さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その21「サーペンアップの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 サーペンアップ(JPN)→2002年12月9日、死亡

 脚部不安に泣いたダービーの脇役。

 1986年生。父は名馬Sir Ivorの初期の代表産駒で、種牡馬としてもランニングフリーゴールデンアイなど、タフで渋い脇役を輩出して成功したサーペンフロ。母はシュンバルボアで、その父は種牡馬としてゴールドウェイなどまずまずの活躍馬を出し、特にブルードメア・サイヤーとして成功したネプテューヌスである。

 旧3歳秋の府中開催において平目騎手鞍上でデビューし、初戦は6番人気ながら3着と好走。これで折り返しの二戦目は1番人気に支持されたものの、またしても3着止まり。ここでひと息入れられ、明けて旧4歳3月の中山開催で復帰。初ダートにもかかわらず1番人気に応えてきっちり勝ち上がった。

 しかし、クラシック路線を目指して果敢に重賞に格上挑戦したスプリングS(GII)ではナルシスノワールの14頭立て14着に沈み、皐月賞戦線から脱落。それでも続く400万下の平場を田村正光騎手に乗り替わり、1番人気で5馬身差の快勝。ダービー出走に望みをつないだ。

 そしてダービー出走権を賭けて望んだ青葉賞新馬戦での3着があるとはいえ芝は未勝利、勝った二戦はいずれもダートという成績だけに、8番人気の伏兵評価も致し方なかった。1番人気は4戦2勝二着1回、毎日杯(GIII)3着の実績馬サツキオアシスだった。しかし、サーペンアップは直線一気の豪快な競馬で快勝。見事ダービー出走権を獲得した。2着は未勝利を勝ったばかりの12番人気ロンドンボーイで、馬連導入前ながら、枠連で9170円という波乱を演出した。1番人気のサツキオアシスは4着。

 こうして迎えた日本ダービー(GI)では、本番と同条件のレースを制したとはいうものの、勝ちタイムが2.29.2と遅く、青葉賞勝ち馬がそれまでダービー本番で全くの不振だったということもあって、11番人気と人気薄だった。ただ、この年の皐月賞は不良馬場でマル地のドクタースパートが優勝。トライアルのNHK杯(GII)も不良馬場で行われており、出走馬のどれもが決め手を欠く布陣。1番人気はオープン特別の若草Sを圧勝した「関西の秘密兵器」ロングシンホニーだった。

 レースは皐月賞2着のウイナーズサークルが抜け出し、2着にはNHK杯2着のリアルバースデーが粘った。サーペンアップは24頭立て24番枠という大外枠ながら、直線大外一気の追い込みを見せ、0.2秒差の3着。2着のリアルバースデーとはわずかにハナ差だった。

 この後、もとより不安のあった脚元に故障を発症。屈腱炎で2年半の休養を余儀なくされたサーペンアップは、復帰戦の900万条件の平場でラシアンゴールドの8.3秒差に大敗。その後移籍した公営新潟競馬でも2戦していいところはなく、ついに現役を引退した。

 ダービー3着、青葉賞勝ちという実績のみでは、さすがに恵まれた種牡馬生活を送ることはできず、これまでにこれといった活躍馬は出していない。

 Sir Ivor系は、オセアニアではSir Tristramが大成功したものの、世界的には衰退傾向にある。日本でもサーペンフロの代表産駒ランニングフリーランニングゲイルを出してはいるものの、サーペンアップも死亡してしまったことにより、サイヤーラインの断絶が時間の問題となってしまっているのは、残念なことである。