競馬サブカルチャー論・第17回:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』〜馬に仮託されたハルヒの"憂鬱"と有希の"消失"〜
この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。
―馬は、常に人間の傍らに在る。
その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載では、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。
※本論には、放送話数第14話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」までアニメ本編の内容に関する記載が含まれています。
―谷川流・いとうのいぢ/SOS団『涼宮ハルヒの憂鬱』より―
頭でひねっていた最低限のセリフを何とか噛まないように言い終え、やるべきことをやったという解放感に包まれながら俺は着席した。替わりに後ろの奴が立ち上がり―ああ、俺は生涯このことを忘れないだろうな―後々語り草となる言葉をのたまった。
「東中学出身、涼宮ハルヒ」
ここまでは普通だった。真後ろの席を身体をよじって見るのも億劫なので俺は前を向いたまま、その涼やかな声を聞いた。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
―こうして俺たちは出会っちまった。しみじみと思う。偶然だと信じたい、と―
「性格以外は完璧だが性格にはとことん問題がある」要するに容姿端麗・頭脳明晰だけど唯我独尊・傍若無人な女子高生・涼宮ハルヒは、この世の面白い不思議を探るため、適当に学内で人を集めて「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」略してSOS団を結成する。そのメンバーはといえば、メイドやナースの格好をさせられるロリータ顔の美少女上級生(朝比奈みくる)や、無表情で本を読みふける寡黙な眼鏡っ娘文芸部員(長門有希)、半端な時期に転入してきた笑顔の似合う優男な「謎の」転校生(古泉一樹)といった、いかにもな面子揃いだ。
ところが、ハルヒが適当に集めたはずだった団員たちの正体は、実は「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」という涼宮ハルヒの呼び掛けに応じて本当に集まってきた未来人*1、宇宙人*2、超能力者*3である。そして、ハルヒ一人がそのことを知らない!
団員たちの使命は、ハルヒに愉快で冒険いっぱいな、それでいて平穏無事な毎日を過ごしてもらうこと。なぜならば、この世界はハルヒが見ている「夢」に過ぎないかもしれないという恐るべき仮説があり、彼女が世界に飽きてしまうと、情報爆発? 時間振動? 閉鎖空間? ―とにかく何が起きてしまうか分からないのだという。
そんな仮想かもしれない非日常的な空間に巻き込まれてしまった唯一の「特別何の力も持たない普通の」男子高校生が、「県立北高校1年5組、SOS団団員その1にして雑用係」―本作の主人公キョン(あだ名)である*4。彼は、そんな涼宮ハルヒと愉快な仲間たちが繰り広げるドタバタ非日常系学園ストーリーについて、語り部として述懐する*5。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。俺も思ったよ。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでに超常になっていたんだ―。*6
「涼宮ハルヒの憂鬱」は、谷川流氏の同名ライトノベル・シリーズを原作に、2006年4月〜2006年7月の間、ちばテレビ他UHF系11局にて、全国放映された全14話のテレビアニメ作品である。
2006年4月期放映のテレビアニメ番組は、68本という今世紀最多*7の作品数を数えた。「涼宮ハルヒの憂鬱」もその1本だったわけだが、前評判は必ずしも高いものではなかった。というのも、作画に定評のある京都アニメーションによる自社制作作品という点に着目する者は見受けられたものの、漫画と比べると馴染みの薄いライトノベルを原作とすることもあってか、原作を知らないアニメファンの方が圧倒的に多く、事前に期待の盛り上がりようがなかったというのが実情だったからである*8。
一応、2006年2月からタイアップ・ラジオ番組の「涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ支部」が、ラジオ関西とネットラジオで配信を開始していたものの、どちらかといえば出演声優を前面に押し出した番組構成になっていたため、やはりアニメ番組の内容に関する事前情報はほとんど開示されないままだった。
そして、第1回放送を直前に控えた2006年3月25日、「涼宮ハルヒの憂鬱」の制作元・京都アニメーションがKey*9原作の恋愛アドベンチャーゲーム「Kanon」*10を再度アニメ化し、2006年10月から全24話で放送することが発表された*11。このことによって、同じ制作元の作品でちょうど中継ぎの時期に放映される「涼宮ハルヒの憂鬱」の出来に「Kanon」リニューアル・アニメ版の先行きが占われるという側面が加味され、局地的に「涼宮ハルヒの憂鬱」の注目度は増してきた。
とはいえ、結局、原作を知らない圧倒的多数のアニメファンにとって、「涼宮ハルヒの憂鬱」の作品観は依然謎に包まれたまま。「作画に少しは期待できるだろうけどねー……でも内容についてはちょっと様子見」、みたいな最大公約数的なことを考えるくらい。そんなことを頭の片隅でぼんやりと考えながらたいした感慨もなく日付は2006年4月2日24時00分になり―「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」の放映が始まった。
放送話数第1話*12「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」のもたらしたセンセーションは、特筆に値する。本話の内容はSOS団が高校の文化祭に出展した自主制作映画(超監督・涼宮ハルヒ)を再現したものであり、いわゆる劇中劇である。その出来栄えは映像、音響、脚本、演出その他ありとあらゆる面において一見ひどいことこの上なく、何の前振りもなくいきなり「みっみっみらくる みっくるんるん♪」*13とオープニングが始まった瞬間、原作未読の視聴者の中には「今、自分の目の前で何が起こっているのか」と
ところが、他方で、このとき原作既読の視聴者は狂喜していたという。というのも、このグダグダな「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」というエピソード(?)は、「ストーリーはズタボロ、セリフは聞き取れず、手ブレ満載、おまけに画面外の監督の怒号までが入っていたが、ビジュアルエフェクトだけは高校生の自主映画にしてはそこそこくらいのレベル」「映画なんぞよく知りもしない素人が勢いで撮るとこうなるみたいなダダ崩れぶり」「強引なまでの編集方針で存在しないストーリーのツジツマを合わせようとしたもんだから、なおさら破綻に拍車をかけてもうヒドイことになっている。結局アフレコもしてないわVFXなどどこのシーンにも皆無だわ、笑いたくなるほどの」「シュールレアリスムの極致に挑戦したようなバカ映画」を「どうにかこうにか切り貼りして30分に収めた」という原作の叙述にどこまでも忠実に作成されたものであり*14、しかも、そのすべてが「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界観を現す伏線になっているからだというのである*15。
しかも、その作画水準は、8ミリっぽいへたくそこの上ない低クオリティな映像を、わざわざデジタルアニメ技術の粋を結集して16人がかりの原画担当者によって仕上げられたという、あまり類を見ないものだった*16。この作画水準を本編以上に分かりやすく視聴者に訴えかけたのが、エンディングテーマ「ハレ晴レユカイ」のダンス・シーンである。それは、ダンスという単に人間の動きを正確にトレースするだけではなくアニメ独自のアレンジをも必要とする複雑で面倒な人間の動作を、モーションキャプチャや3Dを用いず手書きのみによって、しかも1秒間30コマという文字通り"通常の三倍"を超えるフルアニメ*17で表現するものだった*18。原作未読の視聴者にとっても、これはさすがに放送話数第2話以降へと期待を繋げさせるのに充分だったわけである。
この放送話数第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」によって端的に示されている通り*19、「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの特色をあえて二つに絞るとするならば、(1)一言一句といっても過言でないくらい原作小説を忠実に再現したシナリオ構成と(2)テレビアニメ業界最高水準といっても過言ではない作画クオリティに集約することができよう(参考資料)。
ところで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の中で、「馬」が極めて重大な役割な役割を担っているという事実に、果たしてどれだけの人が気付いているだろうか。
本作の語り部キョンは、ことあるごとにハルヒの突拍子もない言動を戒め、この世の不思議の存在について懐疑的な独白を繰り返しているため、入学早々ハルヒと出会って以来の出来事は、すべて彼が彼女に振り回され、ドタバタに巻き込まれてしまったという印象を視聴者に刷り込むものとなっている。しかし、そんなキョンにも、かつては「宇宙人や未来人や…超能力…が目の前にふらりと出てきてくれること」を心の底から望んでいる時期があった。そして、そんなこの世の不思議に憧れる気持ちは、「いるワケねー……でもちょっとはいて欲しい」という最大公約数的なかたちとはいえ、彼の頭の片隅でくすぶり続けていたのである*20。
そんな彼の非日常に対する「一縷の期待」が叶うときは、唐突にやって来た。SOS団の団員たちが単なる「愉快な仲間たち」ではなく、その正体が宇宙人、未来人、超能力者なのだという驚愕の事実を、キョンは知らされるのである。
そのきっかけとなったのは1枚の栞である。長門有希から借りた―というより押しつけられた1冊の小説本を、キョンが自宅でパラパラめくっていると、半ばくらいに挟んであった栞がはらりと落ちた。花のイラストがプリントしてあるファンシーな栞。キョンは何の気なしにその栞を裏返してみて、そこに手書きの文字を発見する。
それは―「YUKI.N>また図書館に」…ではなくて、
という、宇宙人からの呼び出しメッセージだった。
そして、その待ち合わせ場所に駆け付けたキョンは、長門有希から自分の正体を明かされ、「あなたは涼宮ハルヒに選ばれた」「あなたは涼宮ハルヒにとっての鍵。あなたと涼宮ハルヒが、すべての可能性を握っている」という驚愕の設定を告げられる。これ以後、未来人と超能力者からも同様の告白を受けるのだが、その結果として、彼はこの世界の不思議を発見するだけでなく、「涼宮ハルヒにとっての鍵」という「このイカレタ状況」の当事者として、いやがおうもなく様々な事件に遭遇していくことになるのだった。
こうして、「涼宮ハルヒの憂鬱」は真の物語が始まっていくことになる。そして、そのきっかけとなったのが1枚の栞に添えられたメッセージであるという揺るぎがたい事実は、既に指摘した通りである。より正確にいうならば、栞を挟まれた1冊の小説本が長門有希からキョンに手渡された瞬間*21にこそ、「涼宮ハルヒの憂鬱」の真の開幕が到来していたのである。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の真の開幕を告げることになった1冊の小説本―。そのタイトルは『ハイペリオン』である。
原作の小説版*22によると、このとき長門有希がキョンに手渡した本は、活字が「上下段にみっちり詰まった」「睡眠薬みたいな名前のカタカナがゴシック体で踊っていた」「SFか何かの」「分厚い本」だという。1990年ヒューゴー賞を受賞したダン・シモンズ著「ハイペリオン」は、1990年代を代表するSF小説である。その物語設定は、未来世紀を舞台に宇宙人が登場し、“時間の墓標”の謎を解明する七人の男女が登場するというものであり、「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界観を暗示する仕掛けとしてこの場で用いられたことは、極めて機知に富むものであった。
―というのでは、この場面に込められた物語力の全貌を理解したことには決してならない。なぜならば、この「涼宮ハルヒの憂鬱」の真の開幕を到来させることになった重大な場面に仮託された「ハイペリオン」とは、まさに「馬」そのものに他ならないからである。
は、第154回エプソムダービー(1933年)をコースレコードで圧勝したほか、英セントレジャーも制しており、馬産家として著名な第17代ダービー伯爵エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリーの最高傑作である。母馬の名がギリシャ神話に出てくる月の女神に由来する「セレーネ」だったことから、自らもギリシャ神話に登場する太陽神に由来する名を与えられたハイペリオンは、「天空を往く者」の二つ名に相応しい快走を見せた。種牡馬としても大成し、"ハイペリオン系"と呼ばれるほど栄えた子孫の中にはハイセイコー、グリーングラス、タケシバオー、フレッシュボイス、セイウンスカイといった日本競馬界の名馬も多数含まれている。
この馬の神秘性を表すエピソードは事欠かない*23。かつて英国馬産界には「四白の馬は他人に売れ」という諺があったが、脚に四本とも純白のソックスを履いていたハイペリオンが活躍した後、その諺は「四白の馬は最後まで手許に残せ」と訂正された。また、「同じ強さの馬が争えば、必ず大きい馬が勝つ」という言い伝えもあったのだが、「まるでゴールデンレトリバーみたいだ」と笑われるくらい小柄だったハイペリオンが活躍した後、やはりその言い伝えには「ただし、ハイペリオンを除く」という但し書きが付け加えられた。ハイペリオンとは、ことわざを書き換えてしまうほどの名馬だったのである。
ところで、そんなハイペリオンだが、その聡明さは幼少期から際立っており、名馬産家
また、ハイペリオンといえば、人と厚い信頼関係で結ばれたエピソードでも有名である。その天真爛漫さゆえに、つむじを曲げて石のように固まってしまうことや、レースで真面目に走ろうとしない気まぐれを持ち合わせていた同馬に、名伯楽ジョージ・ランプタン調教師が向けた視線はどこまでも穏やかなものだった。ランプタン調教師は、ハイペリオンに対して何も強制せず、ただただ辛抱強く馬がその気になるのを待ったのである。ハイペリオンは、次第にランプタン調教師に信頼を寄せるようになり、レースで「走る」ことを序々に覚えていく。そして、エプソムダービー制覇の当日。ウィナーズサークルで祝福の喝采を浴びる小さなダービー馬は、病臥に伏していたため競馬場に足を運ぶことができなかったランプタン調教師の姿を探して、しきりに首を振り回し続けた―。
「ハイペリオン」には、これほどまでの「信頼」が仮託されている。とするならば、長門有希が「ハイペリオン」を手渡したとき、彼女がキョンに託そうとした信頼の大きさは、「うまく言語化出来ない」*24としても、馬を知る我々にとってはもはや自明である。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は、主題歌「冒険でしょでしょ?」におけるオープニングムービーがシナリオに織り込まれた主要エピソードを示唆していたことでも知られているが、放送話数のかなり後半になっても消化されないまま残された伏線のひとつに「YUKI.N>また図書館に」というパソコン画面が踊るシーンがあった。原作の小説版を知る者はともかく、アニメ版で初めて「涼宮ハルヒの憂鬱」の物語に接した者にとって、放送話数第14話の「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」においてあの場面が「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている」という彼女の告白とともに登場した瞬間、もたらされた衝撃の大きさは記憶に新しいところだろう。あるいは伏線を見抜けなかった不明を恥じる者もいたかもしれないが、長門有希の心中は「ハイペリオン」を手渡したときに既に推し量ることができたのだと気付くことができれば、不明を恥じる気持ちも少しは慰謝されるとともに、感銘をいっそう穏やかで深いものにすることができるかもしれない*25。
もっとも、「涼宮ハルヒの憂鬱」において、秘められた心中を「馬」に仮託していた登場人物は長門有希だけではない。何を隠そう、SOS団団長涼宮ハルヒその人もまた、彼女が心から真剣に願ってやまない希望を「馬」に仮託するかたちで吐露していたのである。
その場面は他でもない、冒頭の「この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」という宣言である*26。ハルヒは、この世の不思議を愛してやまない。そして、誰よりもこの世の不思議を求めている。それは、幼心に自分の日常は「普通の出来事でしかない」と気付いてしまい、「面白いことは待っててもやってこないんだ」と思い詰めた彼女なりの精一杯である*27。そんな彼女にとって、この世の不思議を象徴するのが、超常現象的存在ともいうべき宇宙人、未来人、異世界人、超能力者―。すなわち
だったのである。ハルヒは「馬」を誰よりも強く愛し、誰よりも激しく求めている。ハルヒの「馬」への愛は、このように極めて分かりやすいかたちで、本人の口からはっきりと語られていた。「涼宮ハルヒの憂鬱」の物語の真の開幕が「ハイペリオン」にあったとするならば、「涼宮ハルヒの憂鬱」の文字通りの始まりが冒頭シーンにおけるハルヒの宣言にあることも疑う余地はない*29。実は「涼宮ハルヒの憂鬱」の物語世界は最初から最後まで「馬」と共に在ったのである。
しかも、ハルヒにとって、「馬」と共に在ったのは願いと喜びだけではない。「涼宮ハルヒの憂鬱」におけるハルヒには、常に憂鬱と悲しみも付きまとっていた。つまり、彼女の憂鬱と悲しみもまた、「馬」と共に在ったのである。
高校入学以来しばらく安定していたハルヒの精神状態は、ちょっとした思い違いの積み重ねがきっかけとなって物語の後半*30、急速に悪化する。彼女は「弁舌さわやかな面影」をなくし、「眉をひそめ」「摂氏マイナス273度くらいに冷え切った声」で「口を見事なへの字」にして「仏頂面」を隠さなくなる*31。それはまさに彼女の心境の変化―憂鬱と悲しみ―に他ならないわけだが、その結果ハルヒはこの世界に「退屈」してしまう。これこそが、SOS団団員たちの最も恐れていた事態だった。ここに、「涼宮ハルヒの憂鬱」の物語はクライマックスへ向けて急転直下する。
それは、ある"空間"である人物がハルヒに対して「俺、実は―」と話しかける場面である。このクライマックスの場面において、ハルヒを「退屈」から脱却させることになったキーワードこそが、「ポニーテール」すなわち"馬のしっぽ"*32という髪型を意味する言葉だった*33。
実は、それ以前、彼女はある人物のある言葉をきっかけに長かった黒髪をばっさりと切っていた*34。それ以降、ハルヒは自分の髪をポニーテールに結わなくなったわけだが、と同時に、それ以降の彼女の憂鬱や悲しみが示唆されるときには、ポニーテールが意識的に避けられている。たとえば、放送話数第14話の「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」において、ハルヒが不機嫌な表情のまま朝比奈みくるの髪を結ったりほどいたりする場面があるのだが、そのとき彼女は三つ編みや団子編み、ツインテールにすることはあっても、決してポニーテールには結わなかった*35。また、時系列的には「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」より後の出来事になるが、放送話数第4話の「涼宮ハルヒの退屈」においても、ハルヒが朝比奈みくるの髪を結おうとしたときにポニーテールにしようとして躊躇するという場面が描写されている。このように、ハルヒの憂鬱と悲しみの傍では、ポニーテールが常に重大な意味を占めていたのである*36。
願いも喜びも―。憂鬱も悲しみも―。ハルヒの全てが「馬」と共に在ったといっても過言ではない。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は2006年4月期最大のヒット・テレビアニメとして賞賛を集めるだけでなく、DVD、音楽CD、コミカライズ、原作小説等のメディアミックス展開でも順調に売り上げを伸ばしているようだ。原作の小説本について見れば、アニメ放送開始前でもシリーズ累計で100万部を突破し、ライトノベル業界としては既にそれなりの定評を築いていたところ、テレビアニメ化された3ヶ月の間に累計発行部数は250万部にまで急増したという。
こうした慧眼すべき商業的成功については、ネット世代を中心とする情報消費社会の時流にうまく乗ることができたマーケティングの絶好例として採り上げられることが多い。しかし、そのようなものの見方は、一定の真実味を含むことは確かであっても、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品が本来備えている制作者意思―主題や物語性、文芸的価値を看過させかねない、偏面的な視座によるものに留まるといわざるを得ない。我々は、より普遍的かつ冷静な視座から「涼宮ハルヒの憂鬱」の作品力を評価すべきなのである。
すなわち。ジャンルを問わず名作であればあるほどあらゆる場面に馬を散りばめようとする傾向が強いということは、我々がこの「競馬サブカルチャー論」を通じて繰り返し論証してきた通りである。とするならば、散りばめるどころか、最初から最後まで、喜びも悲しみも、全てが「馬」と共にあった「涼宮ハルヒの憂鬱」が比類なき傑作であるということは、もはや火を見るよりも明らかであろう。
馬には世界の運命を左右するほどの、希望や信頼が託される。喜びも、悲しみも、憂鬱も、嫉妬も、すべてが馬と共にあった。馬が果たした役割の大きさは、かくも計り知れない。
そこに馬がいたから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:ぴ) *37 *38 *39
要旨1:『涼宮ハルヒの憂鬱』論
放送話数第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」によって端的に示されている通り、「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの特色をあえて二つに絞るとするならば、(1)一言一句といっても過言でないくらい原作小説を忠実に再現したシナリオ構成と(2)テレビアニメ業界最高水準といっても過言ではない作画クオリティに集約することができよう。
要旨2:馬と『涼宮ハルヒの憂鬱』
「涼宮ハルヒの憂鬱」の真の開幕を告げることになった重大な場面に仮託された「ハイペリオン」とは、まさに「馬」そのものに他ならない。そして、涼宮ハルヒは「馬」を誰よりも強く愛し、誰よりも激しく求めている。また、長門有希の「馬」に対するリスペクトも著しい。このように、全てが「馬」と共にあった「涼宮ハルヒの憂鬱」が比類なき傑作であるということは、もはや火を見るよりも明らかである。
※「はてなダイアリー」1日分の記載限度量を超過したため、d:id:milkyhorse:20060703:p1 から転載しました。
※はてなブックマークへの捕捉に触れました。ありがとうございます。
※本論に対する反応として、
http://fairydoll.net/log/200606_2.html#060628 *40
http://fairydoll.net/log/200607_1.html#060707 *41
http://d.hatena.ne.jp/appletree/20060707#p1 *42
http://d.hatena.ne.jp/Southend/20060714#p1 *43
http://d.hatena.ne.jp/caprin/20060704#p17 *44
http://d.hatena.ne.jp/amnk1t/20060704#p1 *45
http://d.hatena.ne.jp/Intermezzo/20060706 *46
に触れました。ありがとうございます。
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■後藤邑子さんの公式Blog"ツブヤキ3"「恋のミクル伝説!!」(2006/06/16)より一部抜粋
- 後藤邑子さん「疲れた時、眠い時、落ち込んでいる時、眠い時、暇な時、眠い時、そんな時にぜひ、聞いてみてください。良いか悪いかと言う方向性は置いといて、とりあえず刺激にはなります!!」
■茅原実里さんの公式Blog"minorhythm"「♪有希のキャラソン発売♪」(2006/07/04)より一部抜粋
- 茅原実里さん「間奏には鳥肌が立ってしまうほどの激しい弦がうねりをあげているんですけど、こんなにもストリングスに力を入れた理由は、『アンドロイドの有希の感情を弦で表したかったからなんです』。」
■後藤邑子さんの公式Blog"ツブヤキ3"「出血て!(2006/06/01)によると、
- 後藤邑子さんはレコーディングのとき、声帯から出血したまま歌い切ったそうです。声優さんも大変ですね。
■アニメ原画の世界「涼宮ハルヒの憂鬱」より一部抜粋
―季刊『S(エス)』 VOL.15 2006 Summer所収―
(DVD版に収録を予定している本編の内容について)
- 石原立也監督「白状してしまうと、最初はテレビで放送する正確な尺が決まっていなかったんです。いざ放送枠が決まってみると、一話分の尺が思っていたよりも短かったんですよ。だからすでに作画で描いたけど泣く泣く切らなければならないカットが出て来てしまいまして。そういうカットを、もったいないからDVDに入れましょうって言っています。」
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*1:「ロリで巨乳な萌えマスコット未来人」
*2:「銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」
*3:「超能力者集団の『機関』から派遣されたエージェント」
*4:彼こそが残る「異世界人」に違いないという有力な見解があるのだが、それはまた別のお話だからここでは触れない。
*5:もっとも、キョンがいつも自分の本音を語っているわけではないし、下手をすると自分の言葉が本音なのか韜晦なのかを本人でさえ分かっていない場面もある。しかも、すべて過去形である。このように、本作の叙述構造自体がひとつのトリックになっている点に注意しなければならない。
*6:原作小説シリーズの第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」(ISBN:4044292019)より。
*7:2006年4月期まで現在。
*8:テレビアニメ化の正式発表は2005年12月8日頃だったと思われるが、ライトノベル原作ファンの間でも、期待と同時に不安も相当大きかったようだ。何しろ、放映開始の1ヶ月前まで放送局すら不明だったというのだから。もっとも、2006年3月1日に開設された「SOS団公式サイト」を目の当たりにした原作ファンは、心躍らせていたらしい。
*9:Key関連の「競馬サブカルチャー論」として、「馬と『CLANNAD』」がある。d:id:milkyhorse:20060406:p1
*10:PC版(18禁)は、ASIN:B00069EWD6。PC版(全年齢対象)は、ASIN:B00078WHCO。
*11:「Kanon」テレビアニメ第2期公式サイトは、http://www.bs-i.co.jp/anime/kanon/
*12:構成話数としては第11話。原作エピソードの順序をシャッフルしてテレビ放送していたため、アニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」の話数には「放送話数」「構成話数」「製作話数」という三つの数え方がある。
*13:「涼宮ハルヒの憂鬱」劇中劇「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」主題歌「恋のミクル伝説」(「朝比奈ミクル」役の「朝比奈みくる」役の後藤邑子さんの歌)より。ASIN:B000FFL4L4
*14:詳細については、d:id:fuzzy2:20060507:p2
*15:詳細については、原作小説シリーズの第2作「涼宮ハルヒの溜息」(ISBN:4044292027)と第6作「涼宮ハルヒの動揺」(ISBN:404429206X)を参照。
*16:詳細については、http://blog.livedoor.jp/naname45/archives/50485554.html , http://tangerine.sweetstyle.jp/?eid=484139
*17:テレビアニメの作画は、1秒間8コマというのが一般的である。
*18:季刊『S(エス)』 VOL.15 2006 Summer所収「アニメ原画の世界『涼宮ハルヒの憂鬱』」(ISBN:B000FVGO7C)を参照。
*19:放送話数第2話以降の各論については、優れた先行論考が多数揃っているため割愛する。
*20:放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」にて。
*21:放送話数第3話/構成話数第2話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅱ」にて。http://sto-2.que.jp/ndiary/2006/04/200604251.html
*22:原作小説シリーズの第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」(ISBN:4044292019)にて。
*23:詳細については、原田俊治「世界の名馬―セントサイモンからケルソまで」(サラブレッド血統センター,1970年)ほか多数参照。ISBN:4879000310
*24:ちなみに、長門有希は「ハイペリオン」について「ぜんぶ」が「ユニーク」と「うまく言語化」して述べている。これは寡黙な彼女にとって最大級の賛辞といえよう。このことからも、彼女の「馬」に対するリスペクトの大きさを察することができる。放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」より。
*25:少なくとも、原作小説シリーズの第3作「涼宮ハルヒの退屈(ISBN:4044292035)所収の『笹の葉ラプソディ』と第4作「涼宮ハルヒの消失」(ISBN:4044292019)まで読み進めた者ならば、この「ハイペリオン」に仮託されていた長門有希の胸中をよりいっそう察することができるだろう。
*26:放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」にて。
*27:放送話数第13話/構成話数第5話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」より。
*28:"Unidentified Mysterious Animal"の略称である。念のため。原作小説シリーズの第3作「涼宮ハルヒの退屈」(ISBN:4044292035)200頁も想起せよ。
*29:現に、それまでモノクロトーンだった映像が、この瞬間からフルカラーへと転じる演出が施されている。放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」にて。
*30:放送話数第13話/構成話数第5話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」、放送話数第14話/構成話数第6話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」にて。
*31:放送話数第14話/構成話数第6話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」より。
*32:「涼宮ハルヒの憂鬱」を「ポニーテールに始まり」「ポニーテールに終わる」物語と看破した論考として、http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2006/07/14_fa86.html
*33:放送話数第14話/構成話数第6話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」にて。
*34:放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」にて。
*35:涼宮ハルヒの髪型レパートリー七種類には、きちんと「非のうちどころのないポニーテール」が含まれている。原作小説シリーズの第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」(ISBN:4044292019) , 放送話数第2話/構成話数第1話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」より。
*36:"「涼宮ハルヒの憂鬱」とは、世界を救うのはポニーテールだったというお話である"と言い切っても構わないくらいである。
*37:なお、"「涼宮ハルヒの憂鬱」主題歌『ハレ晴レユカイ』を1日100回以上リピート演奏すると、初めて競馬場を訪れた少女が胸をときめかせながら、ターフを駆け上がってくるサラブレッドを応援している情景の暗喩にしか聴こえなくなる"という論考については、文字数の都合上割愛することにした。
*38:本論の執筆に際しては「競馬サブカルチャー論」共同担当者ぺ天使氏、へたぱん氏から多くのご教示を頂戴した。"決定力不足極まったFW"状態の小生ですらシュートを決めることができる絶好のパスを供給してくださった"攻撃的MF"両氏の献身に対して、この場を借りて改めて謝辞を申し上げたい。
*39:本論の初出は、2006年6月28日である。今は反省している。
*40:「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台が兵庫県西宮市だということは了知していますが、阪神競馬場そのものは作中において叙述・表現されていなかったため、判断を保留しました。もっとも、原作小説シリーズにおいて、キョンの語彙の中には競馬用語が必要以上に散見していることも確かですので、あるいは競馬場近くの街に住んでいる影響があるのかもしれません。今後の検証課題とさせていただきます。ちなみに、西宮市と競馬場を結び付けるなら、阪神競馬場ではなくて鳴尾競馬場とするのが通のやり方ではないでしょうか。
*41:なるほど。参考になります。万が一、「馬と『涼宮ハルヒの消失』」を書く機会があれば、「阪神競馬場がある街の物語」という視点を組み込めるか検討したいと思います。
*42:「ポニーテール」というのは競馬サブカル論的にはベタな要素でして、使い回しは極力避けたいと考えているのですが、今回ばかりは持ち出さざるを得ませんでした。
*43:南井さんですか。懐かしいですねえ。
*44:執筆者の意図を汲み取っていただき、恐縮です。
*45:執筆者の意図を察していただき、恐縮です。
*46:執筆者の意図を察していただき、恐縮です。