さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その22「スイフトセイダイの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 スイフトセイダイ(JPN)→2002年9月、用途変更

 グレートホープとともに「SG時代」を築き、岩手競馬の黄金期の扉を開いた名馬。

 1986年生。父は1歳時に史上三番目の価格で購入され、未出走のまま種牡馬入りしたスイフトスワロー日本ダービー(GI)2着のサニースワロー京都新聞杯(GII)勝ち馬のレオテンザンのほか、帝王賞2勝の名馬チャンピオンスターなどダートの活躍馬も多数輩出し、まずまずの成功を収めた。母は父ブレイクニー産駒のエンジョイという血統。

 旧3歳時に水沢でデビューし、3歳時はなんと無傷の9連勝。南部駒賞、東北サラブレット3歳チャンピオンなどを制し、岩手のトップスターとなる。

 旧4歳時は最初の2戦こそ2着に敗れたものの、その後は4連勝。続く「岩手のダービー」不来方賞も、後に宿命のライバルとしてSG時代を築くことになるグレートホープを抑えて優勝。岩手の代表として全国のライバルを迎え撃ったダービーグランプリにおいても、3番手追走からの早め抜け出しで佐賀代表のギオンアトラスの猛追を振り切り、見事6連勝達成。地元・岩手にダービーグランプリの栄冠を初めてもたらした。グレートホープは3着。

 勢いに乗ったスイフトセイダイは、地元岩手の年末総決算である桐花賞を同期のライバル・グレートホープに任せ、南関東・大井の年末総決算―東京大賞典に勇躍遠征する(当時は他地区との交流戦ではなかったため、一時的な転厩という形式をとった)。しかし、何といっても迎え撃つ南関東の総大将が史上最高の名牝との呼び声高いロジータだった。大井のエース・的場文男騎手を背に4角先頭から懸命に食い下がってみたものの、ロジータには突き放されて2着に敗れた。

 翌・旧5歳時は再び岩手に戻り、岩手の最高峰・みちのく大賞典に勝つなど6戦4勝し、秋に再び南関東へ遠征。今度は万全を期して東京大賞典の前に一叩きをするというローテーションで臨んだものの、ステップレースのグランドチャンピオン2000、本番の東京大賞典ともにダイゴウガルダンが立ち塞がり、再び2着と涙を飲んだ。

 旧6歳時は3連勝でシアンモア記念に優勝。このシアンモア記念ではライバル、グレートホープレコードタイムで完封し、圧倒的なパワーをアピールした。その後は、果敢にもJRAに遠征する。

 オールカマー(GIII)では初めての芝に戸惑ったのか、ジョージモナークの5着。続くブリーダーズゴールドCでも、JRAのダート王・カミノクレッセには大差で敗れるものの、2着には粘り込んで岩手の王者の意地は見せた。

 旧7歳時になると、さしものスイフトセイダイもやや衰えが見られ始め、グレートホープにも先着を許すようになるが、それでもシアンモア記念の2連覇を達成するなど、激しい鍔迫り合いを演じて最後のきらめきを放った。

 旧8歳〜9歳時はモリユウプリンス、トウケイニセイといった新星に舞台を譲る形で退潮。13戦して1勝に終わり、ついに時勢はSG時代からTM時代へと移り変わることとなった。

 550kgを越える巨漢で、いかにもパワフルな力馬型の名馬だったスイフトセイダイ。何といっても、ダービーグランプリでの岩手代表馬初勝利に始まり、積極的に他地区に遠征して、「岩手に名馬スイフトセイダイあり」ということをアピールし続けた功績は大きい。岩手の名馬といえば、トウケイニセイメイセイオペラトーホウエンペラーが巷間ではよく知られているであろうが、メイセイオペラトーホウエンペラーの積極的な他地区への遠征の礎を築いたのはやはりスイフトセイダイというべきである。また、トウケイニセイとモリユウプリンスが、スイフトセイダイ、グレートホープのSGに対する追い付け追い越せの精神から生まれた名馬であることも異論のないところであろう。

 晩年の不振のためか、残念ながら種牡馬としてのスイフトセイダイは交配相手に恵まれた環境にあったとはいい難い。しかし、可能性は少なくとも、スイフトセイダイの産駒の中から、再び岩手発で全国で活躍するようなスターホースが出ることを願いたい。また、たとえそれが叶うことがなかったとしても、岩手競馬の現在の礎を築いたスイフトセイダイの功績は、全く輝きを失うものではない。