牡牝六冠独占・・・サンデーは100年に一度の大種牡馬だった!

 牝馬三冠のスティルインラブに続き、牡馬のネオユニヴァースによる同時三冠達成なるかが注目された菊花賞は、ダービー3着の伏兵ザッツザプレンティの雪辱によって幕を閉じた。菊花賞ダンスインザダーク産駒であるザッツザプレンティの手に落ちたことで、史上初めてとなるサンデーサイレンス産駒による「牡牝六冠独占」の夢も潰えた形である。しかし、この日の結果もサンデーサイレンス種牡馬としての凄みを際立たせ、その血の偉大さを証明するものであることは、論を待たない。(夕刊ミルキー編集委員・シエ尻馬文)

 ネオユニヴァースが負けた。第4コーナー過ぎから始まったネオユニヴァースザッツザプレンティの叩き合いだったが、残り100mほどでネオユニヴァースが力尽きて脱落すると、三冠達成を信じていたスタンドからは、無念の悲鳴があがった。

 後方から強襲してきたリンカーンも抑え切り、菊花賞の栄冠に輝いたのは、前年のラジオたんぱ杯2歳Sを勝ったザッツザプレンティ。ダービーでは3着だったこの馬の巻き返しにより、ネオユニヴァースの三冠、そしてサンデーサイレンス産駒による牡牝六冠独占の夢も幻に終わった。

 だが、馬産地関係者の間では、

「この日の結果は、サンデーの偉大さだけを際立たせた」

という声がもっぱらである。それもそのはず、サンデーサイレンス産駒の快挙達成を阻んだザッツザプレンティの父はダンスインザダークだが、この馬はサンデーサイレンスの代表産駒の1頭。サンデーの子を倒したのはサンデーの孫。そんな構図を見れば、関係者ならずとも

「さすがはサンデーだ。他の種馬とは格が違いすぎる」

と驚嘆するのは当然だろう。

 思えば、ダンスインザダーク菊花賞を制したのは、1996年のこと。闇を切り裂く閃光の末脚で混戦を制した父との菊花賞二代制覇となれば、話題性も十分。「競走馬の人気には、血統のドラマ性が大きな要素を占める。ザッツザプレンティの戴冠は、馬券売上アップをねらうJRAにとっても理想的。今後のネオユニヴァースとのライバルストーリーは、競馬人気の回復にも役立つだろう」とJRA関係者はソロバンをはじくが、子のみならずついに孫からもG1馬を出したサンデーの血統への信頼も相まって、この馬の人気が大ブレイクするのは時間の問題だ。

 歴史を振り返っても、日本の名種牡馬として名を成した馬の多くは、孫の代になると先細りとなり、やがて衰退している。セフト、ヒンドスタン、テスコボーイといった歴代トップサイヤーたちもその例に漏れず、11年連続リーディングサイヤーという記録を残したノーザンテーストですら、直系の孫以降の代での牡馬のG1馬は、メジロライアンメジロブライトのラインが細々と残るだけにすぎない。その意味で、早くも牡馬のG1馬を出したサンデーサイレンス系の未来は、ますます洋々たるものになったといえるだろう。

 悲願の短距離G1をデュランダルが制覇したことで、サンデーサイレンス産駒は1200mから3200m、つまり日本に現存するG1距離のすべてを制している格好になる。サンデーサイレンスが、日本では空前絶後の存在であることは明らかだが、視野を世界に広げても、これほどの大種牡馬は見出すことができない。サンデーに比肩しうる種牡馬を強いて挙げるとしたら、20世紀ではもはやノーザンダンサーしかいないのではないだろうか。

 ノーザンダンサーは、ニジンスキーダンチヒサドラーズウェルズストームキャットといった多くの後継種牡馬を通じて世界中にその血を広げ、「100年に1頭の大種牡馬」といわれるようになった。空前絶後のスーパーサイヤー・サンデーサイレンスの次なる課題は、世界中でザッツザプレンティのような名馬を送り出すことで、「21世紀のノーザンダンサー」として世界の競馬に君臨することだけなのだ。

 この連載はフィクションであり、夕刊●ジ編集委員・シエ尻●文氏に捧げます。

さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その41「ブロッコの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MilkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 ブロッコ[Brocco(USA)]→2002年8月12日、新国へ輸出

 1991年生。父はBCターフ(米GI)勝ち馬Prizedらを輩出して成功したKris S。2002年の種牡馬引退後もJRA年度代表馬シンボリクリスエス英ダービー(英GI)馬Kris Kinなど産駒の活躍が目立っている。母は傍流のFair Trial→Court Martial系Aureliusを父に持つAnytime Ms。

 現役時代、2歳時はBCジュヴェナイル(米GI)で2着のBlumin Affairに5馬身差をつける圧勝。この勝利で米国2歳チャンピオンとなる。

 明けて3歳時はサンフェリペS(米GII)2着、サンタアニタダービー(米GI)優勝と、西海岸のクラシック路線を順調にクリア。ケンタッキーダービー(米GI)では2番人気に推されたものの、痛恨の出負けで流れに乗れず、追い上げたものの4着に終わった。

 現役引退後は米国で種牡馬入り。1999年のバレッツマーチトレーニングセールで産駒(母Roll Over Baby、母父Rollin On Over)がレコード価格の200万米ドルで落札されるなど高い評価を受けていたものの、これといった活躍馬が出ずにいた。

 1999年に豪州に輸出され、2000年に日本に輸入。

 ところが、その後、米国でCCAオークス(米GI)、アラバマS(米GI)を勝ったJostle、豪州でVRCニューマーケットH(豪GI)、MVRCオーストラリアS(豪GI)を勝ったMiss Pennymoneyと、活躍馬を立て続けに輩出している。

 日本での産駒は今年の2歳馬からデビューする。これまでのところ目立つ産駒は出ていないが、今勢いに乗っている血統であるだけに、今後大物の出現を期待したいところである。