さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その14「グレートローマンの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MiljkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 グレートローマン(JPN)→2002年10月21日、用途変更

 1981年生。父ブレイヴェストローマン(USA)は、芝は路線のみならず、特にダート路線においてパワフルでタフな馬を輩出し続け、大成功を収めた。母はエイコーリーブス。母父ネヴァービートは、種牡馬としても四度の中央競馬リーディングサイヤーに輝いたほか、1980年〜1986年に7年連続でリーディングブルードメアサイヤーに輝くなど、1970〜80年代の日本の馬産界に大きな影響を及ぼした。

 公営新潟競馬でデビューし、旧3歳から旧4歳にかけて、新潟皐月賞、新潟ダービーを含む10連勝を果たし、圧倒的な強さで新潟のチャンピオンホースとして君臨する。

 その後、東海公営に転厩してさらに強さを増し、東海菊花賞名古屋大賞典東海大賞典など、当時芝で行われていた東海桜花賞を除くほとんどの主要重賞競走を勝ちまくった。

 同期には、全国を渡り歩き主要レースを総ナメにしていった地方競馬における歴史的名馬カウンテスアップがおり、同馬と対戦した東海菊花賞、東海キングには連敗を喫したものの、当時カウンテスアップに次ぐ能力を持っていたことは間違いなく、通算37戦25勝という成績はさすがというほかない。ただ、このクラスの名馬であっても南関東で走らなかったためか、あまりその名を知られていないように感じられるのが惜しまれる。

 種牡馬としてはそれほど多くの一流馬を出すには至っていないが、セントライト記念(GII)3着のスーパーソブリンや、笠松から金沢に転じ、2001年度に春の百万石賞、秋の北國王冠を制して金沢年度代表馬の栄冠に輝いたボナンザーローマンを輩出している。

 デビューの地・新潟でついに一流馬を出すことなく終わってしまったのは、心残りといえようか…。