おつかれさま〜2002年供用停止種牡馬外伝その48「ミホシンザンの場合」

ミホシンザンat谷川牧場(2003/08/10) JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MilkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 ミホシンザン(JPN)→2002年8月3日、用途変更(浦河町・谷川牧場にて功労馬)

 脚部不安と、重馬場との戦いに明け暮れた、五冠馬シンザン晩年の最高傑作。

 1982年生。父は、五冠馬にして「シンザンを越えろ」の合言葉を生み、日本競馬史に凛然と輝く足跡を残した偉大な名馬シンザン。「鉈の切れ味」と謂われた瞬発力を産駒にも伝え、ミホシンザンのほか、菊花賞ミナガワマンナや、京都記念を2勝したグレートタイタン、阪神大賞典鳴尾記念を勝ったキャプテンナムラなどを輩出している。母はナポリジョオー。母の父のムーティエは、Prince Rose→Sicambre系らしい典型的なクラシック血統で、ダービー馬タニノムーティエや、菊花賞ニホンピロムーテーなど、大レースに強い底力を産駒に伝えている。

 デビューから新馬、特別、スプリングS(GII)をいずれも楽勝し、わずかキャリア3戦で臨んだ皐月賞(GI)も4角先頭から2着のスクラムダイナに5馬身差をつけて圧勝。ミスターシービーシンボリルドルフに続く3年連続、父シンザンに続く父子でのクラシック三冠達成が期待されたものの、左前脚の骨折でダービー出走を断念。秋緒戦のセントライト記念(GII)こそ休み明けと苦手の不良馬場で5着に沈んだが、京都新聞杯(GII)を勝って臨んだ菊花賞(GI)本番では日本ダービー(GI)2着のスダホーク以下に快勝して二冠達成。暮れの有馬記念(GI)では、実況の「世界のルドルフ、日本のミホシンザンを交わす」のフレーズ通り、レコード勝ちのシンボリルドルフには歯が立たず4馬身差の2着に終わった。

 明けて旧5歳時は、初戦の日経賞(GII)でまたしても重馬場に泣いて6着。しかも、左前脚を再度骨折して休養。復帰した秋も、毎日王冠(GII)、天皇賞・秋(GI)では快速サクラユタカオーのスピードに歯が立たず、ジャパンC(GI)ではジュピターアイランドアレミロードの壮絶な叩き合いを後ろから見送り、有馬記念(GI)では1歳年下のダービー馬ダイナガリバーに完敗と、4戦全て3着に終わってしまう。

 それでも、旧6歳緒戦のAJCC(GII)で押し出されての先頭からあっさり逃げ切って、菊花賞以来の勝利を収めると、続く日経賞(GII)では一捲りでレジェンドテイオー以下に5馬身差の圧勝、かつダイナガリバーを3着に沈めて完全復活。天皇賞・春(GI)では、4角で手応えが怪しくなったが、直線内を突いて一杯に凌いでハナ差優勝した(ハナ差の2位入線ニシノライデンは、直線の進路妨害で失格)。しかし、このレースでの激走の反動のため、結局、疲労が取れないまま現役を引退した。

 引退後は種牡馬となり、父シンザンの後継として大いに期待された。実際、初年度からバイオレットS(OP)を勝ったシロキタシンザンオークストライアル(GII)3着のオンワードモニカを出して上々のスタートを切ると、2年目産駒からは代表産駒マイシンザンを輩出。しかし、父同様に脚部不安に苦しむ産駒が多く、マイシンザンNHK杯(GII)を制して日本ダービー(GI)でも5着と健闘したものの、その後は脚部不安で長期休養。その後、復活して朝日チャレンジC(GIII)をレコード勝ちしたものの、天皇賞・秋(GI)のレース直前に再び脚部不安を発症して勝機を棒に振ってしまった。今後はそのマイシンザンに、シンザンの父系継承へ最後の希望が残されることになるのだが、その前途は残念ながら明るいとは言いがたいようだ。(文責:ま)