さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その23「スギノハヤカゼの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 スギノハヤカゼ(USA)→2002年2月8日、用途変更(その後11月29日、腹痛のため死亡)

 ここ一番で雨に泣いた、スプリント路線の名脇役

 1993年生。父は、名馬Krisの全弟でこちらも名種牡馬Diesis。母は、Bold Ruler系でミラノ大賞(伊G1)勝ち馬のRouge Sangを父に持つChaleur。半兄にシャンペンS(英G2)を勝ち、デューハーストS(英G1)2着のBog Trotterがいる。

 旧3歳秋の京都開催でデビューし、いきなり1分21秒8のレコードタイムで優勝。続く黄菊賞は人気を裏切る4着だったものの、中京の樅の木賞を勝ってオープン入り。

 旧4歳時は、ヒヤシンスSアーリントンC(GIII)と連勝して、この年から新設されたNHKマイルC路線の西の主役に躍り出たものの、トライアルのニュージーランドトロフィー4歳S(GII)、本番のNHKマイルC(GI)ともに5着といま一つの内容に終わる。続く中日スポーツ賞4歳S(GIII)では地力の違いを発揮したスギノハヤカゼは、夏場を休養。セントウルS(GIII)3着に続くスワンS(GII)では、1分19秒3の芝1400mの日本レコード(当時)で快勝した。しかし、期待を集めたマイルチャンピオンシップ(GI)では8着、スプリンターズS(GI)では5着と、ここ一番での弱さを再び露呈してしまう。

 旧5歳春のシーズン4戦は着外に終わったものの、秋シーズンは主戦の田島裕和騎手から南井克巳騎手、武豊騎手とテコ入れされてセントウルS(GIII)、スワンS(GII)で連続2着。復調気配を見せて田島騎手に戻ったCBC賞(GII)でもエイシンバーリンをキッチリ差し切って優勝を遂げた。スプリンターズS(GI)でも、名馬タイキシャトルには及ばなかったものの2着と健闘。

 旧6歳時はシルクロードS(GIII)を一叩きされ高松宮杯(GI)へ。重賞2勝を含む4戦3勝の中京芝1200m、タイキシャトルのいないメンバー構成でGI奪取に向けて千載一遇の好機と思われたが、レース当日に無情の雨。重馬場はからきし苦手のスギノハヤカゼにとっては、この時点でレースは終わったも同然で、無念の11着に沈んだ。

 その後は骨折、繋靭帯炎などの脚部不安に苦しめられ、長らく休養。復帰後も苦戦が続いた。

 旧8歳のセントウルS(GIII)で、一旦先頭とあわやのシーンを作り、3着。ファンに期待を抱かせながら、続くスプリンターズS(GI)はまたしても稍重で時計のかかる馬場を前に失速。結局、この年を最後に現役を引退した。

 種牡馬としてはわずか1年間の供用となり、さすがに活躍馬を輩出する可能性は低いといわざるを得ない。そして、功労馬として門別町の「名馬のふるさとステーション」でファンと共に余生を過ごす幸福を得た直後の急死。実に残念なことではあるが、短い期間ながらもファンに見守られての時間を過ごせたことは、やはり幸せだったといえるのではないだろうか。

 また蛇足ながら、同馬の訃報に接した田島裕和騎手が、「私の愛馬」という言葉を発した後、なかなかその死を信じようとしなかったという事実についても、付言しておきたい。