さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その40「フレイズの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MilkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 フレイズ[Fraise(USA)]→2002年11月1日用途変更

 1988年生。父は世界を股にかけた活躍をし、仏・独・豪の参加国でGI6勝の国際派の名馬Strawberry Road。同馬は豪州で年度代表場に輝き、またジャパンC(国際GI)にも来日(カツラギエースの7着)している。

 母はオークツリー招待H(米GI)、ドーヴィル大賞(仏GII)を勝った名牝Zalataia。ディクタスの輸入前の代表産駒でもある。

 現役時代はBCターフを勝ったTheatricalを手がけ、後にアメリカ1990年代最高の名馬といわれるCigarを育てた名伯楽William Mott調教師の下で出走。3歳時から芝に出走し、ラウンドテーブルH(米GIII)で重賞初制覇。

 翌4歳は米芝長距離路線を引っ張る大活躍。夏のソードダンサーH(米GI)でGI初制覇。ターフチャンピオンシップ(米GI)、ターフクラシック(米GI)で連続2着の後、BCターフ(米GI)ではターフクラシックで後塵を拝したSky Classicを今度はハナ差捉えて見事優勝。勝ちタイムはBCターフのレースレコードだった。

 結局、同じ年のアーリントンミリオン(米GI)勝ち馬Dr. DeviousをBCで4着に降したことも評価され、1992年米国最優秀芝馬の座を獲得した。

 5歳時もアメリカの芝長距離路線で活躍し、パンアメリカンH(米GII)、ハリウッドターフCH(米GI)に優勝。しかし、サンファンカピストラーノ招待H(米GI)が3着、BCターフ(米GI)でも4着と、この年の米国年度代表馬Kotashaanには歯が立たなかった。

 6歳になるとさすがに衰えが隠せず、パンアメリカンH(米GII)を連覇したものの、マンノウォーS(米GI)が3着。BCターフ(米GI)ではTikkanenの11着と大敗。ジャパンC(国際GI)にも出走したものの、武豊騎手の騎乗でマーベラスクラウンの10着に終わり、そのまま現役を引退した。

 種牡馬としては、岩手のオークスひまわり賞を勝ったビスカリアンジュや、昨年の高知2歳チャンピオン決定戦・金の鞍賞を勝ち、今年の黒潮皐月賞で2着したモエロイイオンナらを出しているものの、大物は輩出できていない。現役引退のタイミングをやや逸した感はあったものの、ディクタス牝馬Nijinsky系の父という血統構成は日本向きと思われ、産駒の活躍が期待されていたのだが…。ただ、最近になってようやく産駒が走り始めたという印象もある。残された産駒に期待を託すことはできそうだ。

 同馬は種牡馬引退後、千葉県山武郡芝山町のオリンピッククラブ宝馬乗馬学校に移動し、乗馬として第二の馬生を歩み始めた。また、現役時代の馬主だったマドレーヌ・ポールソン未亡人が、いつでも同馬を引き取る用意があると表明したことが海外で報道されている。どうやら余生が保証される見通しが立ったといえそうであることは、同馬にとって幸いなことであろう。