公営笠松競馬に即時廃止論が急浮上−11月をめどに検討委答申へ
今年9月3日に公募愛称を「名馬、名手の里 ドリームスタジアム」に決めたばかりの笠松競馬場を運営する岐阜県競馬組合について、存廃問題が急浮上している。
公営笠松競馬の支援策を検討するため、岐阜県が民間人らを構成員として今年6月に発足させた「笠松競馬経営問題検討委員会」内に設けられた小委員会は、現地調査や過去の振興策の実施状況を検討した結果、「既に抜本的経営改善策が行われており、新たな効果は期待できない。自立経営は困難で速やかに廃止すべき」とする中間報告を9月13日までに取りまとめた。
名古屋テレビの報道によると、笠松競馬経営問題検討会は小委員会の中間報告を受けて、今年11月にも答申をまとめる方向で調整中だという。【名古屋テレビ】【中日新聞】
「笠松競馬経営問題検討委員会」は、大学や経済界の有識者、県議らで構成し、競馬振興や経営改革などについて協議するとされている。初会合は6月16日に開かれ、経営振興策として笠松競馬場でのGI競走開催や名古屋・中京・園田・姫路競馬場と提携して東海・近畿ブロック化構想について検討していた。
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オグリキャップや安藤勝己騎手といった、全国的なスターも輩出してきた笠松競馬の売り上げは、1991年度の約400億円をピークに減り始め、1993年度からは単年度赤字の状態が続いている。2003年度の売り上げは約173億円で約4億6500万円の赤字。基金は2003年度終了時点で約6億円残っているものの、このままでは底を尽くのも確かに時間の問題となっている。
このため、対策を迫られた岐阜県は、今年4月に地方競馬対策室を設置したのに続いて、第三者機関である同委員会設置を決めた。その一方で、中央競馬と地方競馬に分かれている競馬事業の一元化を含めた地方競馬の支援策を2005年度の国の施策に盛り込むように、農林水産省など関係省庁に要望していたが、農林水産省から前向きな返答はなかった模様。
笠松競馬の歴史は1935年まで遡る。1970年に岐阜県と笠松町・岐南町が県地方競馬組合を設立して運営してきた。組合は、1984年に、全国の公営ギャンブルで初となる電話投票制度を導入するなど売り上げ増を目指した積極的な事業を展開。1993年からは名古屋競馬場と相互に馬券を場外発売する制度を開始。1998年には笠松競馬専用の場外馬券発売所「シアター恵那」をオープンするなど売り上げ増に努めたが、単年度赤字の解消には現在のところ至っていない。【MilkyHorse.com】