さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その16「ゴールデンフェザントの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 ゴールデンフェザント[Golden Pheasant(USA)]→2002年12月2日、中国へ輸出

 1986年生。父はCozzeneクリスタルパレス等を輩出し、Grey Sovereign系の芦毛の血脈を世界に広めた名種牡馬Caro。母はPerfect Pigeonで、母父Round Tableは通算66戦43勝の名馬である。

 フランスでデビュー。3歳時はサンクルー大賞(仏GI)を2着し、凱旋門賞の前哨戦であるニエユ賞(仏GII)でフレンチグローリーナシュワンを下して重賞初制覇を飾る。

 4歳時にアメリカに渡り、アーリントミンリオン(米GI)では中団から持ち前の末脚で一気の差し切りで優勝。その後しばらく不振に陥っていたが、5歳の秋に上位選出馬の辞退もあってジャパンC(GI)に出走。この年は前走の天皇賞・秋で悪夢の降着となったメジロマックイーンの雪辱戦ムード一色で、ゴールデンフェザントはあくまで伏兵の一頭に過ぎなかった。

 しかし、レースではジョージモナークが逃げるスローペースの中、中団付近から3〜4角の欅の付近で一気に仕掛けると、直線を向いて抜け出そうとするメジロマックイーンを一瞬で抜き去る。追いすがるフランス代表馬マジックナイトをも振り切って同馬はそのまま先頭でゴールイン。一方、メジロマックイーンは豪州のシャフツベリーアヴェニューにも後れを取る4着と敗れ、当時の日本の競馬ファンが世界レベルの馬の爆発力を思い知らされる結果となった。

 このジャパンCでのレース振りが買われたのか、社台ファーム吉田善哉氏にトレードされ、6歳時も現役を続行。GIIのイングルウッドHを勝ったものの、2勝目を狙ったアーリントンミリオンではDear Doctorの3着と敗れた。

 現役引退後は日本で種牡馬入りし、初年度から青葉賞(GIII)勝ち馬のトキオエクセレントを輩出し、前途を大いに期待されたが、そのトキオエクセレントも含め、気性に問題のあり過ぎる産駒が多く、けっきょく一流馬は出せないまま昨年シンジケートが解散した。

 今春からは中国で供用されることになったが、気性はともかく素質は秘めているはずなので、新天地で大成してくれることを祈りたい。