日本経済新聞、コラム「検証・競馬法改正(1) 迷走2年の果てに」を掲載

 【日本経済新聞】 野元賢一・運動部記者による執筆。3月5日に閣議決定された競馬法改正案がまとまるまでの内幕を赤裸々に暴露している。野元氏の「極めて不十分な『敗戦処理』の枠組みをつくったというのが実態」という言い回しに注目だ。

 「1991年以来、13年ぶりの競馬法改正案が3月5日、閣議決定された。政府提出法案として開会中の通常国会に上程され、参議院先議で審議入り。今国会で順調に成立した場合、関係政省令の改定を経て2005年1月1日の施行というスケジュールとなる。」「一連の過程を見ると、「改革」のかけ声も決して大きくなく、当然、骨太の論議を伴ったものでもなかった。地方競馬の惨状で、文字通り尻に火のついた農水省が、極めて不十分な「敗戦処理」の枠組みをつくったというのが実態である。 」

 「迷走が始まったのは2001年。農水省が生産局長の私的懇談会「地方競馬のあり方に係る研究会」を設置した時点にさかのぼる。研究会は同年8月から12月にかけて、4カ月弱の短期間に6度の会合を持ち、「中間報告」を提出した。筆者もこの研究会の末席を汚していて、中間報告に対しては一定の責任を負う立場にあるが、結論から言えば、報告はその後の経緯の中で宙に浮いてしまった。」

 「中央・地方間の相互委託、業務の民間委託、交付金の軽減と言ったテーマは、速やかに法案化されるべきものだった。ところが、ここから2年に及ぶ迷走が始まった。引き金はBSE問題の深刻化で、拍車をかけたのは当時の武部勤農相その人だった。BSE問題を所管する農水省生産局は、競馬の担当部署。対策に忙殺され、競馬法改正どころではなくなったのだ。 」

 「ここまでが迷走第一幕なら、第二幕の主役は武部氏である。国産牛の買い取りを初めとする農水省のBSE対策は、余りに業界寄りで世論の強い反発を買い、武部氏のイメージも失墜した。失地回復を狙ってか、2002年に入ると武部氏は突如、「競馬改革」を声高に叫び始めた。実は当時、JRAの高橋政行理事長が特殊法人一律の役員報酬引き下げに抵抗し、武部氏の怒りを買うという事件もあった。息巻く武部氏は自ら、JRA「改革」に向けた有識者懇談会の人選に乗り出し、当初は武部氏に近い芸能関係者の名前さえも取りざたされた。だが、ことごとく委員就任を固辞され、すったもんだの末に決まったのが、今回の「有識者懇談会」の8委員だった。 」

 「懇談会は2002年11月から1年3カ月の間に、9回の会合と2度の秘密会を行った。第7回以降は、議事録の公開されていないため、議論の詳細は不明だが、「研究会」と比べても、動きは余りにスローモーだった。各委員が多忙で欠席も非常に多かったことに加え、競馬事業のイロハさえ知らない委員に、アウトラインを伝えるだけで途方もない労力を要したからである。懇談会と並行して、国会で自民、民主両党が競馬に関する議員連盟を立ち上げ、生産界救済に動き出すと、農水省は二正面作戦を強いられた。結局、懇談会報告が農水相に提出されるより前に、自民党の農業関係部会への改正法案の説明が始まるという“逆転現象”も起きた。 」

 野元氏をはじめ、幾人かによって指摘されるように、今後の競馬界の在り方を決めるための改正案だというのならば、「財政競馬」に代わる新たな競馬像を打ち出すための議論というのは必要不可欠と思われる。しかし、そうした議論の跡は残念ながら今回の改正案からは見い出せないようだ。これで根本的な解決が図られるかとなると―単なる問題の先送りといわれても仕方がないかもしれない。先送りでできた余力を振り絞って、今後さらに根本的な議論がなされることを、ささやかながら期待したい。