競馬サブカルチャー論・第18回:馬と『ONE〜輝く季節へ〜』その2〜この空の向こうに、その永遠の場所がある。〜

競馬サブカルチャー論とは

 この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
 「だから、あなたのこと忘れます」「…さようなら。本当に好きだった人」「捕まえたっ…」「やっと捕まえたっ…」「浩平っ、捕まえたよっ」―馬は、常に人間の傍らに在る。
 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
 ※以下の記述・文中リンクには、18歳未満に販売されない商品に関するものを含みます。それから、ネタバレ全開です。
 
 0:競馬サブカルチャー論とは
 1:NEXTON/Tactics 『ONE〜輝く季節へ〜』より
 2:「ONE〜輝く季節へ〜」の四つの歴史的意義
  1:「To Heart」というフォーマットからの応用と脱却
   1:「To Heart」によるビジュアルノベル形式の完成
   2:"会話とエピソードの積み重ね"という「To Heart」のフォーマット
   3:「To Heart」から「ONE〜輝く季節へ〜」に至るまでの時代背景
   4:「ONE〜輝く季節へ〜」によるビジュアルノベル形式の応用〜恋愛ADV形式の復権
   5:「ONE〜輝く季節へ〜」における「To Heart」的フォーマットの応用
   6:"ヒロインと主人公の物語"という「ONE〜輝く季節へ〜」のフォーマット
  2:「永遠の世界」というガジェットのもたらした衝撃
  3:快楽系の希薄化と感動系(泣きゲー及び鬱ゲー)への端緒
   1:「To Heart」マルチ・シナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成〜"キャラ萌え"からの帰納
   2:「ONE〜輝く季節へ〜」における"泣きゲー"のシナリオ構成〜"ヒロインの物語"からの演繹
   3:「ONE〜輝く季節へ〜」における"鬱ゲー"の端緒〜長森瑞佳シナリオの意義
  4:Key的世界観の出発点にして終着点
   1:失われた"恋愛"のかけらを求めて
   2:「夢」「奇跡」「空」「光」に関するメモランダム
 3:馬と「ONE〜輝く季節へ〜」 (←ここから読んでも無問題)
 4:主な先行文献と参考資料


3.快楽系の希薄化と感動系(泣きゲー及び鬱ゲー)への端緒

 これは"いたる絵"を採用したことからの必然でもあるのだが、本作ではシナリオ的に見て性交場面の必然性が相当弱い*1。さらには、"何気なく繰り返される日常"に快楽を見出すはずの"ハートフル学園恋愛ストーリー"型のフォーマットからも、本作が逸脱していることは既に指摘したところである。
 つまり、本作においては、いわゆる"ナンパゲーム"ないし"楽園"願望的なものが満たされる快楽系としての要素は極めて希薄となっている。今でこそ、後のKeyブランド諸作品の特色からも明らかな通り、本作がこうしたジャンルと縁遠いことは当然視されているが、発売当時は18禁PCゲームとしての存在意義にかかわるとしてプレイヤーの間で賛否両論が沸き起こったとのことである。
 

―「To Heart」マルチシナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成〜"キャラ萌え"からの帰納

 ところで、プレイヤーを感動させる(又は泣かせる)シナリオを主要素とする感動系(泣きゲー)というジャンルについては、「Kanon」(1999年)以降、Keyブランド諸作品の顕著な特色として評価が定まっているが、このジャンルの萌芽が「To Heart」(1997年)のマルチ・シナリオに遡るということは、本論をはじめとする本・競馬サブカルチャー論において繰り返し 指摘してきたところである。
 この「To Heart」マルチ・シナリオにおける"泣きゲー"のシナリオ構成とは、どのようなものだったか。
 これは、要するに、マルチというキャラクター設定(萌え要素)から帰納に導き出された所産そのものである。ドジで泣き虫だけど純真なAI(心)を持つメイドロボットが、量産化に向けた試作機として生まれ、1週間だけ主人公の高校にテスト通学する―。ロボットという特性を利用すると、"心の有無""実体の有無""生死の概念""人間とロボットという絶対的な壁””プログラムを超越した感情表現"など、"愛すれど決して人間同士のように結ばれることはない"という無常さ、その現実を乗り越えようとする健気さと挫折、といった諸要素がまるで方程式のように導き出される*2。そして、このようなキャラクターが設定通りに動くだけで、"ロミオとジュリエット"も真っ青な純愛シナリオが自ずから紡ぎ出され、プレイヤーは思わず感動し、涙ぐんでしまうというわけである。
 しかし、これはあくまでも個性的なキャラクターから魅力的な会話や逸話を引き出すためのスパイスのひとつに過ぎず、そのあらすじもキャラクター初登場時からプレイヤーに充分予測可能な、ある意味で予定調和的な範疇に収まるものだった*3。そこにはまだ、"萌え要素"と別次元な"ヒロインの物語"を見出すことはできない。

―「ONE〜輝く季節へ〜」における"泣きゲー"のシナリオ構成〜"ヒロインの物語"からの演繹―

「…よかった……帰ってきてくれた……」/一度エピソードを閉じ、伏線につながる印象を完結させるというミスリード(さらに伏線)の一例。(C)Tactics これに対して、本作における"泣きゲー"としてのシナリオ構成は、"ヒロインの物語"という第三階層から演繹的に導き出されていく。端的にいえば、クライマックスに向けて当初から伏線を張り巡らしていき、序破急の急展開で一気呵成に大団円を迎えることによって、プレイヤーにカタルシス(浄化)がもたらされるというものである。本作でいうならば、里村茜シナリオがクライマックスの台詞*4から会話やエピソード、伏線、キャラ設定を逆算してシナリオを書き下ろされていったのが、その典型である*5
 そこでは、"萌え要素"の方が、クライマックスの"ヒロインの物語"を盛り上げるためのスパイスとして用いられ、前半部での"会話とエピソードの積み重ね"の丹念な描写すら、後半部でその喪失と落差を際立たせるための、いわば"持ち上げて落とす"ための伏線として全部構成されていく。そのあらすじは、キャラクター初登場時にはプレイヤーの予測が到底及ばないことが多く、またその方が望ましいとされる。
 本作は、このような感動系(又は泣き)要素を全シナリオ一貫して前面に押し出した、初めての美少女ゲーム/ビジュアルノベルといって差し支えない*6。後の「Kanon」(1999年)でエポックメイキングを迎える"泣きゲー"の端緒は、既に本作で存分に見受けられるのである*7

―「ONE〜輝く季節へ〜」における"鬱ゲー"の端緒〜長森瑞佳シナリオの意義―

 "鬱ゲー"とは、"泣きゲー"や"燃えゲー"と並ぶ感動系ジャンルのひとつである。シナリオを進めるとプレイヤーの気が滅入り、一種のカタストロフ(破局)感がもたらされるのが特色である(なんだそれ)。本・競馬サブカルチャー論の説く美少女ゲーム/ビジュアルノベル史観によるならば、「WHITE ALBUM」(Leaf,1998年)や「君が望む永遠」(アージュ,2001年)がその代表格ということになるが、実は"鬱ゲー"の端緒を本作に見出すこともできる。
少し戸惑ったような表情。そしてその口が開く。長森「う、うん…いいよ」(C)Tactics お察しの通り、本作のメインヒロイン・長森瑞佳シナリオ*8がそれである。
 
 ―長森瑞佳と折原浩平は、お互いに気の置けない幼なじみである。「腐れ縁」は今でも続いており、高校でも同じクラスだ。瑞佳は主人公のハイテンションなギャグに付き合わされ、いつも溜め息をついているが、毎朝主人公を起こしに来る温厚で世話好きな女の子。「やっぱり浩平にはしっかりした人が必要だよ」と自堕落な浩平のことをいつも心配している。二人は傍から見ていると恋人同士と思われてもおかしくないくらい親しいのだが、関係が近すぎるせいか、お互いに恋愛感情は持っていない…はずだった。
 しかし、そんな二人の穏やかな関係は、ある事件をきっかけに突然変わってしまう。それは、クラスの男子たちによるたわいもないいたずら。『あなたにビッグチャンス到来!クリスマスキャンペーン実施のお知らせ』『くじ引きによる当選者一名様に、意中の彼女に告白する権利を進呈』『当選、おめでとうございます』。悪友に誘われてくじびきに参加し、見事当選してしまった浩平は、仕方なく「いつもオレの冗談で鍛えられているからな、あいつは。きっとみごとにフォローしてくれるに違いない」と、嘘の告白の相手に瑞佳を選ぶ。ところが。

さっさと済ませようと、用意しておいた言葉を口にした。
浩平「あぁ、えっと…長森」
長森「うん」
浩平「ずっと前から好きだったんだ…オレと付き合ってくれ!」
長森「え…?」
少し戸惑ったような表情。そしてその口が開く。
長森「う、うん…いいよ」
 

(BGM:折戸伸治(がんま)作曲「潮騒の午後」)

「そのまま手を握らせておく」と「その手を振りほどく」という凶悪な選択肢の一例。(C)Tactics 瑞佳は浩平の意図に反して、彼の告白を受け入れてしまう。そしてこの日を境に、瑞佳は幼なじみとしてではなく、恋人として浩平に接するようになる。
 しかし。浩平はそんな瑞佳に対して困惑し、鬱陶しさを覚え、苛立ちすら感じ始める。(なんなんだろう、この感情は…。) やがて、彼は衝動的な憎しみを抑え切れなくなり、瑞佳を邪険に扱い続けた挙句、ついには彼女の純情を踏みにじるひどい仕打ちをしてしまう―。*9
 
 プレイヤーにとって、思いもかけない展開とはまさにこのこと。瑞佳と付き合い始めた途端、浩平は彼女のことを避けるようになる。手をつないでくるのを振りほどき、朝起こしに来れば「恩に着せている気になるなよ、ばか」と罵り、クリスマス・イブ当日も話しかける彼女を徹底的に無視し、イブの夜にはデートをすっぽかす。それでも飽き足らないのか、彼は傷心の瑞佳を『ふたりだけのクリスマスをやり直そう』と言葉巧みに深夜の校舎へと呼び出すと―

入れ代わりに別の体が長森の前に立つ。
しかし長森がまだ目の慣れない暗闇の中で、そんなことが起きていようとは知る由もない。
ただオレを信じて、手を握っているだけだ。
やがて…
はぁ…はぁ…と男の荒い息。オレのじゃない。
長森「浩平っ…?」
だが、長森にそれがオレのものでないと見分ける術はなかった。
 

(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)

 こういう選択肢を進まないと、バッドエンドに直行してしまうのである。プレイヤーは、瑞佳とのハッピーエンドを目指していたはずなのに、なぜこんな所業をしなければならないのかさっぱり理解できない。こうしてプレイヤーは胸が締め付けられ、煩悶し、苦渋し、まるで悪夢を見たときのような焦燥感を味わうはめになる。特に、長森瑞佳シナリオはここまで、明るく楽しいほのぼの"ハートフル学園ストーリー"を満喫する流れだっただけに、いきなり掌を返された後に襲われる不快さといったら強烈この上ない。とにかくプレイヤーは嫌な気分を強いられ、そして憂鬱になる*10
クリスマス・イブの夜、鳴り響き続ける電話。(C)Tactics このように主人公がプレイヤーの意向と正反対な行動をしてしまう長森瑞佳シナリオは、プレイヤーの分身としてPC=プレイヤーキャラクターたる主人公を意味付けることが当然視されていた当時、多くのプレイヤーにとっては耐え難いものとされ、不興を買ってしまった。「同級生」シリーズ(エルフ,1992-1997年) *11や「To Heart」(1997年)といった"楽園"願望的な快楽充足型のシナリオに慣れ親しんでいた当時のプレイヤーには、本シナリオのような不意打ち的な鬱展開に対する耐性が備わっていなかったのである*12
 というわけだから、この後に続く

長森「でもまた…やり直せるよね」
浩平「………」
長森「わたしは…浩平でないとダメなんだ」
オレはその言葉を、滲んだような目で、遠く広がる夜景を眺めながらに聞いていた。
浩平「………」
長森「やっぱり浩平でないとダメなんだよ」
 

(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)

という展開を真に受けて、「浩平の独りよがりな独占欲が肯定された」「瑞佳は男に都合の良すぎる願望の産物」*13といった批判が根強く付きまとうわけである(そして、それは一理あるのだ)。
 
 とりあえずここでは、①本作でプレイヤーに求められているのは日常世界の折原浩平(オレ)に対してシンクロすることではなく、冷静な第三者的視点のまま―すなわち、そんな浩平の行動を「どうしてあんなことをするんだろう…」と「永遠の世界」から傍観している*14「ぼく」という視点にシンクロすべきである―ということ*15、②長森瑞佳シナリオにおける折原浩平の心境の異変については、あまりにもド派手すぎて逆に伏線として気付きにくくなっているが、「永遠の世界」到来の予感に苛まれる彼の"怯え"*16が原因である*17、という二点を指摘するに留めておきたい。長森瑞佳シナリオは確かに"じれったさ"や"もどかしさ"、"狂おしさ"で一杯かもしれないが*18、そのカタストロフはカタルシスへと収斂するようにきちんと出来上がっているのだ。

……
真っ赤な世界。
…どこまでも続く世界だ。
浩平「瑞佳っ!」
オレは思わず、長森の名を叫んでいた。
長森「………」
無感情の目でオレの顔を見ていた。
浩平「瑞佳…?」
 

(「ONE〜輝く季節〜」 長森瑞佳シナリオ より)


4.Key的世界観の出発点にして終着点

―失われた"恋愛"のかけらを求めて―

 本作「ONE〜輝く季節へ〜」は、ファンタジー*19であり、ジュブナイル*20であり、そして何よりもラブストーリーである。
長森「ほら、はぁーーっ、てしてよ」(C)Tactics 後のKeyブランド諸作品「Kanon」「AIR」「CLANNAD」との相対評価に過ぎないと断った上での話だが、ラブストーリーとしての描写に最も成功しているのは間違いなく本作である。後のKeyブランド諸作品は「家族(的な人間関係)の再生」というモチーフへの傾倒を強める一方ということもあり*21、剥き出しの恋愛描写を見出すことが可能な本作の稀少価値は決して小さくない。「永遠の世界」の"別離と消滅、そして再会"というガジェットには、"二人が互いを想い続けることができたときだけ主人公とヒロインは再会できる"という、ラブストーリーとしての秀逸な側面も含まれているのだ。
 そして、そこから浮かび上がってくるのは、登場人物たちの愛憎入り交じった「会いたい」いう強い想いである*22。このことは、久弥直樹氏担当の川名みさきシナリオと里村茜シナリオでもきれいに描かれているが、殊に麻枝准氏が書き下ろした長森瑞佳シナリオにおいて際立っている*23。麻枝氏は本作前後を通じKey系主要作品でシナリオを担当している唯一の人物に当たるが、氏がまともに*24ラブストーリー書くことができたのは*25、下手をすると本作の長森瑞佳シナリオだけかもしれない。
 後のKeyブランド諸作品では"家族愛"によって押し退けられ、失われてしまった"恋愛"のかけらが、本作には残されている。―これから先のKey作品において、本作で散りばめられた"恋愛"のかけらが紡がれることはないかもしれないけれど。

―「夢」「奇跡」「空」「光」に関するメモランダム―

 最後に*26、ほぼ共通の制作スタッフによって後に発表された「Kanon」(Key,1999年)、「AIR」(Key,2000年)、「CLANNAD」(Key,2004年)と本作との間に見受けられる連続性について、メモランダム形式で触れておきたい*27

〜「夢」〜
「Kanon」の月宮あゆ「うぐぅ…」(C)Key このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。 「Kanon」には、"思い出に還る物語"*28という側面がある。そこでは、過去に出会っていた"ヒロインと主人公の物語"へと辿り着くため、「夢」というガジェットが多用されている。
 メインヒロイン*29月宮あゆは、シナリオに応じて11個の夢を見るし*30、ヒロインたちは誰もが夢の中に留まっているといっても過言ではない*31。主人公の相沢祐一もヒロインたちに負けず劣らず、思い出すために夢を見る。そして、ヒロインの見る夢と主人公の見る夢がシンクロするに至ったときに、「Kanon」のシナリオはクライマックスを迎える*32

眠気はあった。
だけど、その夜はなかなか寝つけなかった。
そして、俺は夢を見た。
雪が降っていた。
目の前に、大きな建物があった。
雪の積もった木のベンチに座って、俺はただ泣いていた。
 

(「Kanon水瀬名雪シナリオより)

 このプロットは、「CLANNAD」でもそのまま繰り返し用いられている。その白眉は何といっても一ノ瀬ことみシナリオである。主人公の岡崎朋也は物語の佳境、例の「光の玉」を手に入れた後、"思い出に還る"ための夢を見て、過去に出会っていた"ヒロインと主人公の物語"へと辿り着く。

【朋也】「君はタイムマシンでここに来たんだね」
【ことみ】「あ……」
ことみが瞳を見開いた。
信じられないというように、俺のことを見据える。
俺はただ、言葉の続きを待つ。
そして、ことみが口を開いた。
【ことみ】「ええ。わたしのお父さまが発明したの」
【朋也】「なら、ここにはよく来るのかい?」
【ことみ】「もう何度も。ここはわたしのお気に入りの時空座標だから」
 (中略)
【朋也】「きみを迎えに来た」
 

(「CLANNAD一ノ瀬ことみシナリオより)

 そして、「AIR」においても、壮大なスケールの違いこそあるものの、メインヒロインの神尾観鈴は、翼人の記憶を継承する―"思い出に還る"―ために夢を見る。そして、やはり観鈴が「夢」を見終わったとき、「AIR」の千年の夏物語は文字通りのクライマックスに到達する。

観鈴】「夢を見るの」
【往人】「………」
【往人】「ん…なんか言ったか」
風の音に紛れてよく聞こえなかった。
観鈴】「夢を見るの」
【往人】「そら見るだろう。俺も見る」
 (中略)
観鈴】「空の夢」
俺はその言葉に反応して、観鈴の顔を見る。
観鈴は空を見上げていた。
 

(「AIR」DREAM編/神尾観鈴シナリオより)

 このように、Key系諸作品において、"思い出に還る"ための「夢」というガジェットは、実に効果的に多用されている。
 その原点は、もちろん本作において見出すことができる。上月澪シナリオで一度だけ、主人公の折原浩平が"思い出に還る"ために夢を見るシーンがあるのだ。

その夜、オレは夢を見た。
…キィーーーーー
……キィーーー
静かな公園に、鉄の軋む音だけが響いていた。
微かに揺れるブランコ。
そして、無表情に佇む女の子。
あまりにも遠くて忘れていた情景。
昔の思い出。
最後に言った言葉。
 
  …約束だからな
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」上月澪シナリオより)

 次作の「Kanon」では「夢」と並んで「約束」というキーワードも重要な命題になっているが、両者とも既に本作の段階でその問題意識が顕在化している。この点は、実に興味深い。しかも、本作には、"思い出に還る"ためだけでなく、"現実に目覚める"ために夢を見るという逆説的なシチュエーションが含まれており、その異色ぶりは特筆に値する。

夢か…?
長森「浩平…気がついた…?」
長森が喋っている。
長森「もう、びっくりしたんだから…。床の上で倒れてるんだもの…」
夢の中の長森は、とても綺麗に見えた。どうしてこんなに綺麗なんだろう…。
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)

 後のKeyブランド諸作品は"過酷な現実との対峙、受容、克服"というジュブナイル的主題を完成させるために、散々試行錯誤を繰り返しているのだが*33、何のことはない、既に本作の時点で終着点は垣間見えていたのである。
 

〜「奇跡」〜 
「Kanon」美坂栞シナリオ終盤、彼女は「奇跡」について雄弁に語る。しかし、それもひとつの仮説の提示に過ぎない。(C)Key このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。 「Kanon」における「奇跡」というガジェットの扱いは、本作における「永遠の世界」並みに難解なものである*34。とりあえずここでは、「Kanon」の「奇跡」はご都合主義的なハッピーエンドでは決してないということを指摘するに留め*35、系譜的に先行する本作における「奇跡」の取り扱いについて若干触れておこう。
 「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」には、"日常的な、奇跡のように思える偶然"*36という側面がある。奇跡はささやかな日常の中に無限にひそんでいる*37

長森「どったの? こんなところで?」
浩平「待ってたんだよ、おまえを」
長森「えっ? こんなところを通りかかることなんてそんなにないのに」
浩平「じゃあ、ここで会えたのは奇跡だな」
長森「そだね」
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)

 「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」は、"あり得ないはずの状態"*38という意味で用いられる場面もある。ここで折原浩平が言う「奇跡」には、全ての人から彼の記憶が消えつつある中で、「オレの存在を見つけてくれるひとがいる」という得がたい状況に対する感慨が込められている。

浩平「隣、座らないか」
長森「うん」
オレの隣に長森が腰掛ける。
長森「それで、こんなところで何してたの?」
浩平「ほんとに奇跡を待ってたんだよ」
長森「わたしと会える?」
浩平「ああ」
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」長森瑞佳シナリオより)

 「ONE〜輝く季節へ〜」における「奇跡」は、"超常的な救済"*39のようであっても、それは人為によってのみもたらされる。「永遠の世界」から日常世界に帰還するための手がかりを探る折原浩平と氷上シュンの会話に、その一端が見受けられる。

氷上「つまりキミに今必要なものは、人との絆ってわけだ」
浩平「絆ね…」
氷上「いつだって、奇跡は人との絆が起こすものなんだ」
氷上「それが今のキミを救ってくれる唯一のものなんだよ」
浩平「………」
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」氷上シュン・シナリオより)

 このように概観してみると、「Kanon」における「奇跡」を巡る"世界観の穴"*40は、本作の段階で既に開きつつあったということが見えてくるだろう。
 

〜「空」〜
「AIR」の神尾観鈴は空の夢を見る。「もうひとりのわたしが、そこにいる。そんな気がして」 (C)Key このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。 「AIR」は、"夏はどこまでも続いていく。青く広がる空の下で。彼女が待つ、その大気の下で"というキャッチコピーを待つまでもなく、そのタイトルがずばり示す通り、「空」というガジェットが世界観全体を支配している。
 「魔法を使えたらって、思ったことはないかなぁ?」と空を飛びたがる少女がいれば、別の少女は「飛べない翼に意味は、あるんでしょうか」と悩んでいる。空の夢を見ている少女は、「もうひとりのわたしが、そこにいる。そんな気がして」と呟く。誰もが空に思いを馳せている。1000回の夏を数えて。
 とにかく、この空の向こうには、翼を持った少女がいるのだ。
 これに対して、本作が示唆する「空」も、異色極まりないものがある。というよりも、まるでAIR」の結末を預言するかのように、本作の登場人物たちは「空」について雄弁に物語っているのだ。

みさき「…みんな、この空の先にいるんだよね」
どこまでも広がる空を羨望の眼差しで見つめる先輩。
浩平「みんなって…?」
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)

みさき「…ね、浩平君。今日はいい天気かな」
みさき先輩は、そういって真っ青な空を仰ぎ見た。
手をあげて、まぶしそうに日差しを遮る。
浩平「ああ」
どこまでも広がる、青一色に彩られた空を眺めながら、ただ頷く。
雲一つない晴天。
この世界はこんなにも綺麗だったんだと実感する。
 (中略)
みさき「私ね、学校の屋上が好きだった理由が分かったような気がするんだ」
みさき「…一番近い場所だったんだよ」
みさき「私があこがれていた世界にね」
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)

 この空の先には、みさき先輩のあこがれていた世界がある。

この空だ…。
手足を伸ばしても、足を掻こうとも何にも届かない。
向かえる場所もなく、訪れる時間もない。
…永遠。
その言葉で繋がっていたのだ。
この空の向こうに、その永遠の場所がある。
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」シナリオより)

 けれども、空の向こうにあるのは、永遠の場所。

(空だけの世界…)
(この下には、何があるんだろうね)
(なんにもないよ)
(そうかな。あたしは、広大に広がる野に、放し飼いの羊がたくさんいると思うよ)
(いや、ずっと空だけが続いてるんだと思う)
(どうして…? 羊を放し飼いにしておこうよ)
(大地がないから、羊はみんな落下してゆくよ)
(だったら、大地を作ろうよ。新緑の芽生えたばかりの大地)
(いらないよ。海でいい)
(羊は、みんな海に落下してゆくの…?)
(そう。ぼちゃぼちゃと海に落ちる。)
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」永遠の世界Ⅴより)

 そして、空の下には何にもない。何もかもが海にぼちゃぼちゃと落ちるだけ。

何気なく見上げると、すでに雲は流されて、うっすらと暮れた空が天井を覆っていた。
浩平「……」
その空に、オレは人影を見た。
正確には、空ではなくて、空に面した場所。
校舎の屋上だ。
 (中略)
下で見ていた以上に、その場所は風が強かった。
そして、冷たかった。
フェンスを大きく揺する突風。
太陽の暖かさも、この場所までは届いていないようだった。
そんな空間の中心に、その人はいた。
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」川名みさきシナリオより)

この空の向こうに、その永遠の場所がある。 (C)Tactics この空の向こうに、翼を持った少女はいないけれど、空に一番近い場所には、光を失っても笑顔を失わなかった少女が待っている。「空」に対する憧憬は、手を伸ばしても決して届かない。しかし、それがせめてもの慰めとなる。
 「ONE〜輝く季節へ〜」における"冬の雲の天井"は、やはり「AIR」における"夏の大気"と同じ空の下にあるものとして描かれていると見るべきではないだろうか。
 

〜「光」〜
「CLANNAD」で集めた光の玉は、オープニング画面に表示される。 (C)Key このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。 「CLANNAD」では、"奇跡を起こすのは、人の想い"というコンセプトの下、「の玉」を集めるというガジェットが用いられている。そこでは、人々の幸せな想いが光に仮託されている。
 プレイヤーは主人公の岡崎朋也に成り代わって登場人物たちの"物語"を聴いてまわり、街の人たちの幸せをそっとおすそ分けしてもらう。
 長い、長い旅を、無数の…光と共に終えるために。
 楽しいことは、これから始まるのだから。

【朋也】「…なんだ?」
俺は草から身を起こした。
刈り込んだ芝の上、豆粒ほどの光がゆっくりと浮かんでいる。
【朋也】「蛍?」
何かを訴えるような、本当に弱々しい明滅。
 (中略)
知らず、俺は手をのばしていた…。
 

(「CLANNAD一ノ瀬ことみシナリオより)

「永遠の盟約」を交わす女の子が現れる場面でも、4月の陽光という「光」による演出が施されている。(C)Tactics こうした人の想いと光を関連付ける表現技法は、実は既に本作の段階で見受けられるものである。しかも、本作の場合、仮託されている人の想いは、実に多種多様なのである。
 たとえば、長森瑞佳シナリオの朝目覚めたときのまばゆい陽光や川名みさきシナリオの校舎の屋上に降りそそぐ夕焼けの赤い光は、ヒロインの初登場シーンを象徴付けしている。また、七瀬留美シナリオの雲の間から顔を覗かせた太陽の光や里村茜シナリオの雨に濡れたアスファルトの地面に反射する光*41、上月澪シナリオにおける満月が白く舗装された地面を照らす光は、それぞれ具体的な場面状況の下で登場人物の心情の暗喩として働いている。
 それだけではない。

あの日から、ぼくは泣くことが多かった。
泣いていない隙間を見つけては、生活をしているようだった。
 (中略)
4月の陽に映え、緑がきれいな町だった。
でも、それでも、ぼくの涙は乾くことはなかった。
どれだけ涙というものは流し続けられるのだろう。不思議だった。
「泣いてるの…?」
そしてその町で、最初に泣いているぼくをみつけたのがその女の子だった。
 

(「ONE〜輝く季節へ〜」より)

 「永遠の盟約」を交わす女の子もまた、やはり光によって象徴されていたのである。

*1:それでも、川名みさきシナリオや長森瑞佳シナリオのように、言葉のやり取りや主人公の心境にいろんな意味で含蓄が含まれている性交描写がないわけでもない。「他にどうすればいいか分からないからセックスする」という指摘もある。今木「麻枝准とエロ」(2000年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/r0210.shtml#3)より。

*2:Wikipedia「ロボット萌え」の項より。

*3:高橋龍也氏発言「例えば『To Heart』の『マルチ』は泣き方向かもしれないですけど、『マルチ』が任務を終えて死ぬからかわいそうだとか、そういうのを書いたわけじゃなく『マルチ』という究極なまでにピュアな存在への問いかけが主題なんです。そういう味付け程度でしか『泣き要素』は受け入れられないものだと思っていたんですけど。」,「TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也原田宇陀児」(2000年,http://www.tinami.com/x/interview/04/page12.html)より。

*4:「だからあなたのこと忘れます」

*5:久弥直樹氏発言「茜シナリオはラストシーンが浮かんで、それから作っていきました」,「輝く季節へ ビジュアルファンブック」(1999年,アスキー)より。

*6:泣きゲー」のシナリオ分析については、涼元悠一「ノベルゲームのシナリオ作成技法」(2006年,秀和システム)が必読。特に、「泣きゲーを作っている人間は、自分のシナリオに泣いている」というのは作り手の自負と挟持を感じさせる至言。

*7:当時の時代状況について、「どうして一部のゲーマーがあれほどONE、Kanonの『泣き』にハマるかというと、その少女漫画的表現、言うなれば少女趣味的演出が、美少女ゲームという究極の男性趣味の中に突如として現れたことにカルチャーショックを受けたからである」と分析する論考として、http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d9912-2.HTM#12.22 を参照。

*8:最新の論考として、then-d「Sweetheart,Sweetsland〜長森瑞佳論〜」(2006年,C70)があるとのことだが、残念ながら未読のため触れることができない。

*9:... _| ̄|○

*10:アシュタサポテ「『ONE〜輝く季節へ〜』(2)」(2000年,http://astazapote.com/archives/200004.html#d17)より。

*11:拙稿「競馬サブカルチャー論・第08回:馬と『同級生』〜18禁ゲームの始祖鳥/馬は”お嬢さま”と”ポニーテール”萌えを導いた〜」(2004年,d:id:milkyhorse:20041219:1103443200)を参照されたい。

*12:Leafが「To Heart」の次作として、まさにカウンターパンチ気味な「WHITE ALBUM」(1998年5月)を放ったときも、Leafの「痕」以前を知らずに「To Heart」から新規参入してきたプレイヤーは阿鼻叫喚したらしい。

*13:たとえば、APRIL FOOL「EZ-O-Zappar社の機密議事録(4) 折原浩平×長森瑞佳」(2001年,http://april1st.niu.ne.jp/column/one/EZ-O-Zappar4.html#082)など。

*14:回想・追想している、ともいう。

*15:雪駄「シンクロナイズドフラッター」(2000年,http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d0005-3.HTM#5.25)より。

*16:「一人称の語りを額面通り受け取っているだけではキャラの心情に迫るのが難しい」という指摘として、今木「レティサンス」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200308.html#14)

*17:ばらもす「ときには、映画や小説のように 特集KEY(Tactics)の作品世界 『ONE〜輝く季節へ〜』 Episode1 長森瑞佳」(2001年,TimeCapsule『物語のおもちゃ箱〜人とゲームが紡ぎ出す無限の面白さ〜』 http://www.actv.ne.jp/~uzura/timecapsule/oldbooks/omocha/act2/mizuka.htm)より。

*18:相沢恵「永遠の少女システム解剖序論」(2000年,http://www.tinami.com/x/review/02/page7.html)より。

*19:文芸様式としてのファンタジー。火塚たつや「永遠の世界の向こうに見えるもの 総論 」(2001年,http://tatuya.niu.ne.jp/review/one/eien/outline.html)より。

*20:"過酷な現実との対峙、受容、克服"という成長物語。拙稿「競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜」(2006年,d:id:milkyhorse:20060406:p1)より。もしくは"不変よりも流転を""無限の永遠よりも限りある日常へ。そこには楽しいことも悲しいこともあるけれど、人と人との絆があるのだから"という成長物語。フジイトモヒコ「Last examinations 第1回 ONE前提考察」(2000年,http://www22.ocn.ne.jp/~pandemon/text/L.e_pre_e.html)より。

*21:久弥直樹氏が企画した「Kanon」はまだしも、「家族になる前の段階には興味がない」と公言する麻枝准氏が企画した「AIR」「CLANNAD」では恋愛に対する優先順位は家族愛に比べて明らかに低い。麻枝准涼元悠一「Keyシナリオスタッフロングインタビュー」(『カラフル・ピュアガール』2001年3月号,ビブロス)より。

*22:雪駄「物語の本質と感動」(2000年,http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d0001-4.HTM#1.27)より。

*23:then-d「『ONE』 〜視点の問題を中心に〜」(2001年,http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/spe5.htm)ほか。

*24:いろんな意味で。

*25:同様に、麻枝准氏のシナリオにおける"泣き"は"泣けば済むという問題ではなくなっている"ことが多く、唯一まともに"泣きゲー"のシナリオを書くことができたのも「CLANNAD」の伊吹風子シナリオだけかもしれない。この点については本稿でこれ以上追求しない。

*26:といっても、競馬サブカルチャー論的には前半部の最後に過ぎないが。

*27:本当は「MOON.」(Tactics,1997年)を含めた検討を行なうべきなのだが、本稿ではこれ以上追求しない。

*28:これに対し、本作には"思い出が永遠になる物語"という側面がある。本稿ではこれ以上追求できないが、ドラマCDの「ONE〜輝く季節へ〜 (1) 長森瑞佳ストーリー あなたのこころをわたしのなかへ」(1999年,ムービック)で補完してもらいたい。

*29:異論があるかもしれないが、本稿ではこれ以上追求しない。

*30:異論があるかもしれないが、本稿ではこれ以上追求しない。

*31:たとえば沢渡真琴も、思い出に還るために"浅い夢"と"暗い夢"を見る。「Kanon」沢渡真琴シナリオにおける「暗い夢」のシーンの一例を参照されたい。

*32:それが顕著なのは何といっても月宮あゆシナリオだが、水瀬名雪シナリオ、沢渡真琴シナリオ、川澄舞シナリオにもその傾向はある。なお、美坂栞シナリオにおいて独特な「夢」の解釈が開陳されるが、本稿ではこれ以上追求しない。

*33:拙稿「競馬サブカルチャー論・第15回:馬と『CLANNAD』〜Key的ジュブナイル主題の集大成/人生が競馬の比喩だった〜」(2006年,d:id:milkyhorse:20060406:p1)より。

*34:八月の残りの日「Kanonにおける奇跡の扱い」(2005年,d:id:imaki:20051119#p1)より。

*35:少なくとも、源内語録「『Kanon』考察 本章 『Kanon』とは表層のファンタジーとは裏腹のシリアスドラマである」(1999年,http://web.archive.org/web/20030711040412/http://www.erekiteru.com/gengoro/000021.html)は必読。

*36:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。

*37:「しかしこういう朝の光景にも慣れてきてしまっているが、よくよく考えてみると不思議なものだった。それはなんていうか、ひとつ何かが違っていればここには至っていなかった、という奇妙な感覚だ。これまでにも無数の分岐点があり、ここには至らない可能性がかなりの確率であったはずなのに、ここに至っている。まあ裏を返せば、どこかには至るのだから、その時々でそんなことを思うのかも知れないが、それでも自分の人生として考えてみると、やはりこの巡り合わせは特別不思議だったりする。」

*38:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。

*39:今木「忸怩たるループ」(2003年,http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)より。

*40:涼元悠一氏(元Key所属シナリオライター)が繰り返し述べている言葉。

*41:ちなみに、これは「真っ青な空から差し込む眩しい光」と対照になっている。