さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その19「サンデーサイレンスの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 サンデーサイレンス[Sunday Silence(USA)]→2002年8月19日、死亡

 1990年代後半以降の日本の競馬「支配」し続けている大種牡馬

 1986年生。父はRoberto、Stop the Musicと並ぶHail to Reason系の三本柱であるHalo。母はゲイムリーH(米G2)、ウィルシャーH(米G3)など12勝のWishing Well。母の父はTeddy系の傍流、Understanding。

 現役時代は3歳三冠レースでライバルのEasy Goerと死闘を演じ、二冠は達成したもののベルモントSではEasy Goerの意地の前に8馬身差の完敗。この年はBCクラシック(米G1)も制して年度代表馬となる。
 4歳時は緒戦のカリフォルニアンS(米G1)に勝ったものの、続くハリウッド・ゴールドC(米G1)でクリミナルタイプに競り負け、結局脚部不安でそのまま引退した。

 日本で種牡馬入りし、初年度産駒からフジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシダンスパートナーらを輩出してクラシック路線を席捲。1995年から8年連続リーディングサイヤーなど、日本の競馬を塗りつぶす勢いで数々の記録を達成している。

 サンデーサイレンス種牡馬としてこれほどまでに活躍した背景としては、自身の種牡馬としての能力のほか、JRAのレースにおける「スローペース→高速上がり症候群」の蔓延で、サンデーサイレンス産駒の最大の強みである瞬発力が生きるレースが多くなったこと、社台グループの勢力増大と日高地方の牧場の勢力低下により、良質の牝馬が集中的にサンデーサイレンスに種付けされるようになったこと、獣医学の進歩により年間の種付け頭数の限度が増加し、国内の総種付け頭数に占める割合を大きく増やすことができたことなどがあるといえるだろう。

 巷で指摘されるように、「サンデーサイレンスが日本の馬を世界レベルに引き上げた」という評価は、海外遠征で活躍する馬の多くが外国産馬であることを考慮すると、直接的にそういえるかどうかは微妙なところ(少なくとも日本の調教技術が世界水準に達しつつあるのは疑いがないといえる)だが、日本の競馬シーンを大きく塗り替える種牡馬だったことは間違いない。後継種牡馬も含めた種付け頭数の「寡占」状態を生み出したこと、日本の競馬を「勝者総取り」の図式へと変えつつあること、競走馬の生産市場において「サンデーサイレンスにあらんずんば競走馬にあらず」とでもいうような風潮を生み出し、父サンデーサイレンス産駒が異常なほどの高値で取引される一方で、その他の馬が極端な低価格になるかあるいは全く売れないという評価額の「二極分化」を生み出したことも含め、日本の競馬界に「革命」をもたらした大種牡馬という評価をすべきだろう。

 これからは、遺された産駒が走っている間に、後継の種牡馬たちがサンデーサイレンスを越えることができるかどうかが見どころとなる。サンデーサイレンスの直仔がほとんどいなくなってからリーディングになるようでは、サンデーサイレンスを超えたことにならず、「禅譲」というか、種牡馬の能力的には「後退」したことになってしまう。ここ数年の間に、サンデーサイレンスの後継種牡馬への遺伝力が試されることになる。