さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その33「チアフルマスターの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 チアフルマスター(USA)→2002年6月1日、用途変更

 1993年生。父Dixieland Bandは、20Fで行われる英国伝統の長距離戦アスコットゴールドC(英G1)を2勝し、ジャパンC(G1)にも来日したドラムタップスや、仏オークス(仏G1)を勝ち、凱旋門賞(仏G1)でも2着と健闘した名牝Egyptbandを輩出した。母はSlew o'Gold産駒のIsland Escapeで、近親にビワハヤヒデの父として知られるシャルードがいるという、なかなかの良血マル外。

 旧3歳暮れの中山開催でデビューし、ダ1200mを10馬身差の大差で逃げ切る。しかし、その後は骨折で長期休養。それでも、脚にボルトを入れて22ヶ月ぶりの復帰戦となった500万下の平場戦で、これまた楽に逃げ切って潜在スピードの高さを見せつける。

 再び脚部不安で休養したものの、7ヶ月ぶりとなった500万下の平場戦も5馬身差で逃げ切り、これで無傷の3連勝を達成。昇級後の900万下では2戦足踏みしたものの、デビュー戦以来となった暮れの中山競馬場で平場、特別を連勝。準OPも2戦で突破し、ついにオープン入りを果たす。

 しかし、さすがにオープンともなると持ち前のスピードだけでは押し切ることができずに苦戦が続き、ギャラクシーS(OP)でエイシンサンルイスの2着に入って大穴を担いだのが、オープン戦での唯一の入着となった。

 その後、旧8歳の春に岩手県競馬に転厩。重賞の栗駒賞で2着に入るなど、岩手の短距離の看板馬として活躍した後、現役を引退した。

 2002年に種牡馬入りを果たしたものの、その年のうちに用途変更に至った。さすがに、これでは種牡馬としてどうこうということは、できなくても仕方ないのではないだろうか。