイがクェスの怒りを買うこともなかっただろう。
馬がいなければ「子供は嫌いだ!ずうずうしいから!」とハサウェイが邪険に扱われることもあり得なかったし、「直撃!?どきなさい!ハサウェイ!」という謎の台詞が飛び出すこともなかった。ましてや、「やっちゃいけなかったんだ!」とハサウェイが電波を撒き散らすことなんてトンでもなかっただろう。
そして、馬がいたからこそ、「地球がダメになるかならないかなんだ!やってみる価値ありますぜ!」という、名も無きジオン兵の名言も生まれた。これも感慨深い出来事だ。馬がそこにいなければ、『アクシズ落とし』すらあり得なかったのである。『逆襲のシャア』設定世界における、馬の果たした役割の大きさは、かくも計り知れない。
そこに馬がいたから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:へ)