さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その45「マルタカトウコウの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MilkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 マルタカトウコウ(JPN)→2002年8月、用途変更

 1990年生。父はサクラトウコウ。同馬は、日本ダービー(GI)勝ち馬サクラチヨノオーの全兄、朝日杯3歳S(GI)勝ち馬サクラホクトオーの半兄。現役時代は、新馬函館3歳Sを楽勝して大器と騒がれながら、その後は骨折や脚部不安に苦しみ、結局七夕賞(GIII)を勝った程度に終わったが、種牡馬入りしてその潜在能力が開花。天皇賞・秋(GI)優勝馬ネーハイシーザーや、毎日王冠(GII)勝ち馬スガノオージらを輩出して成功している。

 母は地方競馬で4戦1勝のリッチエース。母の父はMatchem系の中でも傍流にあたるHurry On→Sheshoon系のスティンティノ。同馬は現役時代、クリテリウム・ド・サンクルー(仏GI)、リュパン賞(仏GI)、などを制し、英・ダービー(英GI)ではNijinskyの3着。種牡馬としては、東京王冠賞勝ち馬チョウヨオエースなどを出した。マルタカトウコウの半兄シングルボーイ(父ビービービー)は、佐賀の開設記念、大天山賞などを勝ち、半弟のマルタカサドラーズ(父サドラーズラッド)はJRAオープン勝ち馬。

 デビューは遅く、旧4歳5月の未勝利戦。しかし、経験馬相手に2着と好走すると、3戦目の福島戦で1.2秒差で圧勝し未勝利を脱出した。

 その後休養に入り、明けて旧5歳時は、2戦目で500万下を脱出。その後はトントン拍子に勝ち上がり、オープン初戦の栗東Sもエイシンライジンを下して快勝。続く武蔵野Sこそ距離が長かったか10着と大敗したものの、一息入れて臨んだ夏の北海道シリーズは、初芝ながら青函ステークス3着を叩かれ、UHB賞を快勝した。

 翌・旧6歳時は、プロキオンSを勝って臨んだ栗東Sをレコードタイムで逃げ切り、連覇を達成。しかし、その後は徐々に調子を落とし、勝てないまま旧8歳時に岩手に移籍。8月のけやきSで優勝し、2年ぶりの勝利を挙げたものの、結局このレースを最後に現役を引退した。

 重賞勝ちがなく、GIもスプリンターズSに2度挑戦して11着、12着と限界を見せていただけに、種牡馬としてはさすがに恵まれたとは言いがたい。同じサクラトウコウを父に持つネーハイシーザーが、少ない産駒の中から東京スポーツ杯3歳S(GIII)2着、函館記念(GIII)2着のヒマラヤンブルーを出しただけに、こちらもマルゼンスキー系の底力に期待したいところだが…。せめて、もう少し遅く生まれていたならば、ダートのスプリンターとして高い評価を得られた可能性もあっただけに、惜しまれるところである。(文責:ま)