競馬サブカルチャー論・第18回:馬と『ONE〜輝く季節へ〜』その2〜この空の向こうに、その永遠の場所がある。〜
競馬サブカルチャー論とは
この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
―馬は、常に人間の傍らに在る。
その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
※以下の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されない商品に関するものを含みます。それから、ネタバレ全開です。
0:競馬サブカルチャー論とは
1:NEXTON/Tactics 『ONE〜輝く季節へ〜』より
2:「ONE〜輝く季節へ〜」の四つの歴史的意義
1:「To Heart」というフォーマットからの応用と脱却
1:「To Heart」によるビジュアルノベル形式の完成
2:"会話とエピソードの積み重ね"という「To Heart」のフォーマット
3:「To Heart」から「ONE〜輝く季節へ〜」に至るまでの時代背景
4:「ONE〜輝く季節へ〜」によるビジュアルノベル形式の応用〜恋愛ADV形式の復権
5:「ONE〜輝く季節へ〜」における「To Heart」的フォーマットの応用
6:"ヒロインと主人公の物語"という「ONE〜輝く季節へ〜」のフォーマット
2:「永遠の世界」というガジェットのもたらした衝撃
3:快楽系の希薄化と感動系(泣きゲー及び鬱ゲー)への端緒
1:「To Heart」マルチ・シナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成〜"キャラ萌え"からの帰納
2:「ONE〜輝く季節へ〜」における"泣きゲー"のシナリオ構成〜"ヒロインの物語"からの演繹
3:「ONE〜輝く季節へ〜」における"鬱ゲー"の端緒〜長森瑞佳シナリオの意義
4:Key的世界観の出発点にして終着点
1:失われた"恋愛"のかけらを求めて
2:「夢」「奇跡」「空」「光」に関するメモランダム
3:馬と「ONE〜輝く季節へ〜」 (←ここから読んでも無問題)
4:主な先行文献と参考資料
3.快楽系の希薄化と感動系(泣きゲー及び鬱ゲー)への端緒
これは"いたる絵"を採用したことからの必然でもあるのだが、本作ではシナリオ的に見て性交場面の必然性が相当弱い*1。さらには、"何気なく繰り返される日常"に快楽を見出すはずの"ハートフル学園恋愛ストーリー"型のフォーマットからも、本作が逸脱していることは既に指摘したところである。
つまり、本作においては、いわゆる"ナンパゲーム"ないし"楽園"願望的なものが満たされる快楽系としての要素は極めて希薄となっている。今でこそ、後のKeyブランド諸作品の特色からも明らかな通り、本作がこうしたジャンルと縁遠いことは当然視されているが、発売当時は18禁PCゲームとしての存在意義にかかわるとしてプレイヤーの間で賛否両論が沸き起こったとのことである。
―「To Heart」マルチシナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成〜"キャラ萌え"からの帰納―
ところで、プレイヤーを感動させる(又は泣かせる)シナリオを主要素とする感動系(泣きゲー)というジャンルについては、「Kanon」(1999年)以降、Keyブランド諸作品の顕著な特色として評価が定まっているが、このジャンルの萌芽が「To Heart」(1997年)のマルチ・シナリオに遡るということは、本論をはじめとする本・競馬サブカルチャー論において繰り返し 指摘してきたところである。
この「To Heart」マルチ・シナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成とは、どのようなものだったか。
これは、要するに、マルチというキャラクター設定(萌え要素)から帰納的に導き出された所産そのものである。ドジで泣き虫だけど純真なAI(心)を持つメイドロボットが、量産化に向けた試作機として生まれ、1週間だけ主人公の高校にテスト通学する―。ロボットという特性を利用すると、"心の有無""実体の有無""生死の概念""人間とロボットという絶対的な壁””プログラムを超越した感情表現"など、"愛すれど決して人間同士のように結ばれることはない"という無常さ、その現実を乗り越えようとする健気さと挫折、といった諸要素がまるで方程式のように導き出される*2。そして、このようなキャラクターが設定通りに動くだけで、"ロミオとジュリエット"も真っ青な純愛シナリオが自ずから紡ぎ出され、プレイヤーは思わず感動し、涙ぐんでしまうというわけである。
しかし、これはあくまでも個性的なキャラクターから魅力的な会話や逸話を引き出すためのスパイスのひとつに過ぎず、そのあらすじもキャラクター初登場時からプレイヤーに充分予測可能な、ある意味で予定調和的な範疇に収まるものだった*3。そこにはまだ、"萌え要素"と別次元な"ヒロインの物語"を見出すことはできない。
―「ONE〜輝く季節へ〜」における"泣きゲー"のシナリオ構成〜"ヒロインの物語"からの演繹―
これに対して、本作における"泣きゲー"としてのシナリオ構成は、"ヒロインの物語"という第三階層から演繹的に導き出されていく。端的にいえば、クライマックスに向けて当初から伏線を張り巡らしていき、序破急の急展開で一気呵成に大団円を迎えることによって、プレイヤーにカタルシス(浄化)がもたらされるというものである。本作でいうならば、里村茜シナリオがクライマックスの台詞*4から会話やエピソード、伏線、キャラ設定を逆算してシナリオを書き下ろされていったのが、その典型である*5。
そこでは、"萌え要素"の方が、クライマックスの"ヒロインの物語"を盛り上げるためのスパイスとして用いられ、前半部での"会話とエピソードの積み重ね"の丹念な描写すら、後半部でその喪失と落差を際立たせるための、いわば"持ち上げて落とす"ための伏線として全部構成されていく。そのあらすじは、キャラクター初登場時にはプレイヤーの予測が到底及ばないことが多く、またその方が望ましいとされる。
本作は、このような感動系(又は泣き)要素を全シナリオ一貫して前面に押し出した、初めての美少女ゲーム/ビジュアルノベルといって差し支えない*6。後の「Kanon」(1999年)でエポックメイキングを迎える"泣きゲー"の端緒は、既に本作で存分に見受けられるのである*7。
―「ONE〜輝く季節へ〜」における"鬱ゲー"の端緒〜長森瑞佳シナリオの意義―
"鬱ゲー"とは、"泣きゲー"や"燃えゲー"と並ぶ感動系ジャンルのひとつである。シナリオを進めるとプレイヤーの気が滅入り、一種のカタストロフ(破局)感がもたらされるのが特色である(なんだそれ)。本・競馬サブカルチャー論の説く美少女ゲーム/ビジュアルノベル史観によるならば、「WHITE ALBUM」(Leaf,1998年)や「君が望む永遠」(アージュ,2001年)がその代表格ということになるが、実は"鬱ゲー"の端緒を本作に見出すこともできる。
お察しの通り、本作のメインヒロイン・長森瑞佳シナリオ*8がそれである。
―長森瑞佳と折原浩平は、お互いに気の置けない幼なじみである。「腐れ縁」は今でも続いており、高校でも同じクラスだ。瑞佳は主人公のハイテンションなギャグに付き合わされ、いつも溜め息をついているが、毎朝主人公を起こしに来る温厚で世話好きな女の子。「やっぱり浩平にはしっかりした人が必要だよ」と自堕落な浩平のことをいつも心配している。二人は傍から見ていると恋人同士と思われてもおかしくないくらい親しいのだが、関係が近すぎるせいか、お互いに恋愛感情は持っていない…はずだった。
しかし、そんな二人の穏やかな関係は、ある事件をきっかけに突然変わってしまう。それは、クラスの男子たちによるたわいもないいたずら。『あなたにビッグチャンス到来!クリスマスキャンペーン実施のお知らせ』『くじ引きによる当選者一名様に、意中の彼女に告白する権利を進呈』『当選、おめでとうございます』。悪友に誘われてくじびきに参加し、見事当選してしまった浩平は、仕方なく「いつもオレの冗談で鍛えられているからな、あいつは。きっとみごとにフォローしてくれるに違いない」と、嘘の告白の相手に瑞佳を選ぶ。ところが。
さっさと済ませようと、用意しておいた言葉を口にした。
浩平「あぁ、えっと…長森」
長森「うん」
浩平「ずっと前から好きだったんだ…オレと付き合ってくれ!」
長森「え…?」
少し戸惑ったような表情。そしてその口が開く。
長森「う、うん…いいよ」
(BGM:折戸伸治(がんま)作曲「潮騒の午後」)
瑞佳は浩平の意図に反して、彼の告白を受け入れてしまう。そしてこの日を境に、瑞佳は幼なじみとしてではなく、恋人として浩平に接するようになる。
しかし。浩平はそんな瑞佳に対して困惑し、鬱陶しさを覚え、苛立ちすら感じ始める。(なんなんだろう、この感情は…。) やがて、彼は衝動的な憎しみを抑え切れなくなり、瑞佳を邪険に扱い続けた挙句、ついには彼女の純情を踏みにじるひどい仕打ちをしてしまう―。*9
プレイヤーにとって、思いもかけない展開とはまさにこのこと。瑞佳と付き合い始めた途端、浩平は彼女のことを避けるようになる。手をつないでくるのを振りほどき、朝起こしに来れば「恩に着せている気になるなよ、ばか」と罵り、クリスマス・イブ当日も話しかける彼女を徹底的に無視し、イブの夜にはデートをすっぽかす。それでも飽き足らないのか、彼は傷心の瑞佳を『ふたりだけのクリスマスをやり直そう』と言葉巧みに深夜の校舎へと呼び出すと―
入れ代わりに別の体が長森の前に立つ。
しかし長森がまだ目の慣れない暗闇の中で、そんなことが起きていようとは知る由もない。
ただオレを信じて、手を握っているだけだ。
やがて…
はぁ…はぁ…と男の荒い息。オレのじゃない。
長森「浩平っ…?」
だが、長森にそれがオレのものでないと見分ける術はなかった。
(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)
こういう選択肢を進まないと、バッドエンドに直行してしまうのである。プレイヤーは、瑞佳とのハッピーエンドを目指していたはずなのに、なぜこんな所業をしなければならないのかさっぱり理解できない。こうしてプレイヤーは胸が締め付けられ、煩悶し、苦渋し、まるで悪夢を見たときのような焦燥感を味わうはめになる。特に、長森瑞佳シナリオはここまで、明るく楽しいほのぼの"ハートフル学園ストーリー"を満喫する流れだっただけに、いきなり掌を返された後に襲われる不快さといったら強烈この上ない。とにかくプレイヤーは嫌な気分を強いられ、そして憂鬱になる*10。
このように主人公がプレイヤーの意向と正反対な行動をしてしまう長森瑞佳シナリオは、プレイヤーの分身としてPC=プレイヤーキャラクターたる主人公を意味付けることが当然視されていた当時、多くのプレイヤーにとっては耐え難いものとされ、不興を買ってしまった。「同級生」シリーズ(エルフ,1992-1997年) *11や「To Heart」(1997年)といった"楽園"願望的な快楽充足型のシナリオに慣れ親しんでいた当時のプレイヤーには、本シナリオのような不意打ち的な鬱展開に対する耐性が備わっていなかったのである*12。
というわけだから、この後に続く
長森「でもまた…やり直せるよね」
浩平「………」
長森「わたしは…浩平でないとダメなんだ」
オレはその言葉を、滲んだような目で、遠く広がる夜景を眺めながらに聞いていた。
浩平「………」
長森「やっぱり浩平でないとダメなんだよ」
(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)
という展開を真に受けて、「浩平の独りよがりな独占欲が肯定された」「瑞佳は男に都合の良すぎる願望の産物」*13といった批判が根強く付きまとうわけである(そして、それは一理あるのだ)。
とりあえずここでは、①本作でプレイヤーに求められているのは日常世界の折原浩平(オレ)に対してシンクロすることではなく、冷静な第三者的視点のまま―すなわち、そんな浩平の行動を「どうしてあんなことをするんだろう…」と「永遠の世界」から傍観している*14「ぼく」という視点にシンクロすべきである―ということ*15、②長森瑞佳シナリオにおける折原浩平の心境の異変については、あまりにもド派手すぎて逆に伏線として気付きにくくなっているが、「永遠の世界」到来の予感に苛まれる彼の"怯え"*16が原因である*17、という二点を指摘するに留めておきたい。長森瑞佳シナリオは確かに"じれったさ"や"もどかしさ"、"狂おしさ"で一杯かもしれないが*18、そのカタストロフはカタルシスへと収斂するようにきちんと出来上がっているのだ。
……
真っ赤な世界。
…どこまでも続く世界だ。
浩平「瑞佳っ!」
オレは思わず、長森の名を叫んでいた。
長森「………」
無感情の目でオレの顔を見ていた。
浩平「瑞佳…?」
(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)
4.Key的世界観の出発点にして終着点
―失われた"恋愛"のかけらを求めて―
本作「ONE〜輝く季節へ〜」は、ファンタジー*19であり、ジュブナイル*20であり、そして何よりもラブストーリーである。
後のKeyブランド諸作品「Kanon」「AIR」「CLANNAD」との相対評価に過ぎないと断った上での話だが、ラブストーリーとしての描写に最も成功しているのは間違いなく本作である。後のKeyブランド諸作品は「家族(的な人間関係)の再生」というモチーフへの傾倒を強める一方ということもあり*21、剥き出しの恋愛描写を見出すことが可能な本作の稀少価値は決して小さくない。「永遠の世界」の"別離と消滅、そして再会"というガジェットには、"二人が互いを想い続けることができたときだけ主人公とヒロインは再会できる"という、ラブストーリーとしての秀逸な側面も含まれているのだ。
そして、そこから浮かび上がってくるのは、登場人物たちの愛憎入り交じった「会いたい」いう強い想いである*22。このことは、久弥直樹氏担当の川名みさきシナリオと里村茜シナリオでもきれいに描かれているが、殊に麻枝准氏が書き下ろした長森瑞佳シナリオにおいて際立っている*23。麻枝氏は本作前後を通じKey系主要作品でシナリオを担当している唯一の人物に当たるが、氏がまともに*24ラブストーリー書くことができたのは*25、下手をすると本作の長森瑞佳シナリオだけかもしれない。
後のKeyブランド諸作品では"家族愛"によって押し退けられ、失われてしまった"恋愛"のかけらが、本作には残されている。―これから先のKey作品において、本作で散りばめられた"恋愛"のかけらが紡がれることはないかもしれないけれど。
―「夢」「奇跡」「空」「光」に関するメモランダム―
最後に*26、ほぼ共通の制作スタッフによって後に発表された「Kanon」(Key,1999年)、「AIR」(Key,2000年)、「CLANNAD」(Key,2004年)と本作との間に見受けられる連続性について、メモランダム形式で触れておきたい*27。
〜「夢」〜
「Kanon」には、"思い出に還る物語"*28という側面がある。そこでは、過去に出会っていた"ヒロインと主人公の物語"へと辿り着くため、「夢」というガジェットが多用されている。
メインヒロイン*29の月宮あゆは、シナリオに応じて11個の夢を見るし*30、ヒロインたちは誰もが夢の中に留まっているといっても過言ではない*31。主人公の相沢祐一もヒロインたちに負けず劣らず、思い出すために夢を見る。そして、ヒロインの見る夢と主人公の見る夢がシンクロするに至ったときに、「Kanon」のシナリオはクライマックスを迎える*32。
眠気はあった。
だけど、その夜はなかなか寝つけなかった。
そして、俺は夢を見た。
雪が降っていた。
目の前に、大きな建物があった。
雪の積もった木のベンチに座って、俺はただ泣いていた。
(「Kanon」水瀬名雪シナリオより)
このプロットは、「CLANNAD」でもそのまま繰り返し用いられている。その白眉は何といっても一ノ瀬ことみシナリオである。主人公の岡崎朋也は物語の佳境、例の「光の玉」を手に入れた後、"思い出に還る"ための夢を見て、過去に出会っていた"ヒロインと主人公の物語"へと辿り着く。
【朋也】「君はタイムマシンでここに来たんだね」
【ことみ】「あ……」
ことみが瞳を見開いた。
信じられないというように、俺のことを見据える。
俺はただ、言葉の続きを待つ。
そして、ことみが口を開いた。
【ことみ】「ええ。わたしのお父さまが発明したの」
【朋也】「なら、ここにはよく来るのかい?」
【ことみ】「もう何度も。ここはわたしのお気に入りの時空座標だから」
(中略)
【朋也】「きみを迎えに来た」
(「CLANNAD」一ノ瀬ことみシナリオより)
そして、「AIR」においても、壮大なスケールの違いこそあるものの、メインヒロインの神尾観鈴は、翼人の記憶を継承する―"思い出に還る"―ために夢を見る。そして、やはり観鈴が「夢」を見終わったとき、「AIR」の千年の夏物語は文字通りのクライマックスに到達する。
【観鈴】「夢を見るの」
【往人】「………」
【往人】「ん…なんか言ったか」
風の音に紛れてよく聞こえなかった。
【観鈴】「夢を見るの」
【往人】「そら見るだろう。俺も見る」
(中略)
【観鈴】「空の夢」
俺はその言葉に反応して、観鈴の顔を見る。
観鈴は空を見上げていた。
(「AIR」DREAM編/神尾観鈴シナリオより)
このように、Key系諸作品において、"思い出に還る"ための「夢」というガジェットは、実に効果的に多用されている。
その原点は、もちろん本作において見出すことができる。上月澪シナリオで一度だけ、主人公の折原浩平が"思い出に還る"ために夢を見るシーンがあるのだ。
その夜、オレは夢を見た。
…キィーーーーー
……キィーーー
静かな公園に、鉄の軋む音だけが響いていた。
微かに揺れるブランコ。
そして、無表情に佇む女の子。
あまりにも遠くて忘れていた情景。
昔の思い出。
最後に言った言葉。
…約束だからな
(「ONE〜輝く季節へ〜」上月澪シナリオより)
次作の「Kanon」では「夢」と並んで「約束」というキーワードも重要な命題になっているが、両者とも既に本作の段階でその問題意識が顕在化している。この点は、実に興味深い。しかも、本作には、"思い出に還る"ためだけでなく、"現実に目覚める"ために夢を見るという逆説的なシチュエーションが含まれており、その異色ぶりは特筆に値する。
夢か…?
長森「浩平…気がついた…?」
長森が喋っている。
長森「もう、びっくりしたんだから…。床の上で倒れてるんだもの…」
夢の中の長森は、とても綺麗に見えた。どうしてこんなに綺麗なんだろう…。
(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)
後のKeyブランド諸作品は"過酷な現実との対峙、受容、克服"というジュブナイル的主題を完成させるために、散々試行錯誤を繰り返しているのだが*33、何のことはない、既に本作の時点で終着点は垣間見えていたのである。
〜「奇跡」〜
「Kanon」における「奇跡」というガジェットの扱いは、本作における「永遠の世界」並みに難解なものである*34。とりあえずここでは、「Kanon」の「奇跡」はご都合主義的なハッピーエンドでは決してないということを指摘するに留め*35、系譜的に先行する本作における「奇跡」の取り扱いについて若干触れておこう。
「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」には、"日常的な、奇跡のように思える偶然"*36という側面がある。奇跡はささやかな日常の中に無限にひそんでいる*37。
長森「どったの? こんなところで?」
浩平「待ってたんだよ、おまえを」
長森「えっ? こんなところを通りかかることなんてそんなにないのに」
浩平「じゃあ、ここで会えたのは奇跡だな」
長森「そだね」
(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)
「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」は、"あり得ないはずの状態"*38という意味で用いられる場面もある。ここで折原浩平が言う「奇跡」には、全ての人から彼の記憶が消えつつある中で、「オレの存在を見つけてくれるひとがいる」という得がたい状況に対する感慨が込められている。
浩平「隣、座らないか」
長森「うん」
オレの隣に長森が腰掛ける。
長森「それで、こんなところで何してたの?」
浩平「ほんとに奇跡を待ってたんだよ」
長森「わたしと会える?」
浩平「ああ」
(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)
「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」は、"超常的な救済"*39のようであっても、それは人為によってのみもたらされる。「永遠の世界」から日常世界に帰還するための手がかりを探る折原浩平と氷上シュンの会話に、その一端が見受けられる。
氷上「つまりキミに今必要なものは、人との絆ってわけだ」
浩平「絆ね…」
氷上「いつだって、奇跡は人との絆が起こすものなんだ」
氷上「それが今のキミを救ってくれる唯一のものなんだよ」
浩平「………」
(「ONE〜輝く季節へ〜」氷上シュン・シナリオより)
このように概観してみると、「Kanon」における「奇跡」を巡る"世界観の穴"*40は、本作の段階で既に開きつつあったということが見えてくるだろう。
〜「空」〜
「AIR」は、"夏はどこまでも続いていく。青く広がる空の下で。彼女が待つ、その大気の下で"というキャッチコピーを待つまでもなく、そのタイトルがずばり示す通り、「空」というガジェットが世界観全体を支配している。
「魔法を使えたらって、思ったことはないかなぁ?」と空を飛びたがる少女がいれば、別の少女は「飛べない翼に意味は、あるんでしょうか」と悩んでいる。空の夢を見ている少女は、「もうひとりのわたしが、そこにいる。そんな気がして」と呟く。誰もが空に思いを馳せている。1000回の夏を数えて。
とにかく、この空の向こうには、翼を持った少女がいるのだ。
これに対して、本作が示唆する「空」も、異色極まりないものがある。というよりも、まるで「AIR」の結末を預言するかのように、本作の登場人物たちは「空」について雄弁に物語っているのだ。
みさき「…みんな、この空の先にいるんだよね」
どこまでも広がる空を羨望の眼差しで見つめる先輩。
浩平「みんなって…?」
(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)
みさき「…ね、浩平君。今日はいい天気かな」
みさき先輩は、そういって真っ青な空を仰ぎ見た。
手をあげて、まぶしそうに日差しを遮る。
浩平「ああ」
どこまでも広がる、青一色に彩られた空を眺めながら、ただ頷く。
雲一つない晴天。
この世界はこんなにも綺麗だったんだと実感する。
(中略)
みさき「私ね、学校の屋上が好きだった理由が分かったような気がするんだ」
みさき「…一番近い場所だったんだよ」
みさき「私があこがれていた世界にね」
(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)
この空の先には、みさき先輩のあこがれていた世界がある。
この空だ…。
手足を伸ばしても、足を掻こうとも何にも届かない。
向かえる場所もなく、訪れる時間もない。
…永遠。
その言葉で繋がっていたのだ。
この空の向こうに、その永遠の場所がある。
(「ONE〜輝く季節へ〜」シナリオより)
けれども、空の向こうにあるのは、永遠の場所。
(空だけの世界…)
(この下には、何があるんだろうね)
(なんにもないよ)
(そうかな。あたしは、広大に広がる野に、放し飼いの羊がたくさんいると思うよ)
(いや、ずっと空だけが続いてるんだと思う)
(どうして…? 羊を放し飼いにしておこうよ)
(大地がないから、羊はみんな落下してゆくよ)
(だったら、大地を作ろうよ。新緑の芽生えたばかりの大地)
(いらないよ。海でいい)
(羊は、みんな海に落下してゆくの…?)
(そう。ぼちゃぼちゃと海に落ちる。)
(「ONE〜輝く季節へ〜」永遠の世界Ⅴより)
そして、空の下には何にもない。何もかもが海にぼちゃぼちゃと落ちるだけ。
何気なく見上げると、すでに雲は流されて、うっすらと暮れた空が天井を覆っていた。
浩平「……」
その空に、オレは人影を見た。
正確には、空ではなくて、空に面した場所。
校舎の屋上だ。
(中略)
下で見ていた以上に、その場所は風が強かった。
そして、冷たかった。
フェンスを大きく揺する突風。
太陽の暖かさも、この場所までは届いていないようだった。
そんな空間の中心に、その人はいた。
(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)
この空の向こうに、翼を持った少女はいないけれど、空に一番近い場所には、光を失っても笑顔を失わなかった少女が待っている。「空」に対する憧憬は、手を伸ばしても決して届かない。しかし、それがせめてもの慰めとなる。
「ONE〜輝く季節へ〜」における"冬の雲の天井"は、やはり「AIR」における"夏の大気"と同じ空の下にあるものとして描かれていると見るべきではないだろうか。
〜「光」〜
「CLANNAD」では、"奇跡を起こすのは、人の想い"というコンセプトの下、「光の玉」を集めるというガジェットが用いられている。そこでは、人々の幸せな想いが光に仮託されている。
プレイヤーは主人公の岡崎朋也に成り代わって登場人物たちの"物語"を聴いてまわり、街の人たちの幸せをそっとおすそ分けしてもらう。
長い、長い旅を、無数の…光と共に終えるために。
楽しいことは、これから始まるのだから。
【朋也】「…なんだ?」
俺は草から身を起こした。
刈り込んだ芝の上、豆粒ほどの光がゆっくりと浮かんでいる。
【朋也】「蛍?」
何かを訴えるような、本当に弱々しい明滅。
(中略)
知らず、俺は手をのばしていた…。
(「CLANNAD」一ノ瀬ことみシナリオより)
こうした人の想いと光を関連付ける表現技法は、実は既に本作の段階で見受けられるものである。しかも、本作の場合、仮託されている人の想いは、実に多種多様なのである。
たとえば、長森瑞佳シナリオの朝目覚めたときのまばゆい陽光や川名みさきシナリオの校舎の屋上に降りそそぐ夕焼けの赤い光は、ヒロインの初登場シーンを象徴付けしている。また、七瀬留美シナリオの雲の間から顔を覗かせた太陽の光や里村茜シナリオの雨に濡れたアスファルトの地面に反射する光*41、上月澪シナリオにおける満月が白く舗装された地面を照らす光は、それぞれ具体的な場面状況の下で登場人物の心情の暗喩として働いている。
それだけではない。
あの日から、ぼくは泣くことが多かった。
泣いていない隙間を見つけては、生活をしているようだった。
(中略)
4月の陽光に映え、緑がきれいな町だった。
でも、それでも、ぼくの涙は乾くことはなかった。
どれだけ涙というものは流し続けられるのだろう。不思議だった。
「泣いてるの…?」
そしてその町で、最初に泣いているぼくをみつけたのがその女の子だった。
(「ONE〜輝く季節へ〜」より)
「永遠の盟約」を交わす女の子もまた、やはり光によって象徴されていたのである。
*1:それでも、川名みさきシナリオや長森瑞佳シナリオのように、言葉のやり取りや主人公の心境にいろんな意味で含蓄が含まれている性交描写がないわけでもない。「他にどうすればいいか分からないからセックスする」という指摘もある。今木「麻枝准とエロ」(2000年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/r0210.shtml#3)より。
*3:高橋龍也氏発言「例えば『To Heart』の『マルチ』は泣き方向かもしれないですけど、『マルチ』が任務を終えて死ぬからかわいそうだとか、そういうのを書いたわけじゃなく『マルチ』という究極なまでにピュアな存在への問いかけが主題なんです。そういう味付け程度でしか『泣き要素』は受け入れられないものだと思っていたんですけど。」,「TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也&原田宇陀児」(2000年,http://www.tinami.com/x/interview/04/page12.html)より。
*4:「だからあなたのこと忘れます」
*5:久弥直樹氏発言「茜シナリオはラストシーンが浮かんで、それから作っていきました」,「輝く季節へ ビジュアルファンブック」(1999年,アスキー)より。
*6:「泣きゲー」のシナリオ分析については、涼元悠一「ノベルゲームのシナリオ作成技法」(2006年,秀和システム)が必読。特に、「泣きゲーを作っている人間は、自分のシナリオに泣いている」というのは作り手の自負と挟持を感じさせる至言。
*7:当時の時代状況について、「どうして一部のゲーマーがあれほどONE、Kanonの『泣き』にハマるかというと、その少女漫画的表現、言うなれば少女趣味的演出が、美少女ゲームという究極の男性趣味の中に突如として現れたことにカルチャーショックを受けたからである」と分析する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d9912-2.HTM#12.22 を参照。
*8:最新の論考として、then-d「Sweetheart,Sweetsland〜長森瑞佳論〜」(2006年,C70)があるとのことだが、残念ながら未読のため触れることができない。
*9:... _| ̄|○
*10:アシュタサポテ「『ONE〜輝く季節へ〜』(2)」(2000年,http://astazapote.com/archives/200004.html#d17)より。
*11:拙稿「競馬サブカルチャー論・第08回:馬と『同級生』〜18禁ゲームの始祖鳥/馬は”お嬢さま”と”ポニーテール”萌えを導いた〜」(2004年,d:id:milkyhorse:20041219:1103443200)を参照されたい。
*12:Leafが「To Heart」の次作として、まさにカウンターパンチ気味な「WHITE ALBUM」(1998年5月)を放ったときも、Leafの「痕」以前を知らずに「To Heart」から新規参入してきたプレイヤーは阿鼻叫喚したらしい。
*13:たとえば、APRIL FOOL「EZ-O-Zappar社の機密議事録(4) 折原浩平×長森瑞佳」(2001年,http://april1st.niu.ne.jp/column/one/EZ-O-Zappar4.html#082)など。
*15:雪駄「シンクロナイズドフラッター」(2000年,http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d0005-3.HTM#5.25)より。
*16:「一人称の語りを額面通り受け取っているだけではキャラの心情に迫るのが難しい」という指摘として、今木「レティサンス」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200308.html#14)。
*17:ばらもす「ときには、映画や小説のように 特集KEY(Tactics)の作品世界 『ONE〜輝く季節へ〜』 Episode1 長森瑞佳」(2001年,TimeCapsule『物語のおもちゃ箱〜人とゲームが紡ぎ出す無限の面白さ〜』 http://www.actv.ne.jp/~uzura/timecapsule/oldbooks/omocha/act2/mizuka.htm)より。
*18:相沢恵「永遠の少女システム解剖序論」(2000年,http://www.tinami.com/x/review/02/page7.html)より。
*19:文芸様式としてのファンタジー。火塚たつや「永遠の世界の向こうに見えるもの 総論 」(2001年,http://tatuya.niu.ne.jp/review/one/eien/outline.html)より。
*20:"過酷な現実との対峙、受容、克服"という成長物語。拙稿「競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜」(2006年,d:id:milkyhorse:20060406:p1)より。もしくは"不変よりも流転を""無限の永遠よりも限りある日常へ。そこには楽しいことも悲しいこともあるけれど、人と人との絆があるのだから"という成長物語。フジイトモヒコ「Last examinations 第1回 ONE前提考察」(2000年,http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/L.e_pre_e.html)より。
*21:久弥直樹氏が企画した「Kanon」はまだしも、「家族になる前の段階には興味がない」と公言する麻枝准氏が企画した「AIR」「CLANNAD」では恋愛に対する優先順位は家族愛に比べて明らかに低い。麻枝准・涼元悠一「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」(『カラフル・ピュアガール』2001年3月号,ビブロス)より。
*22:雪駄「物語の本質と感動」(2000年,http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d0001-4.HTM#1.27)より。
*23:then-d「『ONE』 〜視点の問題を中心に〜」(2001年,http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe5.htm)ほか。
*24:いろんな意味で。
*25:同様に、麻枝准氏のシナリオにおける"泣き"は"泣けば済むという問題ではなくなっている"ことが多く、唯一まともに"泣きゲー"のシナリオを書くことができたのも「CLANNAD」の伊吹風子シナリオだけかもしれない。この点については本稿でこれ以上追求しない。
*26:といっても、競馬サブカルチャー論的には前半部の最後に過ぎないが。
*27:本当は「MOON.」(Tactics,1997年)を含めた検討を行なうべきなのだが、本稿ではこれ以上追求しない。
*28:これに対し、本作には"思い出が永遠になる物語"という側面がある。本稿ではこれ以上追求できないが、ドラマCDの「ONE〜輝く季節へ〜 (1) 長森瑞佳ストーリー あなたのこころをわたしのなかへ」(1999年,ムービック)で補完してもらいたい。
*29:異論があるかもしれないが、本稿ではこれ以上追求しない。
*30:異論があるかもしれないが、本稿ではこれ以上追求しない。
*31:たとえば沢渡真琴も、思い出に還るために"浅い夢"と"暗い夢"を見る。「Kanon」沢渡真琴シナリオにおける「暗い夢」のシーンの一例を参照されたい。
*32:それが顕著なのは何といっても月宮あゆシナリオだが、水瀬名雪シナリオ、沢渡真琴シナリオ、川澄舞シナリオにもその傾向はある。なお、美坂栞シナリオにおいて独特な「夢」の解釈が開陳されるが、本稿ではこれ以上追求しない。
*33:拙稿「競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜」(2006年,d:id:milkyhorse:20060406:p1)より。
*34:八月の残りの日「Kanonにおける奇跡の扱い」(2005年,d:id:imaki:20051119#p1)より。
*35:少なくとも、源内語録「『Kanon』考察 本章 『Kanon』とは表層のファンタジーとは裏腹のシリアスドラマである」(1999年,http://web.archive.org/web/20030711040412/http://www.erekiteru.com/gengoro/000021.html)は必読。
*36:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。
*37:「しかしこういう朝の光景にも慣れてきてしまっているが、よくよく考えてみると不思議なものだった。それはなんていうか、ひとつ何かが違っていればここには至っていなかった、という奇妙な感覚だ。これまでにも無数の分岐点があり、ここには至らない可能性がかなりの確率であったはずなのに、ここに至っている。まあ裏を返せば、どこかには至るのだから、その時々でそんなことを思うのかも知れないが、それでも自分の人生として考えてみると、やはりこの巡り合わせは特別不思議だったりする。」
*38:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。
*39:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。
*40:涼元悠一氏(元Key所属シナリオライター)が繰り返し述べている言葉。
*41:ちなみに、これは「真っ青な空から差し込む眩しい光」と対照になっている。
競馬サブカルチャー論・第18回:馬と『ONE〜輝く季節へ〜』その3〜馬の蹄でも、嘶きでもない。けれども。〜
競馬サブカルチャー論とは
この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
―馬は、常に人間の傍らに在る。
その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
※以下の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されない商品に関するものを含みます。それから、ネタバレ全開です。
0:競馬サブカルチャー論とは
1:NEXTON/Tactics 『ONE〜輝く季節へ〜』より
2:「ONE〜輝く季節へ〜」の四つの歴史的意義
1:「To Heart」というフォーマットからの応用と脱却
1:「To Heart」によるビジュアルノベル形式の完成
2:"会話とエピソードの積み重ね"という「To Heart」のフォーマット
3:「To Heart」から「ONE〜輝く季節へ〜」に至るまでの時代背景
4:「ONE〜輝く季節へ〜」によるビジュアルノベル形式の応用〜恋愛ADV形式の復権
5:「ONE〜輝く季節へ〜」における「To Heart」的フォーマットの応用
6:"ヒロインと主人公の物語"という「ONE〜輝く季節へ〜」のフォーマット
2:「永遠の世界」というガジェットのもたらした衝撃
3:快楽系の希薄化と感動系(泣きゲー及び鬱ゲー)への端緒
1:「To Heart」マルチ・シナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成〜"キャラ萌え"からの帰納
2:「ONE〜輝く季節へ〜」における"泣きゲー"のシナリオ構成〜"ヒロインの物語"からの演繹
3:「ONE〜輝く季節へ〜」における"鬱ゲー"の端緒〜長森瑞佳シナリオの意義
4:Key的世界観の出発点にして終着点
1:失われた"恋愛"のかけらを求めて
2:「夢」「奇跡」「空」「光」に関するメモランダム
3:馬と「ONE〜輝く季節へ〜」
4:主な先行文献と参考資料
馬と「ONE〜輝く季節へ〜」
ところで。「ONE〜輝く季節へ〜」の世界観が、「馬」と表裏一体の関係にあるという重大な事実に、果たしてどれだけの人が気付いているだろうか。
本作は、横浜市の山下公園が舞台背景として登場すること*1からも察せられる通り、都心部郊外が舞台地として想定されている。競馬場があってもおかしくない立地なのだが、作中で競馬について言及されることはトンとない。これはKey系諸作品全般に当てはまることだが、馬が正面から出てくることは皆無なのである。
しかし、このような理解の仕方は、本作の表層に惑わされたものであり、あまりにも短絡的に過ぎる。
そもそも、サブカルチャー界においてジャンルを問わず名作であればあるほどあらゆる場面に馬を散りばめようとする傾向が強いということは、我々がこの「競馬サブカルチャー論」を通じて繰り返し検証してきた通りである。このことは美少女ゲーム/ビジュアルノベル業界にも当然射程が及ぶ。現に、「Fate stay night」(2004年,TYPE-MOON)が直球勝負の馬賛美を惜しみなく繰り広げ、それに対して馬頭観音も加護を与えたという歴史的事実を、我々は既に知っているではないか。
そして、我々には、もうひとつ知っていることがある。偉大なる寺山修司、曰く。競馬が人生の比喩なのではない。人生が競馬の比喩なのだ。つまり、直接描写されることがなくとも、馬は姿を変え形を変え、様々な比喩によって賛美されている。そして、名作であればあるほど、馬のために駆使される修辞も洗練極まっていく。競馬を知る我々に求められているのは、この世界に散りばめられている馬に関する高度な言辞を発見することができるだけの愛馬心なのである。
オーソドックスな解釈に従った場合の本作のあらすじについて、ここでもう一度振り返っておこう。
―主人公の折原浩平は幼少期に妹を亡くし、心に大きな絶望・孤独・虚無を抱える。悲しい現実を拒絶し、幸せな思い出の中に留まることを願った彼の幼い心は、あるひとりの少女のとの「盟約」をきっかけに、やがて現実世界とは異なるもうひとつの世界―「永遠の世界」を自らの中に作り出した。それは潜在的な「可能性」に過ぎない世界だったが、現実世界で浩平が他者と深い絆を築こうとしたため、彼は現実世界に留まるか否かの二者択一を迫られることになる。
やがて、彼を知るすべての人間が彼のことを忘れてゆき、絆を失った彼は「永遠の世界」へと呑み込まれてしまい、現実世界から消滅する。しかし、最後に浩平は元の世界へと戻ることを決意し、元の世界との間に残されたたったひとつの絆の力によって現実世界への帰還を果たす―。
この"元の世界に残されたたった一つの絆"こそが、各シナリオのヒロインたちである。「永遠の世界」の醸し出す不気味さの一端は、"生きながらにして忘れ去られる"という設定の妙によるところが大きい。こうして全ての人々が浩平のことを忘れてしまう中、元の世界でたった一人、彼のことを忘れずにその帰還を待ち続けるのがヒロインの少女たちなのである。
ある少女は避けられない別離を覚悟し、最後の瞬間まで笑顔のままでい続ける。別の少女は「永遠の世界」から彼が戻って来ないと確信しながら、それでも希望を捨てずただ静かに待ち続ける。浩平の帰還を待つ彼女たちの描写はシナリオによって様々なのだが、その中でも身も蓋もない別離を強いられたヒロインを挙げるとするならば、自称「乙女」の七瀬留美を置いて他にないだろう。
そもそも七瀬留美は、前半部の恋愛パートにおいても、"口悪でがさつなスポーツ少女がひょんなことから「真の乙女」を夢見る"というキャラ設定が災いし、受難の連続だった。ある意味必勝なはずの(どんなだ)"通学路で出会いがしらに衝突!"という場面では、浩平に豪快に突き飛ばされた挙句、介抱もしてもらえない。クラスの人気投票があると聞けば、成績優秀をアピールするため躊躇なくカンニングする(なんだそれ)。ある時は裏山から転げ落ちて金網に激突し、またある時は画鋲に気付かず椅子に座って飛び跳ねる。クリスマス・イブの夜に浩平に連れ出され、これはデートだとホイホイついて行くと、涙を流しながらキムチラーメンを啜る羽目になる(真の乙女ならば、こんな仕打ちは受けないはずなのだが)。
そんな彼女だから、せっかく恋仲になった後に訪れる浩平との別離―彼が「永遠の世界」に消える―に際しても、とんでもない不意打ちを食らう。このシナリオの浩平は、「この空の向こうに、その永遠の場所がある」とひとりごちすると、自分の消滅の予感を七瀬に対して何にも示唆しない。その挙句、いよいよ迫った「永遠の世界」行きにひとり焦る浩平から突然ドレスを送り付けられ、今すぐそのドレスを着て
七瀬「はぁっ…遅れたっ…」
七瀬「………?」
七瀬「って、あいつだって、来てないじゃない、まだっ…」
七瀬「まったく…」
………。
……。
…。
(かなり中略)
………。
……。
…。
七瀬「あれ…?」
「えいえんはあるよ」
「ここにあるよ」
(「ONE〜輝く季節へ〜」七瀬留美シナリオより)
こうして、平日の真昼間からドレス姿で山下公園にやって来た七瀬は、勝手に「永遠の世界」に旅立ってしまった浩平からデートをドタキャンされてしまう。しかも、彼女は、浩平がどうして消えてしまったのか、さっぱり分からないのである(あんまりだ)。
ところが、にもかかわらず、七瀬は浩平を待つのである。それも、待ち合わせ場所の公園で、ドレスを着込んだままである。 「また、あの人…居るわね」「なにか妄想癖でもあるのかしら…」「あー、またあのヘンなお姉ちゃんいるよ〜っ!」 事情を知らない人から見れば明らかにただの不審者なのだが、それでも彼女は1年間、毎日のようにドレスに着替えて山下公園に赴き、待ち続けたのである。
しかし、ついに彼女は待ち続けることに疲れ果て、浩平が迎えに来てくれることを諦める。浩平が贈ってくれたドレスもすっかり煤けてしまったから…。本作には六つの主要シナリオがあるわけだが、ヒロインが「永遠の世界」に連れ去られた浩平のことを諦めるという描写があるのは、この七瀬留美シナリオだけである。
…帰ろう
ずっとあたしがいなかった、現実に。
とりあえずこのドレスを仕舞って…
あいつとの時間をもう過去として終えるんだ…。
あたしは、ついに一歩を歩み出す。
それは決して後ろ向きではない。否、むしろもっと早くそうすべきだった。かくも艱難辛苦を舐め続けた彼女の悲壮な決意を、誰が責めることができようか。こうして、彼女は浩平から別れるための第一歩を踏み出そうとする。―そのときである。
がだんがだんがだんッ!!
目の前の石段を勢いよく駆け上がってくる何かがあった。
「うおぉぉぉーーーっ…!」
馬の蹄でも、嘶きでもない。
あたしの目前で急ブレーキをかけたそれは、土埃をあげて、停止する。
「ぜー、ぜー、ぜー…」
「ぜー、ぜー…間に合った…」
「………」
そしてその自転車を駆るやつが言った。
「おまたせっ、お姫様」
( д) ゜ ゜
かつて「乙女」になることを夢見ていた、着古したドレスを纏う"お姫様”の前に現れたのは、喪服を着こなし、颯爽と自転車を操る―
だったのである。
「あ…」
そうだった。
約束して、待ち合わせてたんだっけ。
ついさっき、ふたりはそうして別れたんだっけね。
―喧騒に囲まれた大通りを、“王子様”と“お姫様”は走り抜けていく。自転車、もとい馬にふたりのりで、ひとりは喪服で、ひとりは煤けたドレスで。とんでもなく恥ずかしいふたりだったけど、べつに関係ない。楽しいことが先に待つときには、そういうもんなんだから。こうして、彼女は真の乙女になったのである。
煤けたドレスを着る少女を"お姫様"に変えることができたのは、1年という時空を飛び越えて"王子様"が現れたからである。確かに、よくよく考えてみると、このシナリオにおける消失前の浩平は「オレが、あいつの前に王子様として現れた、そのとき。…オレはオレとしてここに残れるんだと思う」と独白しており、「永遠の世界」からの帰還について伏線を張っていた。この点についてはこれ以上とやかく言うまい。そういうことになっているのだ。
それでは、なぜ「永遠の世界」から帰還する浩平が"王子様"たり得たのだろうか。彼は一国の王族でもなければ、爵位も持たぬ平民に過ぎない。立ち居振る舞いを見ても、ダンスも満足に踊れず、着ているのはタキシードどころか喪服である。そんな彼に対してですら、"王子様"の二つ名を与えたもうた力の源泉こそが、馬だったのである。この際、彼が実際に跨っているのが本物の馬である必要はまったくない。大切なのは、彼が馬に跨らんと欲した気の持ちようなのである。
我々は、どれだけ馬を愛していようとも、職住環境や経済的事情のため、本物の馬に触れ、乗馬の楽しみを享受する機会には決して恵まれてはいない。全国には、競馬場や乗馬施設がない地域の方が圧倒的に多いのだ。それでも我々は、テレビを観、ラジオを聴き、スポーツ新聞を読んで、声なき声でファンファーレを口ずさみながら本物の馬に触れようと手を伸ばし続ける。風を切り、光を浴び、まるで空を飛んでいるようだ、と言い伝えられる馬の背の乗り心地に想いを馳せているのだ。
しかし、現実には、我々のすぐ側に本物の馬はいない。
馬なんていなかったんだ…。
………。
……。
…。
それでも。それでもやはり、我々が馬を愛する気持ちを捨て去ることはない。たとえ本物の馬に触れることができないとしても、我々は馬のことを想い続けることができるのだから。それこそが、真の愛馬心というやつである。目の前に本物の馬がいなければ、そっと目を閉じて馬のことを想ってみよう。そして再び目を開けてみる。どうして今まですぐ側にあるこんな世界に気づかなかったんだろう。自動改札口は、ゲート。通学路の坂道は、坂路。道路のカーブは、第4コーナー。それなら、自転車は、馬だ。
競馬に初めて心を奪われた若者ならば、誰もが一度は真似してしまう仕草や挙動。あの武豊騎手だって、駅の自動改札をゲートに見立ててスタートの真似事をしているのだ。今さら、何のためらいがあろうか。この身は馬上になくとも、その心は鞍上にあって千里を駆け巡る。自転車を漕ぐときに感じる風は、同じ大気の下を疾駆する馬の切る風と変わらない。
このように、実は本作の主人公・折原浩平とは、馬に跨らずして、馬に跨るという、真の愛馬心を持つ者だけが実践できる境地に達したホースマンだったのである。剣の極意が無刀にあり、ボクシングの究極がノーガードにあるのと同じである。真のホースマンである彼が一たび自転車に跨れば、それが馬である。だからこそ、彼は"白馬の王子様"たり得た。
心の中に馬を宿している限り、馬は常に人間の傍らにいる。本作には、そんな馬への純愛を賛美する普遍的なメッセージが込められているのだった。
馬には、あるときは諦めを希望へ、またあるときは悲壮を勇気へ、そして何よりも人を純愛へと振り向かせる力がある。馬が果たした役割の大きさは、かくも計り知れない。
そこに馬がいたから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:ぴ)
- 「競馬サブカルチャー論」タイトル一覧
- 下記のサイトに触れました。ありがとうございます。
http://fairydoll.net/log/200608_2.html#060829*2
http://d.hatena.ne.jp/momdo/20060827*3
http://blog.livedoor.jp/dream_real/archives/50588263.html*4
1.主な先行文献
・公式系
http://www.tactics.ne.jp/~nexton/one_full/
http://sv.force-x.com/~tactics/qtactics/one.htm
http://www.kid-game.co.jp/kid/game/game_galkid/kisetu/kisetu.html
http://www.movic.co.jp/book/2/02/02b_0001.htm
・史観
http://web.archive.org/web/20041030195950/http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe10.htm
http://www.kyo-kan.net/column/eroge/eroge3.html
http://www.tinami.com/x/review/02/index.html
http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/coco01.html
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c8%fe%be%af%bd%f7%a5%b2%a1%bc%a5%e0%a4%ce%ce%d7%b3%a6%c5%c0
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050808/p1
http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20041227
http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/b7f7e99b589c35d37dba0c18fd54a356
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060406/p1
http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20060417/p1
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050808/p1
http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20060406/p1
・概要
http://www2.orions.ne.jp/kojima/eien/onekanoair.pdf
http://blog.livedoor.jp/nfs/archives/50417551.html
http://blog.livedoor.jp/nfs/archives/50736645.html
http://natsshow.blog11.fc2.com/blog-entry-61.html
http://www.pon-kotsu.com/game/pc/one.html
http://ftcom.xrea.jp/game/t3ken/one/one.htm
http://www016.upp.so-net.ne.jp/usitora/one.htm
http://www.actv.ne.jp/~uzura/timecapsule/oldbooks/omocha/act2/onetop.htm
http://www.bx.jpn.org/~yttlord/oka/index_o.html
http://f-guy.hp.infoseek.co.jp/amuse/oneiar.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/5494/down.html
・論考/シナリオ総論
http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/L.e_pre_e.html
http://tatuya.niu.ne.jp/review/one/eien.html
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/index.html
http://astazapote.com/archives/200004.html
http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/one_r0.htm
http://www.geocities.jp/kazu_aran/old/aran-one-opening.html
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe6.htm
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe5.htm
http://april1st.niu.ne.jp/column/one/index.html
http://owarikomaki.net/colum/eiennnomeiyaku.shtml
http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/U_ONE_index.html
http://homepage2.nifty.com/xgamestation/text/deep/one.htm
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=890&uid=abcd1234
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/cuteplus/ncp/cpg14.html
http://www.page.sannet.ne.jp/abe_t/about_one.html
・論考/シナリオ各論
http://www.actv.ne.jp/~uzura/timecapsule/oldbooks/omocha/act2/2top.htm
http://www.geocities.jp/sinobu_yuki_o/one.htm
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe2.htm
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe5.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/misutsuru.html
http://homepage1.nifty.com/daian/PSGD-syujin-orihara.htm
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2.参考資料
- 参考資料1
「しかし、この陽気に学年末テストなんて、カンベンしてほしいよなー」
「陽気とテストは関係ないんじゃない?」
「この、ふわふわとした空気のなかで緊張感を保つのはしんどいんだよ」
「まあ、それはそうかも」
「今日のテスト中、窓際のヤツが窓開けてよ、そよ風が流れ込んできて、まいったぜ」
「そう」
「浩之ちゃんって、集中力が持続しないほうだもんね」
「オレは瞬発力タイプなんだよ」
アーケードにやってきた。
ここを抜けるとすぐ公園があり、その公園を抜けると、もう家だ。
「待った」
「え?」
「昼メシを買う」
オレはあかりを待たせて、ぽっかぽか弁当で適当なのをひとつ注文した。
(「To Heart」より、藤田浩之と神岸あかりが下校途中で交わす会話の一例)
- 参考資料2
浩平「そういえば、おまえさ…」
長森「なに?」
浩平「昔あだ名で、『だよだよ星人』って呼ばれてたことあったよな」
長森「それって浩平だけだよっ!」
浩平「ほら、おまえって必要以上に語尾に『だよ』つけるからな。思いだしたから、しばらくそう呼んでやろう」
長森「はぁっ…ばかなこと言ってないで、早く用意してよ」
浩平「鞄と制服をとってくれ、だよだよ星人」
長森「とってやんないもん」
(中略)
浩平「今度は『もんもん星人』に変身しやがったなっ」
長森「『もん』だって、そんなに使わないもん。たまたま浩平がよく聞いてるだけだよっ」
浩平「両方とも今、使ってるじゃないか。ふたつ合わせて『だよもん星人』と命名してやる」
長森「ばかばか星人の言うことなんて誰も聞かないもん」
浩平「うっさいぞ、だよもん星人! 黙れ、ばかっ」
長森「うーっ」
浩平「ふかーっ!」
長森「うーーっ」
長森「…って、時間!!」
浩平「おっと、威嚇し合っている場合じゃなかった!」
長森「ほらっ、もう、急がないと遅刻だよっ!」
(「ONE〜輝く季節〜」より、折原浩平と長森瑞佳が朝のドタバタで交わす会話の一例)
- 参考資料3
だけど、そんな平和な空気の中で、少しずつ現実を蝕むもう一つの世界があった。
最初は小さな違和感だった。
気にとめることもなかった夕焼けの街並み。
ふと雲を見上げたとき、オレの中で何かが警笛を発していた。
少しずつそれでも確実に存在感を増すもう一つの世界。
そして、抗うこともできずにオレの存在は流されていった。
その結果現実でのオレがどうなるのかは明白だった…。
浩平「……消えるのか」
ぽつりと自分で呟いた言葉が怖かった。
(「ONE〜輝く季節〜」より、上月澪シナリオにおける「永遠の世界」を予感させるシーンの一例)
- 参考資料4
元気に頷いて、二人並んで校舎に戻る。
みさき「でも、大掃除は?」
浩平「サボる」
みさき「うん。私もさぼるよ」
浩平「よし。それでこそ先輩だ」
季節外れの日溜まりの中、今日から始まる新しい年。
先輩と二人で歩いて行く日常。
でも…。
…あるよ…
みさき「どうしたの?」
…えいえんはあるよ…
※この直後、「永遠の世界Ⅶ(帰り道…)」に場面が切り替わる。
(「ONE〜輝く季節〜」より、川名みさきシナリオにおける「永遠の世界」を予感させるシーンの一例)
- 参考資料5
声は出ない。
意識が遠のいていた。
現実感が希薄になる。
為すすべもなく見上げると、空が近くにあった。
浩平「…もう一つの世界…」
浩平「その世界の空にも…」
浩平「…夕焼けが、あったらいいな…」
瞼がゆっくりと閉じられる。
目の前に広がるのは、闇。
視界から鮮やかな風景が消えて…。
背中から鉄の感触が消えて…。
空気を振動させる、校歌の演奏も消えて…。
そして、オレの存在も…。
…パタパタパタ。
廊下を歩く音。
ゴム底の薄っぺらい上履きが、無機質なリノリウムの床を歩く。
…パタパタパタ。
聞こえるのは、足音だけ。
ガラス越しの教室では、無人の机が整然と並んでいた。
誰もいない廊下。
ただ歩く。
足音だけを残して、階段を上がる。
そして、辿り着いた先。
重い扉。
立てかけられていた看板。
冷たいドアノブ。
…それを掴む。
冷たさも感じないまま、押し開ける。
目の前に広がった光景。
赤い世界。
ゆっくりと足を踏み入れる。
決して色あせることのない赤。
流れることのない雲。
…後ろから、優しい声。
振り返ると、一人の少女が佇んでいた。
そして、それが当然のことのように、オレの元に歩み寄る。
「…永遠はあるよ」
そう呟いた。
だけど、オレが訊きたかった言葉はそんなものじゃない。
少女は、穏やかに微笑んでもう一度言葉を紡いだ。
オレの訊きたかった言葉。
切望してやまなかった言葉。
これから、思い出という永遠の中で、ずっとオレだけの為の言葉を…。
「夕焼け、きれい?」
それが、永遠のはじまり…。
「えいえんはあるよ」
「ここにあるよ」
「ONE〜輝く季節〜」より、川名みさきシナリオ(Bad)における折原浩平・消滅シーンの一例)
- 参考資料6
【真琴】「ねぇ…」
【祐一】「ん…」
【真琴】「なんだか、恐い…」
【祐一】「どうした」
【真琴】「よくわかんないけど…」
【真琴】「ひとりで寝てると、いつの間にかものすごく暗いところにひとりで居て…」
【真琴】「真っ暗でなんにも見えなくて…ひとりっきりなの…」
【祐一】「………」
「Kanon」より、沢渡真琴シナリオにおける「暗い夢」のシーンの一例)
- 参考資料7
カシャアッ!
耳障りな音とともに、視界が白くなる。
白い、というか、痛い…。
というか…まぶしい…。
声「ほら、起きなさいよーっ」
うーむ…そうか、朝か…。
だからまぶしかったのか…。
「ONE〜輝く季節へ〜」より、長森瑞佳シナリオにおける「光」による演出の一例)
- 参考資料8
オレは冷たくひえたドアノブを掴み、外に押し開けた。
扉を開けると、そこは赤い世界だった。
鮮やかな夕焼けが、いつもの景色を全く違うものに変えていた。
浩平「ふう…」
屋上に張られたフェンスにもたれかかり、空を見上げる。
真っ赤な天井が、白い雲を押しのけるように広がっていた。
浩平「明日は…いい天気だな」
夕焼けの次の日は晴れ。
どこかで訊いた覚えのある言葉を思い出して、何気なく呟く。
声「そっか、今日は夕焼けなんだ」
後ろから不意に声をかけられて、オレはゆっくりと振り返った。
女の子「あ、別にあやしいものじゃないよ」
そこには一人の女の子が赤い光を浴び、吹き抜ける風に髪の毛を押さえながら佇んでいた。
「ONE〜輝く季節へ〜」より、川名みさきシナリオにおける「光」による演出の一例)
- 参考資料9
七瀬「…ねへ、やふだお」
浩平「あ、ほんとだな」
七瀬の言うとおり、いつの間にか雨はやみ、雲の間から顔を覗かせた太陽の光を浴びて中庭は輝き始めていた。
浩平「帰るか」
七瀬「うん」
ただ、オレは、失われてゆくものだけに美しいことを知っていった。
浩平「うりゃっ」
わざと水たまりを踏んで歩く。
七瀬「折原、やめなって。ほら、裾汚れてるよ?」
浩平「そんなものは洗えば済むだろ」
それよりも、オレにはこの一瞬が大事なんだ。
「ONE〜輝く季節へ〜」より、七瀬留美シナリオにおける「光」による演出の一例)
- 参考資料10
その時に垣間見た茜の表情が…。
人の居ない場所で、雨にうたれて佇んでいた…。
かつての悲しげな表情に思えて…。
茜「…どうしたんですか?」
浩平「…いや、何でもない」
ただ…。
浩平「嫌な雨だよな…」
茜「…はい」
謝りたかった。
心から、謝罪したかった…。
何も知らず、オレのことを信じてくれる茜に…。
平日の、しかも雨の商店街は想像していた以上に寂しかった。
薄暗い通りに人の姿はなく、店先から洩れる微かな光だけが雨に濡れたアスファルトの地面に反射してぼうっと光っていた。
「ONE〜輝く季節へ〜」より、里村茜シナリオにおける「光」に心情が仮託されたシーンの一例)
- 参考資料11
オレたちはそのまま小道を経由して、中庭へと出る。
開けた場所に出ると同時に、雲間に隠れていた中空の月が鮮やかな黄色をまとって姿を現す。
満月の光に照らされて、白く舗装された地面がまるで舞台のように闇の中に浮かび上がる。
澪「……」
澪はその幻想的な光景を楽しそうに眺めていた。
浩平「…澪。本当は家まで送ってやりたいけど…」
澪「……」
オレにはもう時間が残っていない。
自分でも分かる。
かろうじて、この世界の縁に指一本でぶら下がっている自分の存在を。
澪「……」
「ONE〜輝く季節へ〜」より、上月澪シナリオにおける「光」に心情が仮託されたシーンの一例)
競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』〜馬に仮託されたハルヒの"憂鬱"と有希の"消失"〜
この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
―馬は、常に人間の傍らに在る。
その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
※本論には、放送話数第14話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」までアニメ本編の内容に関する記載が含まれています。
―谷川流・いとうのいぢ/SOS団『涼宮ハルヒの憂鬱』より―
頭でひねっていた最低限のセリフを何とか噛まないように言い終え、やるべきことをやったという解放感に包まれながら俺は着席した。替わりに後ろの奴が立ち上がり―ああ、俺は生涯このことを忘れないだろうな―後々語り草となる言葉をのたまった。
「東中学出身、涼宮ハルヒ」
ここまでは普通だった。真後ろの席を身体をよじって見るのも億劫なので俺は前を向いたまま、その涼やかな声を聞いた。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
―こうして俺たちは出会っちまった。しみじみと思う。偶然だと信じたい、と―
「性格以外は完璧だが性格にはとことん問題がある」要するに容姿端麗・頭脳明晰だけど唯我独尊・傍若無人な女子高生・涼宮ハルヒは、この世の面白い不思議を探るため、適当に学内で人を集めて「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」略してSOS団を結成する。そのメンバーはといえば、メイドやナースの格好をさせられるロリータ顔の美少女上級生(朝比奈みくる)や、無表情で本を読みふける寡黙な眼鏡っ娘文芸部員(長門有希)、半端な時期に転入してきた笑顔の似合う優男な「謎の」転校生(古泉一樹)といった、いかにもな面子揃いだ。
ところが、ハルヒが適当に集めたはずだった団員たちの正体は、実は「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」という涼宮ハルヒの呼び掛けに応じて本当に集まってきた未来人*1、宇宙人*2、超能力者*3である。そして、ハルヒ一人がそのことを知らない!
団員たちの使命は、ハルヒに愉快で冒険いっぱいな、それでいて平穏無事な毎日を過ごしてもらうこと。なぜならば、この世界はハルヒが見ている「夢」に過ぎないかもしれないという恐るべき仮説があり、彼女が世界に飽きてしまうと、情報爆発? 時間振動? 閉鎖空間? ―とにかく何が起きてしまうか分からないのだという。
そんな仮想かもしれない非日常的な空間に巻き込まれてしまった唯一の「特別何の力も持たない普通の」男子高校生が、「県立北高校1年5組、SOS団団員その1にして雑用係」―本作の主人公キョン(あだ名)である*4。彼は、そんな涼宮ハルヒと愉快な仲間たちが繰り広げるドタバタ非日常系学園ストーリーについて、語り部として述懐する*5。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。俺も思ったよ。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでに超常になっていたんだ―。*6
*1:「ロリで巨乳な萌えマスコット未来人」
*2:「銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」
*3:「超能力者集団の『機関』から派遣されたエージェント」
*4:彼こそが残る「異世界人」に違いないという有力な見解があるのだが、それはまた別のお話だからここでは触れない。
*5:もっとも、キョンがいつも自分の本音を語っているわけではないし、下手をすると自分の言葉が本音なのか韜晦なのかを本人でさえ分かっていない場面もある。しかも、すべて過去形である。このように、本作の叙述構造自体がひとつのトリックになっている点に注意しなければならない。
*6:原作小説シリーズの第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」(ISBN:4044292019)より。
テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」適当なまとめ:web上における批評・論考のリスト
本欄は、競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006/07/03)を執筆するために収集した参考文献等をまとめて掲載しています。(最終「超」更新:2006/08/28現在、310件 最新追加分は+で表示中)
- 適当なまとめ:テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」シナリオに関する批評・考察 (総論)
- 適当なまとめ:テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」シナリオに関する批評・考察 (各論)
-
- 特に、キョンの一人称による語り手について
- 適当なまとめ:テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」映像化に関する批評・考察
■アニメ原画の世界「涼宮ハルヒの憂鬱」より一部抜粋
―季刊『S(エス)』 VOL.15 2006 Summer 108〜114頁所収―
(放送話数第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode 00」の演出について)
- 石原立也監督「声優さんや編集の方に、できるだけ『へっぽこ』にやってくれとお願いするのが、非常に心苦しくて(笑)。編集もわざと綺麗につないでいないんですよ。レイアウトも素人が撮るような感じを出して。…素人が撮るから人物が(フレームの)ど真ん中にいる…そんな絵を使ったりとか。キャラクター二人の会話も見ている方向がばらばらだったり。演出の山本寛は、『これはレイアウトが良過ぎるから、もっと下手なレイアウトにして』とか、変な指示を出していました。」
- 石原立也監督「(素人っぽさのアイディアは)基本的に山本が頭をひねっておりました。彼自身、学生時代に自主映画を撮ったりしていたんで、そういう経験を思い出しつつ。僕らはやはりプロなので、下手な映像を作ろうと思っていても、どうしても本能的にうまく絵を作ったりつないだりしてしまうんですよ。逆にそうならないようにするのは難しく、山本自身も苦しんでいました。あれをアニメでやるのは大変なんです。例えばアニメーションで撮影すると、普通ピントはきちんと合うんですよ。わざとピントを外すというのは逆に手間のかかる作業で、そういった意味では『ちょっと褒めてほしい』みたいな(笑)。光源も露出が適正でなく、すごくアンダーになったりしてますが、これも色を全部変えなきゃいけないんです。…第一話はカットによって画面全体を緑がかった変な色にしたりしています。それは演出が色指定に『このようにしてください』って打ち合わせするんです。」
- 石原立也監督「(素人演技だから、生っぽくという意味で)第一話とかでは、『よりリアルに』と、演出の山本が言っていました。」
- 石原立也監督「みくるが(セリフを)かんでいるのは、シナリオ段階ですでにかんでいました。声優さんのアドリブもありますが。」
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-
- 特に、「アニメ・小説対応表」
-
- 特に、「なに読んでるの? 長門さん」
-
- 特に、時系列(構成話数)をシャッフルした放送話数について
■特集 涼宮ハルヒの憂鬱「賀東昭二×谷川流スペシャル対談」より一部抜粋
―「ザ・スニーカー」2006年8月号 207〜233頁所収―
(時系列をシャッフルした放送話数を採用した経緯について)
- 谷川流氏「『憂鬱』のラストを最終話にするということが決まったんですけど、じゃあ間のエピソードはどうするんだろうと。短編エピソードを挿入するしかないんだけど、時系列がごちゃごちゃになりますよね。それをどう解消しようかというときに、もうそのまま、あえて説明せずに時間を飛ばすということで。」
- 谷川流氏「(原作のプロットそのものを改変する案について)やっぱり、後のエピソードというのは、『憂鬱』が終わってから発生しているので、キャラクターの心情とかが変わっちゃう。『憂鬱』を踏まえてということだから、時間軸上で短編を先に持ってくると、おかしいことになっちゃうんですよね。」
- 谷川流氏「第1話の選択肢として、普通に『憂鬱』の冒頭からってのもあったと思うんですけど、これから時系列がゴチャゴチャになるのに第1話をマトモにしても、これはかえって不親切だろうと。最初から"メチャクチャになる"ということを明示しておいた方がいいなと、少なくとも僕は考えました。」
- 谷川流氏「一応、計算されているというエクスキューズはあるんですけど。」
- 谷川流氏「そりゃさすがに多少は。『やっちゃった!」という感じで。でも、『朝比奈ミクルの冒険』を第1話にする誘惑からは、逃れ得なかったですね。」
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-
- 特に、メディアミックス効果について
※はてなブックマークへの捕捉に触れました。ありがとうございます。
- MilkyHorse.com「競馬サブカルチャー論」タイトル一覧へ
- 競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』 (2006/07/03)
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」SOS団公式サイト
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」特設ファンサイト
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」京アニサイト
- 「涼宮ハルヒ」シリーズ・web KADOKAWAサイト
- テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」適当なまとめ:web上における批評・論考のリスト
- 涼宮ハルヒの憂鬱 賀東昭二×谷川流スペシャル対談(「ザ・スニーカー」2006年8月号)より一部抜粋
- アニメ原画の世界「涼宮ハルヒの憂鬱」(季刊『S(エス)』 VOL.15 2006 Summer)より一部抜粋
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■後藤邑子さんの公式Blog"ツブヤキ3"「恋のミクル伝説!!」(2006/06/16)より一部抜粋
- 後藤邑子さん「疲れた時、眠い時、落ち込んでいる時、眠い時、暇な時、眠い時、そんな時にぜひ、聞いてみてください。良いか悪いかと言う方向性は置いといて、とりあえず刺激にはなります!!」
■茅原実里さんの公式Blog"minorhythm"「♪有希のキャラソン発売♪」(2006/07/04)より一部抜粋
- 茅原実里さん「間奏には鳥肌が立ってしまうほどの激しい弦がうねりをあげているんですけど、こんなにもストリングスに力を入れた理由は、『アンドロイドの有希の感情を弦で表したかったからなんです』。」
■後藤邑子さんの公式Blog"ツブヤキ3"「出血て!(2006/06/01)によると、
- 後藤邑子さんはレコーディングのとき、声帯から出血したまま歌い切ったそうです。声優さんも大変ですね。
■アニメ原画の世界「涼宮ハルヒの憂鬱」より一部抜粋
―季刊『S(エス)』 VOL.15 2006 Summer所収―
(DVD版に収録を予定している本編の内容について)
- 石原立也監督「白状してしまうと、最初はテレビで放送する正確な尺が決まっていなかったんです。いざ放送枠が決まってみると、一話分の尺が思っていたよりも短かったんですよ。だからすでに作画で描いたけど泣く泣く切らなければならないカットが出て来てしまいまして。そういうカットを、もったいないからDVDに入れましょうって言っています。」
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競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』(跡地)
※「はてなダイアリー」1日分の記載限度量を超過したため、d:id:milkyhorse:20060704:p1 へ転載しました。
『競馬最強の法則DIGITAL+POG vol.6』にMilkyHorse.comの紹介記事が掲載されました
5月18日に発売された『競馬最強の法則DIGITAL+POG vol.6』にて、当欄MilkyHorse.comの紹介記事が掲載されました。
競馬最強の法則DIGITAL+POG〈vol.6〉―SS不在のPOGで勝つ!8つの裏作戦
- 作者: 競馬最強の法則編集部
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2006/05
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「競馬マスコミ人がこぞってブックマークする最重要サイト」*1
という別格扱い*2で、しかも管理人のインタビュー付きで載っています(誇張)。
1頁丸ごと割かれた「武豊日記(武豊オフィシャルサイト)」にこそ及びませんでしたが、「フサイチDX」の約1.3倍、「須田鷹雄の日常・非日常」の約2倍以上のスペースを充ててもらい、MilkyHorse.comの中の人一同、狂喜しています。
本当にありがとうございました。
さて、肝心の『競馬最強の法則DIGITAL+POG vol.6』の中身なのですが、上記の特集記事のほかにも、①ターザン山本氏と藤田伸二騎手がボクシングについて熱く語る対談記事があるかと思えば、②熊沢重文騎手が「中山大障害を勝ったら、…辞めてもいい」と怪気炎を上げており、③池江泰郎&池江泰寿調教師親子とノーザンファーム早来という旬な組み合わせのドキュメント記事が載っているかと思えば、④Derlayの帽子をかぶった川島正行調教師が父クロフネ産駒の馬体診断に取り組んでいたりと、さすが半年に一回しか出ない別冊だけのことはあります。
癖のある記事ばっかりで、とても面白かったです。2000円を支払って買っただけの甲斐がありました。
そんなボリュームたっぷりな『競馬最強の法則DIGITAL+POG vol.6』なのですが、上記の各記事にも増して当欄の心をわし掴みにした広告記事があります。
それは「ホースレースIスポットで初デート!」(60頁)です。
彼女いない歴28年の泰造クンが、昨年入社した恭子ちゃんをデートに誘い出すことに成功しました。そんな彼が選んだ初デートの舞台は―そう、桜花賞の日の阪神競馬場だったのです。
「たぶん、どこへ行っても緊張して失敗してしまう」
そこで泰造クンは考えたのです!
「ならば、自分のホームグラウンドで勝負したい」
さて、デートの成否やいかに?
こんなベタベタな設定にもかかわらず、文章から魂を感じてしまうのは当欄が変なのでしょうか。そして、クライマックスでは―。
最終Rが終わり、日も傾いた阪神競馬場―。泰造は、「スゴイ予想を披露する」という目標はかなわず、初心者の恭子ちゃんにズバリ本線で穴馬券を的中され、ふんだりけったりの気分…。
いやいや、実はそうでもない。(超展開)
「お嬢さん、まだ今日は終わってはいませんよ。これから、レストランで食事でもどうです?」
泰造が気取った調子で誘いをかけると、恭子ちゃんもそれに乗って、同じ調子で答えた。
「よろしくてよ。じゃあ支払いはワタクシが…(笑顔)」
(ここでテーマソング)
張り巡らせた伏線とその一気呵成な消化―。
当欄は、感動のあまり心の中で号泣しました。
確かに、桜花賞の見事な予想を披露して恭子ちゃんの気を引こうとしていた泰造クンの作戦はもろくも崩れ去りました。しかし、泰造クンのデートの成功は、彼がデートスポットに競馬場を選んだ時点で既に約束されていたのです。これは、皐月賞馬が出走回避さえしなければ、皐月賞から直行しようが、青葉賞(GII)を叩こうが、プリンシパルS(OP)を叩こうが、京都新聞杯(GII)を叩こうが、どのようなローテーションを選んだにしても日本ダービー(GI)に必ず出走できるのと同じことです。
馬の素晴らしさを理解する者は、時には馬に助けられ、恋を成就させることもできるのです。馬が果たした役割の大きさは、かくも計り知れません。そんな馬の偉大さを見事に表現した広告記事を掲載する『競馬最強の法則DIGITAL+POG vol.6』の素晴らしさは、もはや他言を要さないでしょう―。(文責:ぴ)
ウマピロプラズマ病が陽性で確定すれば、殺処分のおそれすらある件
伝染病感染の疑いが浮上してシンガポールに足止めされているコスモバルク(道営ホッカイドウ競馬、牡=おす=5歳)について、農林水産省は17日、当初「陽性」と伝えられた1次検査の結果は、陽性か陰性かが判然としない状態だったことを明らかにした。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20060517ie33.htm
当初、読売新聞がかなり先走って「ウマピロブラズマ病の陽性反応」と報道していた件ですが、結局は上記の通り、二次検査の結果が判明するまで真偽不明の状態にあるというところのようです。しかも実際には、一次検査は精度が高くはなく、陰性でも陽性と出ることがままある(須田鷹雄氏談)らしいので、二次検査待ちといってもそれほど深刻な事態ではないとのことです。
そんな「ウマピロブラズマ病」についてなのですが、万が一、これが本当に陽性反応ということになると、「日本では発症例がなく、治療法も確立されていないため、帰国のめどが立たない」どころでは済まない話になってしまいます。
家畜伝染病予防法 第17条(殺処分)
1 都道府県知事は、家畜伝染病のまん延を防止するため必要があるときは、次に掲げる家畜の所有者に期限を定めて当該家畜を殺すべき旨を命ずることができる。
1.流行性脳炎、狂犬病、水胞性口炎、リフトバレー熱、炭疽、出血性敗血症、ブルセラ病、結核病、ヨーネ病、ピロブラズマ病、アナプラズマ病、伝達性海綿状脳症、鼻疽、馬伝染性貧血、アフリカ馬疫、豚コレラ、豚水胞病、家きんコレラ、高病原性鳥インフルエンザ、ニユーカツスル病又は家きんサルモネラ感染症の患畜
2.牛肺疫、水胞性口炎、リフトバレー熱、出血性敗血症、伝達性海綿状脳症、鼻疽、アフリカ馬疫、豚コレラ、豚水胞病、家きんコレラ、高病原性鳥インフルエンザ又はニユーカツスル病の疑似患畜
2 家畜の所有者又はその所在が知れないため前項の命令をすることができない場合において緊急の必要があるときは、都道府県知事は、家畜防疫員に当該家畜を殺させることができる。
ここで、家畜伝染病としての「ピロプラズマ病」とは、農林水産省令で定める病原体によるものに限られますが、罹患対象の家畜は馬と牛であることが明記されています(家畜伝染病予防法2条1項表13)。
昔、テンポイントの祖母クモワカが伝貧(馬伝染性貧血)と誤診されて殺処分されかけた事件がありましたが、それと類似した事例がコスモバルクの身の上に起きかけているわけです。いずれにせよ、競馬好きのひとは、心臓に悪い毎日を、二次検査の結果が判明する5月24日まで悶々と過ごすはめになりそうですね。やれやれ―。
多分、スポーツ新聞や競馬マスコミが、この事件について慎重な物言いで報じるに留めていたのは、真偽不明の現段階(一次検査は精度が高くはないらしく、陰性でも陽性と出ることがままある←繰り返し)で本格的に報じることによる波紋の大きさを懸念してのことだったと思われるのですが…。
読売新聞は容赦ないですね。(文責:ぴ)
追伸:北海道新聞が読売新聞・第一報の後追い記事を5月18日付で掲載してしまった模様です。ひょっとして、道新の5月18日付朝刊に掲載されるのかしら?