岡部幸雄騎手が現役引退を正式発表―「自分自身に悔いがない騎手生活だったと言い聞かせている」(追記あり)

 競馬書籍出版で知られる流星社編集部「そのまま!」日記によると、岡部幸雄騎手(56歳・美浦・フリー)が明日にも現役引退を発表するという観測がある模様だ。スポーツ新聞等からの報道は確認されておらず、その真偽が注目されている(3月9日16時現在)。

 [追記]各新聞が報じ始めているが、夕刊フジの記事が最も詳しく(3月9日19時現在)、サンケイスポーツが岡部騎手の独占手記を掲載した。また、スポーツニッポンの詳報(1)・スポーツニッポンの詳報(2)が最も字数を割いている。なお、日刊スポーツが馬事公苑同期の柴田政人調教師のコメントを掲載(3月10日09時現在)。ラジオNIKKEIが3月10日16時30分から開かれた岡部騎手引退記者会見での応答を掲載したほか((高橋直子改め)谷川直子の日記による岡部幸雄騎手引退記者会見レポートも詳しい)、JRA公式ニュースリリース並びにJRA公式「ありがとう岡部幸雄」騎手引退記念特別サイトが開設された(3月10日19時現在)。※引退届は3月10日付でJRAに受理された。サンケイスポーツの特集記事(3月11日付)

 確かに、今年に入ってから95戦3勝二着8回三着12回と、勝率・連対率ともに通例の半分程度の水準に落ち込んでいたものの、これは「寒さが身体に堪えたため」と見られており、現に2月20日・1回東京8日目12R甲斐駒特別(1000万円下)ウインドヴェイン(牡5歳)[11着]の騎乗を最後に、再びオーバーホールのため1ヶ月程度の予定で休養に入っていた。しかし、直前まで3歳新馬戦での騎乗も引き受けていたことを考えると、引退観測はやや急な印象も否めない。

 岡部幸雄騎手は、1967年3月4日初騎乗以来、JRA通算18646戦2943勝二着2446回三着2197回(2005年2月21日現在)。JRA重賞通算165勝(うちGI通算31勝、さらにGI級を5勝)。

 この間、1986年以降だけを見ても、1990年〜1998年の9年連続を含めてJRA年間100勝以上を13回達成。2003年1月〜2004年1月の13ヶ月間、首や膝のリハビリのため長期休養したものの、再び2004年1月25日からレース騎乗を再開。昨年も571戦60勝二着60回三着46回とほぼ例年並みの騎乗をこなしていた。

 主な勝ち鞍は、2002年天皇賞・秋(GI)[シンボリクリスエス]、2000年フェブラリーS(GI)[ウイングアロー]、2000年NHKマイルC(GI)[イーグルカフェ]、1998年マイルチャンピオンシップ(GI)[タイキシャトル]、1998年ジャックルマロワ賞(仏GI)[タイキシャトル]、1998年安田記念(GI)[タイキシャトル]、1998年フェブラリーS(GI)[グルメフロンティア]、1997年スプリンターズS(GI)[タイキシャトル]、1997年安田記念(GI)[タイキブリザード]、1997年高松宮杯(GI)[シンコウキング]、1997年フェブラリーS(GI)[シンコウウインディ]、1996年マイルチャンピオンシップ(GI)[ジェニュイン]、1995年朝日杯3歳S(GI)[バブルガムフェロー]、1995年皐月賞(GI)[ジェニュイン]、1994年宝塚記念(GI)[ビワハヤヒデ]、1994年天皇賞・春(GI)[ビワハヤヒデ]、1993年マイルチャンピオンシップ(GI)[シンコウラブリイ]、1993年菊花賞(GI)[ビワハヤヒデ]、1992年ジャパンC(国際GI)[トウカイテイオー]、1991年菊花賞(GI)[レオダーバン]、1990年天皇賞・秋(GI)[ヤエノムテキ]、1989年安田記念(GI)[バンブーメモリー]、1988年有馬記念(GI)[オグリキャップ]、1986年天皇賞・春(GI)[クシロキング]、1986年皐月賞(GI)[ダイナコスモス]、1985年有馬記念(GI)[シンボリルドルフ]、1985年ジャパンC(GI)[シンボリルドルフ]、1985年天皇賞・春(GI)[シンボリルドルフ]、1984有馬記念(GI)[シンボリルドルフ]、1984菊花賞(GI)[シンボリルドルフ]、1984日本ダービー(GI)[シンボリルドルフ]、1984皐月賞(GI)[シンボリルドルフ]、1983年オークス[ダイナカール]、1980年オークス[ケイキロク]、1979年エリザベス女王杯[ミスカブラヤ]、1978年天皇賞・春[グリーングラス]、1971年オークス[カネヒムロ]。