さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その07「エルコンドルパサーの場合」

エルコンドルパサー(USA)→2002年7月16日、死亡

 フランスへの長期遠征を敢行し、欧州古馬中長距離戦線において、日本調教馬として初めてトップクラスと互角に戦った記念碑的名馬である。

 父は今世紀最高の名牝の1頭であるMiesqueの仔で自身も仏2000ギニームーラン・ド・ロンシャン賞を勝ったKingmamboで、母はSadler's Wells産駒のSaddlers Gal。Nothern Dancerの3×4、Special(Nureyevの母)の4×4、Thong(Specialの母で子孫に種牡馬を多数輩出している名牝)の4×5×5という近親配合はオーナーブリーダーである渡邉隆氏の狙いすました配合であったことは有名。

 大きく出遅れながら7馬身差の圧勝という衝撃的なデビューを果たすと、NHKマイルC(GI)まで圧倒的な強さを見せつけて5連勝。秋緒戦の毎日王冠(GII)ではサイレンススズカグラスワンダーとの三強揃い踏みでGIIでありながらも競馬場がGI当日を上回るような異常な熱気に包まれるなか、サイレンススズカの逃げを追いかけることなく独走を許して初黒星の2着。しかし、続くジャパンC(国際GI)ではエアグルーヴスペシャルウイークを斬って捨てて快勝。この勝利で最優秀4歳牡馬を獲得した。

 5歳時はフランスに滞在し、緒戦のイスパーン賞(仏GI)こそクロコルージュの強襲に屈したものの、続くサンクルー大賞典(仏GI)でついに欧州G1制覇を果たした。

 凱旋門賞の前哨戦・フォワ賞(仏GII)を制すると、勇躍凱旋門賞(仏GI)に出走。ハナに立つ意外な展開ながらゴール前まで良く粘ったものの、モンジューの決め手とキネーン騎手の渾身の騎乗にしてやられ、大魚を逸した。

 若くしての死亡は非常に残念だが、急逝した種牡馬が大成功するのはままあることだけに、何とか産駒の活躍を期待したいところである。