競馬サブカルチャー論・第04回:馬と『スクライド』〜「絶影を持つ男・劉鳳」という呼び名のもつ美しい響き〜

スクライド この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。

 ―馬は、常に人間の傍らに在る。

 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・小説・音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載を通じ、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。

スクライド より−

 近未来、日本国土の一部が突然隆起して形成された大地…“ロストグラウンド”と呼ばれるその土地は、リゾートや住居地帯、崩壊地帯が入り交じる混沌とした景観を持ち、華やかながらもどこか影のある雰囲気を醸し出していた。ここロストグランドで育った少年達は「インナー」と呼ばれる。その中でも先天的に“アルター能力”という特殊能力を持つ者達がいた。普通の人間を遥かに上回る力を持った己の分身を呼び出せるその能力は、ロボットタイプや、鎧のように装着するタイプ、独立して動くタイプなどがあった。その“アルター”の姿や能力は個人の資質を反映するため、少年達の闘争心を純粋に刺激した。だがこの力を狙って暗躍する大人達の思惑は少年達を翻弄し、ロストグラウンド全体を巻き込んで、様々な争いを生み出していく―。


 「スクライド」は、2001年7月から12月にかけて、テレビ東京系で放映された格闘アニメ(?)である。主人公のカズマ劉鳳は、最初互いに対立し、反発しあっていたが、やがて相手の中に自分と同じものを見出し、共通の敵に立ち向かってゆく・・・あらすじを書くと陳腐なものに思えるが、荒削りながらパワー溢れる展開、主人公・ヒロイン・サブキャラのほぼ全員による心地よいまで熱い暴走っぷり、ツッコミがいのあるストーリー展開は、日本全国の多からぬ視聴者の魂を奪い、テレビの前に釘付けにした。

 しかし、この世界の中で、が極めて重大な役割を果たしていることに、果たしてどれほどの読者が気づいているだろうか。

 主人公の1人である劉鳳が呼び出せるアルターの名前は、「絶影」である。劉鳳は、幼い頃に家を謎のアルターに襲撃され、母と愛犬「絶影」を失っている。その大きな悲しみが愛犬「絶影」の死体をアルターとして再構成し、劉鳳のために高い戦闘能力を発揮するアルター「絶影」を生み出したのだ。

 「絶影」の元ネタは、ほぼ間違いなく三国時代の名馬「絶影」であろう。絶影は、曹操の愛馬であり、「あまりの速さに影も留めない」ことから「絶影」と呼ばれていたが、曹操張繍による奇襲を受けた際、曹操を守るために敵の矢を全身に浴びて死亡している。劉鳳少年は、たぶん「三国志」ファンだったのだろう。

 その時、歴史は動いた。

 「絶影」を持つ劉鳳は、「ホーリー」と呼ばれる治安維持部隊の中核として認められるようになり、「『絶影』を持つ男」と恐れられるようになる。そして彼は、同様に卓越した戦闘力を持つアルター「シェルブリッド」を操るカズマと出会うことになる。カズマを含む多くの敵との戦いを通じて「絶影」は次第に強化されていき、ついには劉鳳と「絶影」はなんと合体を果たし、最悪の敵を打ち破る。

 もし世界に馬が存在しなかったら、果たして劉鳳のアルターはどのような名前になっていたのだろうか。少なくとも、「絶影」と命名されることはあり得ない。だが、他のどんな名前をつけられていたとしても、「絶影を持つ男・劉鳳」ほど美しい響きにはならなかったに違いない。

 ストーリーが大詰めを迎える第24回「拳」に、次のようなシーンがある。最悪の敵・無常らを前にした主人公たちの会話である。

劉 鳳「奴の相手は俺がする!お前はそこにいる男を倒せ。油断をするな、容赦もするな。徹底的にやれ」
カズマ「誰に命令してるんだよ」
劉 鳳「シェルブリッドのカズマに」
カズマ「ふん、やってやるよ、絶影を持つ劉鳳さんよ

 …このシーンがもしも、

劉 鳳「奴の相手は俺がする!お前はそこにいる男を倒せ。油断をするな、容赦もするな。徹底的にやれ」
カズマ「誰に命令してるんだよ」
劉 鳳「シェルブリッドのカズマに」
カズマ「ふん、やってやるよ、ポチを持つ劉鳳さんよ

だったとしよう。これでは、最悪の敵との決戦も、仇敵との決着も忘れて脱力してしまう。もしそうなっていたら、主人公たちは無常たちに殺されてしまっていたに違いない。

 さらに、主人公が2人いて、主要登場人物のうち同年代の女性(1人は黒い長髪の優等生タイプ、1人はショートカットの快活な後輩)が2人いる場合、たいてい彼女たちの心を2人の主人公が分け合うのが定番である。ところが「スクライド」では、「絶影を持つ劉鳳」がヒロイン格の2人―シェリス・アジャーニ桐生水守―の心を独占している(カズマを慕う役割を担うのは、なんと8歳のょぅι゛ょである)。許せない。

 だが、もし劉鳳が「ポチを持つ男」だったとしたら、彼女たちは劉鳳に惹かれなかったかもしれない。幼馴染のミノリさん…もとい水守さんは、幼馴染であるがゆえに間抜けな響きに耐えられなくなって彼のもとを離れ、劉鳳に危機を救われたシェリスも、脱力ものの称号の前に力が抜けて色恋どころではなくなっていた―そんな可能性は、誰にも否定できない。

 そうだとすれば、シェリスが劉鳳のために禁断のアルター「エターナル・デボーテ」を発動して○○することもなければ、水守さんは劉鳳ではなく愛すべき兄貴「ストレイト・クーガー」と結ばれていたかもしれない。シェリス、クーガーだけでなく、水守さんもアニメのエンドでは幸福なのか不幸なのかよく分からない微妙な位置付けにあるので、クーガーと結ばれていた方がきっと幸福になっていたことだろう。一方、カズマは基本的にょぅι゛ょ一筋(←おい)なので、ストーリー的に影響はない。

 つまり、劉鳳が「絶影を持つ男」ではなく「ポチを持つ男」だったなら、アニメで不幸になった主要キャラが何人も幸福になっていたのだ。少なくとも、アニメより不幸になる人物は、劉鳳だけである。

 こうしてみると、「絶影」が「絶影」であったこと、つまり馬が存在していたことは、劉鳳にとって極めて大きな意味を持っていたといわなければならない。もし馬が存在しなければ、劉鳳は「絶影を持つ男」ではあり得なかった。もし劉鳳が、「絶影を持つ男」ではなく「ポチを持つ男」だったとすれば、女にモテないまま敵に殺されてしまっていたのだ。劉鳳こそ、馬に救われた男というべきだろう。そのために不幸になった者にしてみれば馬は呪うべき存在かもしれないが、どんなに素晴らしいものも、使い方や局面によって不幸を招くのは、馬に限った話ではない。むしろ、死してなお飼い主を救い、モテモテにした「絶影」の忠義を称えるべきだろう。そして、その忠義は、馬なくしてはあり得なかった。馬が果たした役割の大きさは、かくも計り知れない。

 そこに馬がいたから。馬は、常に人間の傍らに在る―。(文責:ぺ)