1982年のジャパンカップに来日(2着)した名牝オールアロングが死亡

 1982年の第2回ジャパンカップに来日して2着と好走し、後に欧州と北米でそれぞれチャンピオンとなったフランスの歴史的名牝オールアロングが、現地時間2月23日に死亡したことが繋養先のThree Chimneys Farmから発表された。享年26歳。

 1983年にフランスの古馬チャンピオンと米国の年度代表馬に輝いたオールアロングは、2年前からThree Chimneys Farmで年金生活を送っていた。

 オールアロングは、1983年の秋、フランスの凱旋門賞(仏GI)、カナダ・Woodbine競馬場のロスマンズ国際(加GI)、米国・Aqueduct競馬場のターフクラシック(米GI)、Laurel競馬場のワシントンDC国際(米GI)と、僅か41日間の間に2大陸にまたがる3カ国で4つのGIを制するという空前絶後の快挙を達成。この年、エクリプス賞年度代表馬の栄冠に輝き、外国調教馬としてまた牝馬として初のエクリプス賞年度代表馬の受賞馬となった。また、ダートのレースに出走しないでエクリプス賞年度代表馬に輝いたのもオールアロングが史上初めてだった。

 オールアロングのオーナーであった故Daniel Wildenstein氏のご子息のAlec Wildenstein氏は、「彼女は、私達が夢にも見なかったアメリカの年度代表馬という素晴らしい偉業を達成し、私達、すなわち私の父、兄、そして私自身に、他に比べようのない喜びを与えてくれました。彼女を失ったことはとても悲しいことですが、彼女が私達に与えてくれたもののお返しとして、彼女に長生きしてもらい、健康的な余生を送ってもらえることができたのは喜ばしいことだと思います。」とコメントしている。

 Three Chimneys FarmのDan Rosenberg社長は、「オールアロングは、高齢による衰弱が著しくなったために安楽死の処置がとられました。(安楽死の処置をとったとき「なぜ安楽死の措置をとったのか」と)いつも同じ事を聞かれますが、Wildensteinファミリーは先月、彼女の健康状態を改善するために数千ドルもする薬を投与することを認めてくれたのです。そして、我々には手の施しようがないということがはっきりしたとき、彼らはあえて安楽死という困難な決定を下したのです。」とコメントしている。

 オールアロングは、フランスの大馬主である故Daniel Wildenstein氏の自家生産馬で、父がターゴワイス、母がAgujita(母父Vieux Manoir)という血統構成。現役時代はPatrick Biancone調教師が管理した。

 3歳時は、ヴェルメイユ賞(仏GI)でGI初制覇を達成し、凱旋門賞15着を挟んでジャパンカップに来日。ハーフアイストの2着と健闘した。本格化した4歳時は上述のようにGI4連勝を達成。5歳時は結局未勝利に終わったものの、引退レースとなった第1回BCターフ(米GI)でLashkariの2着と健闘している。獲得賞金は$3,018,420で、これは当時の牝馬歴代最多獲得賞金。その後、1990年に殿堂入りを果たしている。繁殖牝馬としては、グレフュール賞(仏GII)を制し、グランクリテリウム(仏GI)で2着となったアロングオールが代表産駒となる。【The Blood-Horse】