アンカツを失った笠松競馬場の窮状という話題

 【毎日新聞岐阜版】 昨年、JRAに移籍した安藤勝己騎手の地元、笠松競馬場が、安藤勝己騎手を失った痛手で不振に喘いでいるという話題が毎日新聞で特集されている。

 安藤勝己騎手は、1976年に笠松競馬場でデビュー。年間最多勝利を19回獲得するなどの活躍をした。その一方、1995年にJRA地方競馬の交流が本格化すると、積極的にJRAに参戦。当初はJRAの免許がないことから、地元の馬がJRAの指定交流競走に出走する日だけのスポット参戦にとどまっていたが、昨年3月、JRAの騎手試験に合格し、晴れて免許を取得。昨年は、GI2勝を含む112勝を挙げ、全国リーディング3位の成績を挙げた。

 しかし、その一方、看板騎手を失った笠松競馬の経営は全くの不振。2003年度の売り上げは前年比約2割減の約173億円。1993年度から赤字が続く中、最大級の落ち込みとなった。安藤勝己騎手のJRAへの移籍の影響も少なからずあるようだ。

 安藤勝己騎手は、すでに昨年の6月に、NAR地方競馬全国協会の騎手免許を返上しており、交流競走以外に笠松で騎乗する道は断たれている。岐阜県地方競馬組合は、JRAの騎手が地方でも騎乗できるよう、農水省JRAに働きかけているようだが実現の目処は全く立っていない模様だ。

 地方騎手のJRAへの移籍問題が顕在化した時点で、スター騎手の流出により地方競馬の経営不振にいっそう拍車がかかるようになるという懸念は、当然考えられることだったにもかかわらず、「自由化」というお題目の前にその問題は翳み、全くといっていいほど議論されないまま放置されていました。現在の笠松競馬の苦戦は、ある意味当然予測された結果で、しかも今後この問題は小牧太騎手、赤木高太郎騎手がJRAに移籍した兵庫県競馬を始め、全国の地方競馬に飛び火する恐れがあります。無邪気に「自由化」のお題目を信じ、半端な形での地方騎手のJRA移籍を推進して来た関係者やマスメディアの方々はこの問題にどのような答えを出されるのか。騎手免許の「完全一元化」の問題も含め、真摯な議論が待たれるところですね。