2004年度のJRA顕彰馬として、タケシバオーとテイエムオペラオーを選出

【JRA日本中央競馬会】 2004年度のJRA顕彰馬選出について、記者投票による選考の結果、タケシバオーテイエムオペラオーの2頭が顕彰馬に選出され、殿堂入りすることとなった。

 今年の顕彰馬選出については、JRA50周年ということで、選考方法を若干変更。総投票者数の3/4以上の得票を得た馬が顕彰馬として選出されるのは例年通りだが、今年度の選考のみ、1983年以前に競走馬登録を抹消された馬と、1984年1月1日から2003年3月31日までに競走馬登録を抹消された馬という二つの区分を設定し、各々2頭まで投票可能とした(記者一人が4頭まで投票可能)。

 1983年12月31日以前に競走馬登録を抹消された馬の部門で顕彰馬に選出されたのは、タケシバオーである。記者投票172人中、同馬の獲得票数は141。

 タケシバオーは、1965年生まれ。父チャイナロック、母タカツナミ(母父ヤシママンナ)という血統構成で、1967年6月にデビュー。3200mの天皇賞・春と1200mのスプリンターズSを制するなど、オールラウンドな活躍を見せた。また、旧4歳と旧5歳の秋にはアメリカ遠征を敢行。1969年に斤量60kgを背負って記録した東京ダート1700m、1分41秒9のレコードはその後35年間も破られなかった不滅の日本レコードだった。通算成績は27戦16勝(海外2戦0勝)。

 現役引退後は種牡馬入りし、南関東クラシック三冠馬ハツシバオー日経新春杯(GII)勝ち馬アジシバオー、共同通信杯4歳S(GIII)を勝ち、皐月賞(GI)、日本ダービー(GI)でともにトウカイテイオーの3着に入ったイイデセゾンなどを輩出。また、母の父としては1989年の皐月賞ドクタースパートを出している。1992年に27歳で死亡。

 1984年1月1日から2003年3月31日の間に競走馬登録を抹消された馬の部門で顕彰馬に選出されたのは、テイエムオペラオーである。記者投票172人中、同馬の獲得票数は151。

 テイエムオペラオーは、1996年生まれ。父オペラハウス、母ワンスウェド(母父Blushing Groom)という血統構成で、1998年8月にデビュー。旧4歳時は皐月賞(G1)を制し、1999年の最優秀4歳牡馬に選出。翌旧5歳時は出走した重賞8レース全てで勝利を収め、2000年の年度代表馬に選ばれた。5歳時は2勝しか挙げられなかったものの、天皇賞・春(GI)を制し、1999年天皇賞・春、秋とあわせ、天皇賞3連覇の偉業を達成した。通算GI7勝、重賞12勝はオグリキャップと並んで歴代最多。獲得賞金1,835,189,000円は歴代最高。通算成績は26戦14勝。

 現役引退後は種牡馬入りし、初年度産駒は現在1歳。昨年の顕彰馬選出では、最多票を獲得したものの、投票者数の4分の3には届かず惜しくも選出されていなかった。

 なお、JRA顕彰馬の選出は、1999年のタイキシャトル以来5年ぶり。選考方法を従来の顕彰馬選考委員会による選出から記者投票のみによる選出に変更してから後、初めての顕彰馬選出となった。ちなみに、記者投票による選出については、一部組織票の存在が半ば公然と語られたり、選考対象馬が多数重複した場合に票が分散して共倒れになるなど弊害が数多く見受けられ、総投票者数の3/4以上の得票を要求する選出基準が厳格過ぎるのではないかという指摘をはじめ、選考方法の改善が求められていた。

http://www.jra.go.jp/datafile/dendo/index.html

 ところで、JRA顕彰馬には従来、「(1)競走成績が特に優秀であると認められる馬―GI競走に格付けされた重賞競走において3勝以上の成績、(2)競走成績が優秀であって、種牡馬または繁殖牝馬として、その産駒の競走成績が特に優秀であると認められる馬―(1)に準ずる成績を収めた馬であって、GI競走において優勝した産駒が種牡馬にあっては5頭以上、繁殖牝馬にあっては2頭以上、(3)その他、中央競馬の発展に特に貢献があったと認められる馬―国際的に活躍し、中央競馬の評価を高めたもの、または記録性、話題性、大衆性等において中央競馬の発展に特に貢献」という選考基準があったはずなのだが、最新のJRA公式ホームページの記載では単に「報道関係者による選考投票を行い、3/4以上の得票を得れば選出されます」という説明しかない。これは選考は完全に多数決に委ねられているという趣旨なのだろうか。とすれば、来年以降も票の分散傾向は続く可能性が大きいといわざるを得なくなりそうだ。

http://www.jra.go.jp/datafile/dendo/selection.pdf