おつかれさま〜2002年供用停止種牡馬外伝その37「ハギノカムイオーの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 ハギノカムイオー(JPN)→2002年8月、用途変更(三石町・本桐牧場にて功労馬)

 ケレン味のない逃げで一世を風靡した、「華麗なる一族」の貴公子。

 1979年生。父テスコボーイは、トウショウボーイキタノカチドキホクトボーイサクラユタカオーなど多数の名馬を輩出。4度のリーディングサイヤーに輝き、生産牧場から「お助けボーイ」と絶大な支持を受けた名種牡馬である。

 母イットーは、巷間「華麗なる一族」と呼ばれるマイリーを祖とする牝系の血を引く名血。現役時代は高松宮杯スワンSなどを制し、繁殖入り後はハギノカムイオーの他、桜花賞ハギノトップレディらを輩出した歴史的名牝である。

 こうした血統背景を受け、旧2歳のセリ市場で、当時としては破格の1億8500万円で落札。この「1億8500万」という価格は生涯ついて回ることとなった。

 旧3歳1月の京都でデビューし、新馬・特別を楽に逃げ切って2連勝。皐月賞出走を賭けて臨んだスプリングSは、ここまで7戦6勝の弥生賞勝ち馬サルノキングきさらぎ賞勝ち馬のワカテンザンとともに単枠指定され、1番人気こそサルノキングに譲ったものの、レースでは悠々と逃げ切り3連勝。ちなみに、このレースではそのサルノキングがそれまでの先行策から一転、後方待機→向正面からの大捲りを打ち、その大胆すぎるレース振りや、サルノキングがレース前にハギノカムイオーの馬主に権利を一部譲渡されていたことが物議を醸した(実際には、今後を考えての待機策→極端なスローで、気性的に一気に捲るしかなかったと言われている)レースでもあった。

 こうして断然人気で迎えた皐月賞であったが、レースでは好発を切ったものの、大外から競りかけてきた加賀武見騎手のゲイルスポートにハナを奪われてしまう。結果、三角で一杯になったゲイルスポートを交わして先頭に立ったものの、直線はあえなく失速。まさかの16着に惨敗。続くNHK杯でも同様にゲイルスポートに執拗に絡まれた挙げ句、12着。日本ダービー出走を断念することになってしまう。

 秋になり、神戸新聞杯京都新聞杯を連勝し、いよいよ復活と見込まれ菊花賞に挑んだが、ここも1番人気に支持されながら暴走気味の逃げを打って15着に失速。勝ったホリスキーレコードタイムだった。

 明けて旧5歳の春は、スワンSを快勝して臨んだ宝塚記念をレコード勝ちする。返す刀で高松宮杯をも制し、中距離のスピード王として頂点を極めた。しかし、秋は平場オープン、ジャパンC、有馬記を立て続けに大敗を喫し、現役を引退した。

 種牡馬としては、京王杯オータムハンデ(GIII)2着のハギノスイセイや、ラジオたんぱ賞(GIII)2着のカムイフジらを輩出したものの、自身同様産駒も一本調子なスピード馬が多く、大レースを勝てるほどの馬を出すには至らなかった。

 現役時代、種牡馬時代とも、スピードタイプが活躍する土壌が形成される前を過ごさなければならなかったことは惜しまれるが、そんな時代でも自身の持てるスピードだけで一杯に走り続けたレース振りは称賛に値するだろう。